スル?シナイ?
「てもさ、本気じゃないんだろ?奥さん」
翌日、結城に相談を持ちかけ、いつもの居酒屋へ来ていた。
「不安定なんだろうな」
僕はため息をこぼしつつ、目の前の枝豆を箸でつつく。
「不安定ねぇ…。それにしても、娘につけるつもりだった名前をウサギにつけちゃうとは、闇が深いわ」
正直、僕としては笑えないところをつかれて、出る言葉もない。
無言で睨む僕に、結城は悪い悪いと、まるで反省の色もなく話を続ける。
「呼んでんの?うさぎの名前。複雑じゃない?」
「……、嫁の前では、ね」
あの砂色の毛玉を、どうしても名前で呼ぶことは抵抗があった。
他の名前であれば、こんなことはなかったろう。
綾香はどんな気持ちで、あの毛玉にその名をつけたのか。
一瞬、思考に流れた僕の様子に、結城が茶化すように話題を変えた。
「で、どうすんの?やんの?浮気。軍資金ももらったんだろ?」
唐揚げをつまみ上げ、なんでもないことのようにそう告げる結城に僕は苦虫を潰したような気持ちになる。
「できるわけないだろ。本気で浮気なんてしたら、あの状態の嫁が何するか、僕でも予想できない」
「はは。苦労してんなぁ……。お前もよく離婚しないよなー。」
僕の切り返しに、苦笑する結城。僕はつついていた枝豆を口に放り込んだ。
塩気のききすぎたそれを、ビールで嚥下すると気持ちも落ち着いた。
「正直、離婚を考えたことはあるけどね。タイミングがなかっただけだよ」
そう、タイミングがなかっただけ。それが、結婚五年目の理由。
「それでよく、もつな。俺無理だわ」
「時間持て余した専業主婦が、若い男と旦那の金で遊ぶようなのよりマシだろ。少なくとも綾香は、そんなことはしないから」
「まぁ、そりゃそうかもだけど」
なんだか、納得しかねる様子の結城。僕は揚げすぎたからげをつまんで口に入れると、ため息をつく。
にんにくのきつい、酒のお供の唐揚げ。僕は綾香の作る生姜味の唐揚げが、無性に食べたくなった。
「完璧な嫁なんて、この世にはいないし。何を妥協するか、じゃないかな?不倫の末に熟年離婚。老後はひとり寂しく…、なんていうのはあまり楽しくないしね」
独り身の結城を揶揄するように、少しからかうようにそう告げると、意味を理解した結城が笑う。
「結局、のろけってわけ?金入ったんだろ、お前キャバクラくらい連れてけよ。あ、高級ソープとか?」
「バーカ。独身貴族様のお前のほうが、溜め込んでるだろ」
こちらも笑い返しながら、すっかり泡の消えたビールを口に含んだ。
そのまま、話は仕事や今受け持つクライアントの愚痴へ。
ビールのジョッキ3つが空になる頃、結城は少し真面目な顔をしていった。
「今が、タイミングなんじゃないの?」
僕は何も返せなかった……。
無言の僕の肩を叩くと、結城は表情豊を和らげて笑う。
「あんま、溜め込んでてもしょうがないぞ。ほら、風俗とかでもたまにはいいんじゃね?おごりなら付き合うぞ」
場を和ませるように笑う結城に、僕も笑って返そうとするが、それはぎこちなく終わる。
今が、そのタイミング。……そう、感じているのは綾香の方なのかもしれない。
だからこそ、不安に思っているのだろうか。
僕は、どうすべきなのか。
そのタイミングに、今、きているのだろうか……。
店を出て、結城と別れると、家に帰る地下鉄へ向かう足が不意に止まる。
結城の言葉が、どうしても耳から離れなかった。