09
若様が怖い顔で覆面の男たちを睨んでいる。しかし、覆面の男たちはバズーカの煙にやられて動けずにいた。
若様の威圧感は半端ないけれど、はっきり言って彼は喧嘩が強くない。だから彼らの視界が開ける前に、槇が動いた。
「若、啖呵を切るのはそれくらいで、もう下がってください。弓森、動けるか!」
槇が若様を一歩下がらせ、莉都に声をかけてくる。縄を自力で解き、莉都はすでに自由。言葉なんかで返事するより行動で示したほうが早い。
莉都は慣らすようにその場で数回跳ねて、最後の一踏みを大きく踏み込み、跳ね上がった。
くるくると竜巻のような勢いで体を回転させ、莉都はちょうどいいところにいる覆面の男を1人蹴り飛ばす。思わず首が飛んでいきそうなくらい激しく。
そのまま莉都は近くにいるもう1人の男の顔を殴り、そのままお腹に思い切り拳を打ち込むと、見事なバク転を披露する。
そして、扉前にいる仲間の元へ着地した。
「若様が戻ってきてくれたおかげで生きてますよ、なんとか。田崎さんも無事です」
莉都がそう答えながら、若様御一行に視線を向ける。
しかし莉都の顔を見た瞬間、彼女と田崎の無事を確認したというのに、3人の顔は険しくなる。槇は珍しく口をぽかんとあけて間抜け面を示した。如月に至っては驚きすぎてバズーカを勢いよく手放してしまっている。
「弓森、どないしたん、その顔。……やられたん? まさか、お前が……わっ若、行ったらあかんて!!」
如月が信じられないとでも言うような顔で呟く。けれど如月が言葉を言い終わる前に、若様が莉都のもとへ駆けていた。
覆面の男がまだ3人残っている。もう咳き込みも治まってきて、彼らが本格的に襲いかかってくるというのに。
「若様、危ないから部屋の外へ……っ」
「……ごめん、莉都」
真面目な声で、若様が謝ってくる。
力の入らない、でろんと垂れた腕が、若様の抱擁でギリギリと痛む。
莉都が痛みに顔をしかめれば、もっと若様は切ない顔をしてしまった。
「……若様」
「そいつがターゲットだぁあ! ころせぇ! リーダーに連絡しろォ!!」
覆面の男たちが叫ぶ。莉都はそれに反応して、戦おうとするが、若様が莉都を離さなかった。
「若さ……」
「お前の相手は、俺だ」
莉都が若様の腕から逃れようした瞬間、莉都たちをかばうように槇が部屋の中へ飛び込んだ。
真っ先に莉都たちに襲いかかってきた男に、槇が応戦する。お得意のトンファーを腕に装備して、槇は男の攻撃をかわし、逆にトンファーで殴りかかる。その無駄のない動きは、とても彼らしい。繊細で優美な戦い方。
「ひゃあっ、ナイフなんて穏やかないわぁ。若、槇さん、銃撃許可おーけぃ?」
如月も莉都たちをかばうべく、ナイフの男に応戦していた。ヒョイヒョイっと身軽にナイフをかわし、のんきな声をあげる。
「許可する! ただし、殺すな。それでいいですね、若!」
槇は事後確認をとる。若様は渋るような素振りを見せながらも、小さく頷いた。
「本当は、殺したいくらい、憎いけど」
高貴な彼が、安易に口にしてはいけない言葉。それが莉都の耳に届く。溢れる憎悪がその綺麗な声に、莉都を抱きしめる腕にまで侵食していた。
許可が下りた如月は、即座にジャケットの胸ポケットから二丁の銃を取り出す。危険を顧みずにくるくると手慣れた様子で相棒を握り、如月はターゲットの手足に狙いを定めた。
「バァーンッ! 俺は優しい男やけど、お仲間ボロボロにされたら優しくできひんわぁ。悪いなぁ。でも謝るのはお前らのほうやんなぁ? そう、やろ!!」
男が動けなくなるように、如月は彼の足首に銃弾を撃ち込む。一発も外さない。軽ノリをしてみせても、彼は優秀な天ヶ崎の使用人。訓練された男だ。
「くっそぉぉおお! おい、お前ら! こいつがどうなってもいいのか!?」
