02
「よぉ、央ちゃん」
にぃぃっこり。
笑いながら近づいてくるのは、茅だ。
あれから、昼休みに屋上に行くと央がいるとわかった茅は、飛竜を伴って屋上によく現れるようになった。
央は自分が怖がられているのを知っていたし、下手にみんなを刺激しない方がいいと思って、いつも屋上でお昼を食べているのである。
ちなみに、雨の日は屋上に続く階段で食べている。
はっきりいうと、央は噂だけの女だ。
噂では極道と関わっていて、非情だと言われ続ける彼女。だが実際は、極道と話したのは前の茅に脅されていた時が初めてで、非情どころか、弱気。
いつも何かに脅えているような女であった。
そのおびえ方が面白いのか、最近、茅と飛竜がよくお昼にやってくるようになったのだ。
央は呼ばれるといつも肩を震わせて、声を上げずに悲鳴を出す。
「今日は、俺の分の飯は作ってきたんだろうな?」
「う、あ、はい、あの……」
屋上で締め上げられた翌日、央はお弁当を取られた。
パンを持っていた茅に足りないからそれを寄越せと言われたのだ。
そして、食べておいしかったのか、次の日に作って来いと言われて今に至る。
茅と違い、飛竜はきちんと自分のパンと食べるのだが。
茅は何を気に入ったのか、央が茅に弁当を作ってこなかったら、自分のパンを央に渡して、央のお弁当を食べてしまうのだ。
だから、それから央はきちんと2つないし、3つお弁当を作ってきている。
時より飛竜も欲しがるので、3つの時もあるのだ。
「ほら、パン」
「あ、りが、とう」
敬語にしたら何故かかなり怒られるので、ため口。
茅が何を考えているのか、央にはよく分からない。
その様子を見て、時々飛竜が柔らかく笑うから、断れない自分がいた。
「今日は、とんかつか?」
「えと、ハムカツです……」
お弁当は、すべて央の手作りであった。
だから、何が入っているかきちんと知っている。
ふーんと茅はそう言って、もぐもぐと食べ始めた。
そして、ふっと一瞬だけ笑った気が、いつもするのだが。
笑っているかどうかは定かではない。
「いつもありがとうございます」
そう言って、飛竜が央に話しかける。
央は、それをまたびくっと肩を揺らしたが、怯えでなく驚いたらしい。
「な、なに、が?」
「若のお弁当です。うちは姐さんがきちんと作る慣習なんですけど」
諸事情があって、茅の母親である5代目の姐は作らない。
いや、作らなくてもいいと言っているから、作れないが正しい。
前から、茅がお弁当というものに憧れを抱いているのを、飛竜は長く横にいたから知っている。
「べ、別に、あの、おい、しく、ない、し……」
「おいしなかったら、若が食べるわけがないんですよ」
くすくすと笑う。
茅は我儘だ。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。
嫌いなら、そんなものを食べたくない。
きちんと態度で示す。それが、毎日央のお弁当だけは食べるのだ。
好き嫌いなく。
「あ、の……」
「また、作ってきてあげてください。あれで、喜んでおられますから」
飛竜が微笑む。それで、どれだけ彼が茅を大切にしているのかがわかる。
央も笑ったつもりで、でも、どういう顔が笑っているのかよく分からなかった。
「何の話だ?」
「彼女のお弁当が美味しいって話ですよ」
「あ?まぁ、まずくはないな」
ジュースを買いに行っていた茅が帰ってきて、飛竜はすぐに話題を変えた。
茅も先ほどの会話になど興味がないようで、飛竜と話をしている。
「おい、央」
「へ?あ、はい」
「これ、礼だ」
そう言って何かが渡される。
礼をされたのは初めてで、央はこれが何かわからなかった。
「お前、俺が買ってきたもんが飲めないって言うんじゃねぇだろうな」
「え?あ、ジュース、です、か?」
「それ以外に何が見えるんだよ。お前の眼は節穴か?ここにでっかくオレンジって書いてあんだろうが」
少し怒ったようにそう言われて、央はまたびくっと肩を震わせた。
そして、数秒してから、口を開く。
「あの、見えない、ん、です」
「は?見えないって、何がだよ」
「私、弱視、じゃなくて、視力が、とても、弱くて……。今、自分の手も、見えて、なくて」
茅が驚いた顔をする。
そう、実は央は見えていない。
盲目ではないし、弱視というほどでもないが、ほとんど見えていないのだ。
冷たい四角い何かが手にあるのはわかるのだが、それ以上はわからなかった。
「眼鏡とか、コンタクトは?」
「あの、嫌いで、あんまり、しないんです」
「お前なぁ、それでよく生きていけたな」
「ほとんど、耳に、頼って、生活、してて。あの……」
だからか。と飛竜は思う。
彼女は茅が怒っているかのような声をすると、すぐに肩を震わせる。
それだけではなく、いきなり声をかけた時もすぐに肩を震わせるのだ。
その理由が今、わかった。
人間は感覚を眼で一番補っている。その眼が使えないと、人が次に使うのは耳だ。
大声を出されたり、いきなり声をかけられたり。彼女にとっては、何気ないことでも反応してしまう。眼で見えることができなくて、耳に頼るから、反応が遅れることもあるのだ。
「そうか、弱視じゃねぇんなら、矯正できんだろ?やればいいのに」
「う、すみま、せ」
「謝まんなよ。お前がそれで生きやすいんなら、そうすりゃいい話だろ」
茅はそう言って、央からオレンジジュースをひったくり、ストローを刺して、央に渡した。
飛竜がそれに驚いた顔をする。
茅は、非情の人。
他の人に興味がないから、そう言う人に対しての扱いは本当に非情だ。
飛竜や組員のように彼の興味に入る人は、そうでもないのだが。
茅の興味の範囲は、かなり狭い。その中で、茅が世話を焼こうとする人などいなかった。
長く彼のそばにいる飛竜ですら、されたこともない。なのに、自然に茅は彼女に対してやったのだ。
他の人なら、これほどの驚きなんてなかっただろう。だが、あの茅だから。
飛竜は驚きすぎて、何も言えなくなってしまった。
「お前、さっきから何か言いたいことでもあんのか?」
飛竜の視線に耐えきれなくなったのか、茅はそう聞いた。
飛竜はいつも通りにしていたつもりだったらしい。
驚いて顔を上げる。
「何がです?」
「昼からずっと俺の事見てるだろ」
そう言われてみれば、ずっと見ていたように思う。
あの驚きを見た瞬間から、茅から目が離せなくなってしまったのは事実。
何故あの茅が、自分のことさえきちんとしない茅が、あんなことをしたのだろう。
飛竜はそう考えていたのだが、結果としてその元凶を見ていたらしい。
何故。何故?今まで他人に興味を持つことも、助けることもしなかった男が彼女を助けた?
「あ、」
飛竜から答えを聞けなくて苛立ったのか、茅は先に歩いて行く。
学校帰り。家が近いから、すぐに着くのだけれど。
その短い範囲で、飛竜には分ってしまった。
「なんだよ、お前、今日はどうした?」
イライラしてきたのだろう、茅がそう言って振り返ると、飛竜が嬉しそうにくすくすと笑っていた。
「な、なんだよ、どうした?」
何か悪いものでも食べたのだろうか。
茅は変になった部下を不思議な目で見ていた。
その、飛竜から言葉が発せられる。
「若は彼女のことが好きなんですね」




