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「親父」
そう言って、父親の部屋に茅が入ってくる。
そこには父親だけしかいなかった。
母親は、この時間だと料理でも作りに行っているのだろう。
「どうした、茅。珍しいな」
「あ、あぁ。ちょっと話があって」
茅が父親の部屋に行くのは相当珍しいことだ。
それも、いつものようにドカドカと入ってくるのではなく、静かに、気配さえ隠して入ってくるのは、今まで一度もなかったことだ。
「話?」
「今、流れている噂について」
茅は直球にそういった。
こういう、隠さないところが彼の美点でもあると思うが。
「飛竜を、怒らせちまった」
「そうか、お前もすごい奴だな」
飛竜はめったなことでは怒らない。彼は、楽しくないことが大嫌いだ。
怒っている時を、楽しいと思う人間などいないだろう。
だから、飛竜は極力怒らないですべてを片付けてきたのに。
この息子には、どうやら怒ったらしい。これで、飛竜が茅に怒るのは2回目だ。
「あの噂、本当だ。俺、彼女ができた」
「あぁ、遊部 央さんだな?」
名前さえ、父親には筒抜けだったらしい。
わかられていないとは思っていなかったが、それにしてもすごい情報力だと思う。
「親父」
「いい娘さんだな。まぁ、多少おどおどとはしているが。まっすぐで、綺麗な目をしている」
父親の言葉に、茅は何も言えない。
「あの子を、嫁にする人はきっと幸せな人になるだろう。わかるな、茅」
「わかってる。でも、でも俺!」
「あの子は、堅気でしか幸せにはなれんだろう。あきらめなさい、茅。離してあげることが、彼女の幸せのためだ」
わかっている。
いつも何かにおびえている央に、極道が似合わないことぐらい。
わかっている。わかっている。そんなこと、自分が一番知っている。
だけれど。
茅には央をあきらめるすべがない。
初めて、自分にいろいろな感情を、愛しいという感情をくれた彼女。
あきらめられるわけがなかった。
彼女といたら、茅が長年あきらめてきたいろんなものを、また掴める気がして。
一緒にいたら、何でもできる気がして。
「親父、俺」
「茅、お前が誰かわかっているだろう?あの娘の幸せを願ってやりなさい」
「俺の、俺の幸せは?」
ぽつりとそう茅が言う。
茅は、先ほどまでは父親を見ていたのに、今は下を向いてしまった。
「茅」
「なぁ、親父。俺、俺の幸せって、なんだろうって最近よく考えるんだよ」
茅が話し出すのを、少し興味深く父親は見ていた。
茅が、自分の事を話すことなんて本当はそうないのだ。
それは、お付の飛竜に対してもそうだし、親である自分たちにも。
「俺さ、あいつがいると幸せだと思えるんだ。今までよりずっと、あいつと会う前よりずっと、幸せなんだ」
「そうか」
「あぁ、それでさ、笑っていてくれなければ意味がないっていう事もきちんとわかった」
今度は、まっすぐと茅は父親を見返した。その瞳は、ひどく父親の印象に残る。
こんな瞳を、真剣な瞳をした息子は初めてだ。
次期6代目と決めた時でさえ、守る組員たちに不機嫌顔を隠そうともしなかったのに。
ずいぶん、大人の目をするようになった。
「あいつ、人が怖いんだ。そんなあいつに、俺はやっと信頼してもらえるようになったんだ」
まだ、完璧に信頼なんてしていないかもしれない。
だが、近い未来に央は茅を信用してくれるだろう。
近い未来なんて言ったが、本当は、もう信頼してくれたかもしれない。
「そんなときに、俺があいつから離れたら、あいつは一生の傷を負う。そうしたら、いくらあいつの幸せを願ってやっても意味がないんだ」
飛竜の言う事も、父親の言う事ももっともだ。
それを、茅は指摘されて初めて気が付いた。
自分が認めているからと言って、他の人が認めてくれる保証なんてない。
飛竜を認めさせなくて、父親を認めさせなくて、どうしてほかの人が認めてくれるなんて思うか。
だから、陥落しやすそうな父親から、茅は選んだのだ。
すべては、央を守るために。愛しい彼女から、笑顔を奪わないように。
「茅。わかっているのか?彼女をこちらに入れるということは……」
「俺が傍にいればいくらでも守ってやるさ。飛竜を使ってでも、親父を使ってでも。そして、俺の肩書を使ってでも」
「お前は命はかけないのか?」
「かけるわけねぇだろ。命なんてかけちまったら、俺が死んだ後に央を守れる奴いなくなるし、俺は、そんなにすぐに自分の命を捨てたりしねぇ」
なぜなら、この命は茅だけのものではない。
央だけに使っていい命ではない。
自分は、次期6代目。この命は、組のために使うのだ。
「茅」
「親父、俺は惚れた女を守るんだよ。5代目が姐さんに会ってそうしたように。4代目が先姐にそうしたように」
俺の姐になる人を守るんだ。
本当に大人になった。
前まではいたずら好きの子供のようだったのに。
そして、息子を大人にしたのは、男にしたのは、まぎれもなく彼女だ。
だから、5代目は考えてやってもいい。
そう思った。
「茅、話はこれまでだ。下がりなさい。すぐに夕飯の時間だ」
「親父、俺は!」
「茅、聞こえなかったかい?話は終わった」
そうにっこりと笑って、5代目は問答無用で茅を外へ追い出した。




