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純愛性パラフィリア

作者: 兎月

 秋風凛夏は、死んでいる。どうしようもなく、決定的に、死んでいる。彼女の物語は既にエンディングを迎えていて、新たなページが書き加えられることはない。最近のテレビ番組ではよくエンディングの後に物語の続きが映されたりもするけれど、こと人生に限ってそれはない。もう誰も、彼女に触れることはできないし、彼女と話すこともできはしない。決して。


「冬弥ー、まだ勉強終わらないの? 私、暇で暇で仕方ないんだけど」

「そう言うなら、試験中に他の奴の解答欄でも見てきて内容教えてくれって、ここ数日言い続けてるだろ」

 大学に入って最初の期末試験。試験勉強に悩まされる俺、春川冬弥には、少し前から幽霊が憑いていた。幽霊なんてものは見たことはおろか信じたことすらないけれど、大学入学前に事故死した少女が部屋の中を飛び回っているのを目の当たりにすれば、嫌でも信じざるを得なかった。最も、生前の彼女と付き合っていた俺は、彼女の再来に、嫌でもどころか大喜びをしたのだけれど。

「だからそういうズルは駄目。私、試験中はちゃんと黙ってるからね」

「ならもう少し待って、これ覚えたら少し付き合ってやるから」

 それに、大学進学のために上京して一人暮らししている俺にとって、彼女の存在は決して有難くないものではなかった。誰であれ、家に帰ってから話す人がいる、というのはそれなりに心地よいものだ。例えそれがこの世のものでない存在だとしても。

「よし、終わった。何する?」

 シャープペンとプリントを机に置き、漫画を読み漁る幽霊に声をかける。

「うーん、久しぶりにオセロやらない?」

「オセロ? そう言えば、高校の時よくやったな」

 そう言いつつ、戸棚から緑色の盤を取り出す。高校時代によく学校に持って行っていたせいで、なかなかにボロボロだ。それを机の上に置き、彼女と対面になって座る。

「じゃ、俺からな。それ」

「ん」

 序盤はお互い順調に手が進み、お互いの石が白へ黒へとひっくり返る。ふと顔を上げれば、凛夏の真剣に考えている表情が見える。この何事にもひたむきな姿勢に、俺はずっと心惹かれている。彼女の命が尽きる前も、後も。そういえば、と思わず言葉が口をついて出た。ずっと、尋ねてみたいことがあった。

「今回の試験科目の一つに、生命論ってのがあるんだけど」

「うん」

 彼女も盤から目を上げて、俺と目を合わせる。

「死んでるお前から見て、命ってどう思う?」

「それはまた、難しい質問だね」

 凛夏は少し困ったような表情を見せた後、目を落とした。そして盤面に白い石を置く。静かな部屋にその音が響き、そして、彼女の透き通った白い指が、俺の黒い石を白く変える。

「……月並みだけど……というか憑き並みだけど、私はやっぱり、命は大事にすべきものだって思うな。私が死んだ時、お父さんやお母さんや一緒に卒業した友達みんな、そして冬弥の泣き顔を見て、私、凄く胸が苦しかった。ねえ冬弥、命ってね、その人だけのものじゃないんだよ。その人を大事に思ってる人みんなのものなんだと、私は思う」

 躊躇いつつも口を開いた彼女に、俺は一言、

「……実体験を交えられると、凄く重いな、その言葉」

 と返した。死んだことすらない俺には、彼女に意見どころか、同意することすらおこがましい。

 それにしても、生前の凛夏は、本当に何も考えていないような脳天気な性格だったけれど・・・馬鹿が死んで治ったのだろうか。馬鹿を死んでから治したところで何の意味もないとは思うけれど。

 少し重くなった空気の中、盤に新たな石を置いていく。その時、傍にあった俺の携帯が震えた。

「あれ、誰かからライン?」

 凛夏が尋ねてくる。

「うん……誰だろ」

 軽く答えながら、アプリを起こす。

「……!」

 自分の息を呑む音がはっきりと聞こえた。そこには、軽く答えることなど全くできない文面があった。まさか、自分がこんなことを言われるなんて・・・俺は、凛夏が死んでからはもうずっと、「人との付き合い」とは距離を置いたつもりでいた。再び凛夏が現れてからは、自分のことを、浮世離れした、などと思ったりもしていた。なのに……。

「えっ……? これ……」

 隣に回り込んで覗き込んだ凛夏も驚き、目を見開く。そこに書いてあったのは、俺に対する愛の言葉。ラインのメッセージが表示していたのは、所謂ラブレターだった。


 ラブレター。中学、高校の時はほぼずっと凛夏と一緒に過ごしていたからか全く縁がなかったけれど、普通は直接会って渡すようなものではないだろうか……いや、しかし、この送り主の女の子は、俺と普段からよく遊んでいるかなり親しい友達だ。きっとそんなに気負って送ったわけではないのだろうし、この告白は成功すると、かなりの自信を持っているのだろう。彼女は俺にとって、第二の凛夏とでも言えそうなほど、互いに気を許した相手だったのだから。

「よかったじゃない、こんなこと言われるほど好かれてたなんて。あんなに仲よかったんだし、冬弥も満更じゃないでしょ?」

 妙に明るい声で、凛夏が言う。しかしその明るさは、普段の明るさとは全然違う。四六時中一緒にいるというのに、誤魔化せるとでも思っているのだろうか。

「馬鹿言うなよ。確かに仲はよかったけど、付き合うほどじゃないよ」

 これは嘘だ。誤魔化しだ。彼女はとても話しやすい女友達だった。その優しさや気前の良さは、時折異性として見ざるを得なかったし、好意らしきものを自分の中に感じることも少なくはなかった。

「……そっか」

 凛夏は頷いた。しかしその顔にはまだ、いつもの笑顔は戻っていなかった。


 翌日、まだ暗い中で目を覚ました。返信のことを考えていたら、いつの間にか寝てしまっていたようだ。結局あれにはまだ返事ができていない。まあ、一日遅れくらい、彼女は許してくれるだろう。

 にしても、いつも俺が起きた直後に必ず聞こえる「おはよう」の声が聞こえない。というか、いつもなら聞こえている、小さな呼吸音さえも、聞こえない……?

