第32部
グリシュが自分の前に魔法の炎を灯して、その炎を松明代わりに三人は歩き続けている。
それ以外は真っ暗闇である。
何より、グリシュはジョイの事が気になるようだ。
ジョイが落とし穴に落ちてから、ほとんど眠っていない。
「追尾」の魔法をステラは平気でグリシュにかけさせて、自分は夢遊病状態で眠って歩き続けているが、クリスタルは、グリシュに悪くて、それができない。……意地だ。
「ふん、くだらないことに気を使うやつだ」とグリシュは言うが、ドラゴンの時は、グリシュに悪かったと思っているクリスタルは、何も言わない。
ステラだけが、眠りながらグリシュについて歩き、クリスタルは起きて歩き続けている。
しかし、クリスタルは実は睡眠不足が一番苦手で、身体は限界だった。
もう、ジョイとハミルと別れて4日。
食事は、ドラゴンの肉を1回手に入れただけで、あとはグリシュのくれる大きな白パンと水だけである。
ケルベロスの15匹いるホールがあった。しかし、ステラの毒蝶の粉を、グリシュが風の魔法でばら撒いて、眠っているうちに走り抜けた。
トロルが10匹いるホールもあったが、それもステラの毒蝶の粉をグリシュが風の魔法でばら撒いて眠らせて順調に、忍び足で通り抜けた。
クリスタルは眠っていない重い足を引き摺って、しんがりを歩いていた。
グリシュが、小さな声で言った。
「ゴブリンの巣だ」
通路が途切れていて、空中に出口が開いていて、はるか下に、何千匹というゴブリンがうじゃうじゃいた。
ゴブリンがたき火を幾つも焚いていて、それではるか下の『ゴブリンの巣』はずいぶん明るかった。
ゴブリンのたき火の燃料はよく見ると人間のミイラであった。この横穴にはよく乾燥したミイラがあらゆる場所にうず高く積まれていた。
ここは古代文明のミイラ置き場のようだった。
「ここじゃあ、炎呪文の大規模なのは使えないな」とグリシュが言う。
「ミイラにタールがたっぷり浸み込ませてある。古代人がミイラの保存のためにしたんだろうが、これだけたくさんミイラがあったら、ここで大規模な炎魔法を使ったら、爆発的にすべてのミイラが燃料になって燃え上がるだろうよ。爆発的に燃え上がって、こっちまで黒焦げになるぜ」とグリシュ
暗黒の回廊の何千年か入れ替えられていないどよーんとした空気がーー何か腐った匂いが混ざり、何とも言えない最悪の空気である。
「空気があるだけましさ」とグリシュ
王宮の地下墓場の空気よりもまだ、澱んだ腐ったような空気であった。
「ここで少し休憩しようか。貴様がかなり参ってるようだ」とグリシュが言う。
「自分はどうなんだ?」とクリスタルが聞くが、グリシュは何も答えない。
ステラは夢遊病状態なので、立ったままくーくーと寝息を立てている。
ゴブリンの巣の周囲の断崖絶壁には、この通路の出口と同じような横穴が至る所にたくさん開いていた。
グリシュも腰を下ろして、自分の水筒から水を飲んだ。
「ふう。俺も少し休む」ーーしかしひどい空気だーー
クリスタルは四日前にグリシュからもらった水がマンタンに入った水筒の残っている最後の一口の水を飲み干した。
もう、クリスタルの水筒に水は無いが、クリスタルは死んでも苦しいと言う気は無かった。
ーーグリシュに軽蔑したような目で見下げられてたまるかーーという本音が、クリスタルを支えていた。
ゴブリンの巣の空洞は、これまで見たどんなホールより巨大な洞窟の空洞になっていた。
この出口と同じ高さの向こうの壁にも、この穴と同じような穴が無数に開いていた。
グリシュは少し眼を閉じていて、さすがのグリシュも少し休んでいるようだった。
グリシュの魔法の炎も消えていた。
クリスタルは内心ホッとした。