不利な状況に陥り、残りの男が田崎の元へ駆けた。
田崎の腕を掴み、覆面の男は奇妙な笑い声をあげる。
全員が「しまった!」と思ったそのとき――。
「俺を、これ以上……足手まといに、するな!!」
田崎は自分の襟首を掴んだ腕を掴み返す。覆面の男が「へ」と意表を突かれたかのような声を出した。けれどもその声が出たときには、男の体は浮き上がっていた。
「やぁぁああああっ!」
田崎が覆面の男を背負い投げる。
そう、彼も天ヶ崎家の、訓練された使用人。
さっきは暗い部屋の中で、視界を遮られてすぐ覆面に捕まり、無様に人質にとられてしまったけれど、彼とて弱いわけではないのだ。
ここにいる覆面は全員倒した。
まだ2人、この部屋からいなくなった覆面がいる。早く見つけて、そいつらも捕まえなければならない。莉都はそう思うのだが、目の前の若様にとって、最優先することはそうじゃないらしい。
「若様、離してください。もう2人、逃がしたやつがいるんです」
「うん。見つけるから……莉都を、莉都とシュウを痛めつけたヤツを放ってはおかない」
いつもは緩い始末で終わらせてしまう若様が、優しい若様が、怒りに満ちた声で告げる。
ボロボロになったシュウを見て、若様は「僕のせいだ」と自分を責める。
「違います、俺が、俺が不甲斐ないばかりに!」
「どっちも違いますから。……誰のせいでもないですから」
莉都のそんな言葉も、若様にはいまいち届かない。
莉都を抱きしめたまま、若様は青く腫れた彼女の頬に触れた。
「ごめん、莉都なら……大丈夫だって。……僕と離れて大丈夫なわけないのに」
「大丈夫って言ったのは私です。……ていうか、あんまり怪我に触らないでください。痛いですし、無様にやられちゃったの、結構自分で腹立ってるんですから」
そんなふうに、莉都らしい返しをする。けれど若様はいつもの調子に戻ってくれない。
「若様」
「莉都……ごめん」
必要のない謝罪を何度も繰り返して、莉都もいい加減聞き飽きていた。
莉都は盛大に息を吐き捨てて、すぅっと息を吸い込んだ。
「若様!!!!」
耳をつんざくような声。莉都が滅多に出さない大声に、槇も如月も田崎も、何より若様が驚いていた。
「ごめんごめん、うるっさいんですよ! こんなの、どうってことないですし。はっきり言って謝るなら、いつも私の部屋に入ってくることとか、私の安眠妨害してることとか! むしろそういうことでしょうが!」
「……莉、都」
「これが私と若様の契約です。怪我したってなんだって、それでも私は若様のそばにいますから! それでいいじゃないですか! あと2人、捕まえたら、いつもみたいに『ご褒美あげるね』って、そういうゆっるい態度でいいんですよ!」
それがいい、とでも言うように、莉都は若様の綺麗な白いシャツを掴んでお願いした。
(そんな顔、全然似合わないんだから……)
いつも苛立ってしまうけれど、若様に似合うのはヘラヘラとした優しい笑顔だ。そんな顔はこれから何年経っても、彼には似合わない。
「だから……っ、よくやったねっとか、言ってみたらどうですか!」
自分で言って、恥ずかしくなる。別にそんなこといってほしいわけではないけれど。でも「ごめん」と言われるよりはよっぽどそっちのほうがよくて。
顔を赤くして、真剣に告げてしまった。莉都のそんな必死な姿も、若様の今の顔と同じくらいにはレアなもの。
そばで見ていた如月が、2人のそんな会話を聞いて、小さく笑った。
「堂々とのろけてますやん。槇さん空気読もうや〜。シュウくん、おいで〜。迎え来るの遅なってごめんなぁ。体痛そうやから、さっさと治療するで?」
「は、はい!」
「弓森、お前の治療道具も持ってくる。しばらくそこで待ってろ」
そんな言葉を言い残して、3人は部屋を出て行った。