 電気が点きっぱなしの部屋の中を見回した後、一瞬で脳が覚醒していくのを感じる。案の定、凛夏は、この空間にはいなかった。返事を書こうと考えている間には、確かにいたはずのその幽霊は、もうこの部屋には存在していなかった。

 いつも彼女が座っていた回転式の椅子は今、俺の方を向いていない。


 気付けば俺は家を飛び出し、未だ暗い道を走っていた。とにかく今は、凛夏を探していたかった。地元ならともかく、どこに何があるのかもわからない都会で凛夏がどこに行きそうかなどとは見当もつかなかったけれど、それでもじっとしていることはできなかった。きっとどこかで歩いてるか不貞寝でもしているんだろう、そんな希望を抱きながら、ひたすら走った。

 いなくなった理由は見当がつく。凛夏は俺に、あいつと付き合って欲しいのだ。俺が新しい人生を歩むために。これは彼女なりの、俺に対する気遣いだ。だが、俺がそんな気遣いをされて喜ぶような人間ではないことも、凛夏は知っているはずだ。だからきっと、あいつがまだ俺のことを好きでいてくれているのなら、まだ消えてはいない。俺に文句を言われるためにまだあいつは、この地上にいるはずだ。


 いや、本当はもう、気がついている。嘘をつくのはもうやめだ。

 彼女はもう存在していないことを、俺は何ヶ月も前から知っている。

 幽霊なんてものは俺の幻想にしか過ぎないし、だからこそ、どこを探したところで彼女は見つかることはない。凛夏は死後、どこかにいたことはない。彼女の人生は、幽霊として続きが描かれていたわけではないし、誰も彼女と触れ合うことも話すこともできていない。

 彼女はどうしたって、決定的に死んでいるのだ。

 俺の部屋には今、全ての石が片側に置かれたオセロと、誰も使ったことのない枕が転がっている。

 彼女は消えたのではない。当然のように、そして当然に、いなかったのだ。最初から、ずっと。

 それでも、このタイミングで俺にその現実が突きつけられたのは、やはり意味があるのだろう。あの告白メッセージが、想像以上に、俺の心に響いたのだ。自らも薄々好意を抱き始めていた女の子の唐突な告白に、俺の心は大きく揺らいだ。初恋の人の死という負の記憶で閉じられた俺の心が、強引にこじ開けられた。

 凛夏はもう、俺の心から少しずつ消え始めている。だからもう、俺には凛夏の姿は見えない。過去を捨て、現実と向き合うべきと、俺の心が告げている。

 俺はもう、凛夏がいなくとも……。

 俺はゆっくりと、足を止めた。道路には、太陽の光が射し込み始めている。




「忘れるなんてこと、無理に決まってんだろ」

 ラインのメッセージの送信ボタンを押しながら、俺は呟いた。いや、告げた。

 道路の真ん中にいる、初恋の女の子に。

「ばーか」

 その子は……凛夏は、心底呆れたように口を開いた。しかし口元が緩んでいる。相変わらず、誤魔化すのが下手だ。

 告白メッセージのせいで俺の中で凛夏の存在が消えかかっていたというなら、話はとても簡単だった。俺はできる限り簡潔に、友達関係は壊さないよう、彼女に断りのメッセージを送った。勿論逡巡はしたけれど、もしかするとこの先この決断を後悔するかもしれないけれど、しかし俺にはやはり、空想の存在だとしても、凛夏の方が大切だった。いつか忘れるにしても、今はまだ早過ぎる。もう少しの間だけ、過去の恋愛を大事にしたいと、そう思った。

 妙にやりきった顔をしているだろう俺に、凛夏が歩み寄ってくる。

「もう一回轢かれてみれば成仏して消えられるかと思ったけど……やっぱ、無理だね。車に触れることもできないや」

「そんな簡単に消えられてたまるか。さ、家に帰るぞ」

 前後に揺れる凛夏の手を取り、握り締める。空想でもいい、まだこうして彼女の温もりを感じられることに、なんとも言えない愛しさを感じる。

 朝日を背に受けながら、俺は真っ直ぐ、家に帰った。


「疲れた……いくら朝早いって言っても、やっぱりもう夏だな。暑くて仕方ねえよ」

 家に帰るなり、どて、と床に倒れこむ。かいた汗が床を濡らす。雑巾にでもなった気分だ。そんな俺を見ながら凛夏は、柔らかに微笑む。

「お疲れ様。私のこと探してあんなに走ってくれたの、嬉しかったよ。学校に行く時間までもう少しあるけど、一眠りする?」

「ああ、うん……そうする……」

 そうして俺は、静かに、目を閉じた。


 夢の中で俺は、電車に乗っていた。隣の席では凛夏が寝ていて、他の席は運転席も含めて全てが空席になっている。それなのに、電車は緩やかに動き続けている。しばらくして降りる予定の駅に着いたけれど、凛夏は全く起きる気配がない。起こすのも可哀想に思った俺は、一駅乗り過ごすことにした。

「好きだよ、凛夏」

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