ーーこの高飛車な女顔の魔法使いが、無敵であってたまるかーーと思っていたから。
クリスタルだけが目覚めていて、あたりの様子に気を配っていた。
この通路のーーゴブリンの巣の壁のはるか空中に開いた出口より数百メートルのーー空洞の直径の真反対側にも同じような穴が開いていた。そして、クリスタルはそこに人影を見たような気がした。
はるか下のゴブリンが焚いているたき火の炎の僅かな光に照らされて、確かに人影が見えた。
ーー敵だろうか?!--
クリスタルは、よく目をこすって見開いて向こうの横穴を見た。
なんとそれは松明を掲げたジョイとハミルだった。
クリスタルは驚いて、グリシュをゆすった。
「ああ、眠ってしまったのか……どうかしたか?」とグリシュ。
「向こうの横穴に、ジョイとハミルがいた」とクリスタル。
「なんだって?!」
グリシュが指を立てて「炎!」と言うと、グリシュの指の上に拳ぐらいの炎が現れた。
グリシュは下のゴブリンたちに気づかれない様に、向こうを注意深く見る。
向こうも、こちらの炎に気が付いたようだ。
ハミルが手を振り、ジョイが松明を振っている。
ステラも眼を覚ました。
「うん? ハミルとジョイに出会ったノ?」
ステラは、少し水を飲むと、
「弓!」と言った。
ステラの左手がキラリと光って、何か弓の形をしたものがうっすらとステラの左手に握られているが見える。
「闇の矢!、闇の糸!」とステラが小さく言った。
黒い、闇のような矢が、ステラの手に現れた。
ステラは弓に矢をつがえると、ヒョウ、と撃った。
向こうの横穴の出口の真下の端に刺さったようだ。
矢の尻尾には黒い糸のようなものが数百メートル、真っ直ぐに張られた綱のようにこちらから向こうに繋がっている。ステラは、すごい速さで、つぎつぎと弓に黒い矢をつがえて撃つ。何十回かその作業をしたあとに、向こうの横穴を見てみると、黒い闇の糸が橋になってこちらと向こうをつないでいた。
「オーケー」というつもりなのか、両手で大きな丸を作る大きな仕草をステラがジョイとハミルに見えるようにやった。
ジョイが、四つん這いでまるでオオカミが走るように、その橋の上を素早く走って来た。
瞬く間にこちらに着いた。
「ジョイ!」と言い、ジョイの肩を叩くグリシュの顔に初めて笑顔を見た。
ーーで、ハミルは?--と見ると、ハミルは震えている。
「ダメだ、あいつ、高所恐怖症なんだ!」と幼い頃からハミルを知るクリスタルが言う。
ジョイはまた元来た黒い橋をすばやく四つ足で引き返し、ハミルに何か言った。
ハミルはなんとジョイの背中に乗ると、眼をつぶってしがみついている。
ジョイは、すばやく、黒い橋を四つ足で走り、ハミルを乗せてまた戻って来た。
「ありがとう、ジョイ」とクリスタルが礼を言った。
ハミルはまだ震えている。
「これで、五人揃ったな。飯にするか」とグリシュ
「はい、わかりましたガウ、グリシュさん」とジョイは言うと、グリシュのコハクの首飾りの中にすっと入った。
そして、すぐまた帆布のレジャーシートを持って現れて、それを横穴の床にさっと敷いた。
そこには素晴らしい料理が銀の皿に盛られて最初に頼んだメニューのオーダーが配膳されていた。
みんなは、ジョイの作った温かい食事を心行くまで堪能した。
デザートに、ジョイはみんなにアイスクリームを銀の皿に盛って一人づつ出してくれた。
帆布のレジャーシートにあぐらをかいて、クリスタルもーー腐った澱んな空気の中でもーー美味しく食べた。
ジョイの料理を食べて、5人は気分を一新して新たな元気が湧いてきた。
しかし、少し休まないといけない。順番で見張りをして、少しでも眠らなければならない。
もう、五人は五日も、まともに眠っていない。




