異変
最初の異変は、家に帰ると見慣れぬものがリビングにあふれていたこと。
結婚も5年たち、二人の関係も安定したと、勝手に僕が思っていたそんな矢先の出来事だった。
「綾香、これなに?」
部屋の奥の、布をかぶせた四角い何かの前で座り込む妻、綾香に僕は声をかけた。
あ、と、小さな声をこぼし彼女が振り返る。僕が帰ってきたことに今気がついた、と言わんばかりの反応。
「ごめんね、きょうくん、今片付けるね。あ、ご飯カレーでいい?」
いつも通りの様子、だからこその違和感。足元の恐らくペット用品だろう、水ボトルやペットフードなどを袋にしまい込む綾香に、僕はもう一度問いかける。
「綾香、どうしたの?」
いつか、子供ができたら犬でも飼おうと、話していた。残念ながら、その気配はなく、不妊治療も三年目。彼女のストレスも最近は、見てわかるほどになっていた。
僕はもう一度、できるだけ優しい声音で彼女に問うた。
「突然、ペットなんて、何かあったの?」
僕に背を向けるように、無言で立ち尽くす彼女を後ろから抱きしめて、その額に唇を落とす。
大丈夫だよ、怒ってないよという、意思表示。
少しだけ震えている彼女の肩をしっかりと支え、彼女の答えを根気よく待つ。
それは、数秒だったのか、それとも数分か。物音のない静かなリビングでは時間の感覚もあやふやで。それでも僕は彼女の背中を安心できるように、そっとなで続けた。
そうしてどれほどたったのか、小さく彼女が息を吸い込む音と、緊張でこわばる肩。
僕は、彼女を抱きしめその言葉を待った。
「きょうくん、ごめん。もう、不妊治療やめたい……」
それは、小さな声だった。それでも僕にはしっかりとその意味が伝わった。
「うん。そうしようか」
僕に言えるのは、それくらいしかなかった。
この時、もっと違う何かを言えていれば、僕達の進む道は変わっていたのかもしれない。
それでも、僕には震える綾香を抱きしめている以外、何もできず、何も言えなかったのだ