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07

 ろくでもない人間の、何の感動もない、共感も得られない、そんな昔話をしよう。


 じめじめした、光の射さない暗い路地裏。

 そこにすくう人間たちが目印にしている赤い古びた看板。それを挟んで向こう側は、個人がどう考えているかは抜きにしても、「普通に幸せ」な人生を送っている人たちの生活圏。

 それよりこちら側は「幸せから脱線」した人生を送る人たちの住処。


 ビルが立ち並ぶキラキラした街並みから、まるで線を引いたみたいに、その看板を通り過ぎてこちら側は、薄暗く汚い。ゴミ溜めのような場所。下水やカビの臭いが思わず鼻を麻痺させてしまいそうな腐臭を漂わせて、たまにまだ嗅げる匂いとして、タバコの煙が舞っていた。


 そこが、『3番街』。


「弓森ィ、今日こそはテメェをぶっ殺してやるヨォ」


 3番街に住む人間は喧嘩っ早い。むしろ喧嘩をしていなきゃ生きていけないような、強そうで弱い人間たちの集まり。

 群れて強がって、威勢を張って。

 それを軽蔑していたわけではないけれど、そこに住む『メスザル』は荒れた3番街で、ずっと1人だった。

 誰もが自分の心と体を守るために、誰かと寄り添い合っていたのに。


「……めんどくさ」


 3番街の『メスザル』はひどく面倒くさがりだった。群れることすら面倒で、誰かに守られることも、守ることも煩わしく思うような、協調性を母親の腹の中に忘れてきた人間だった。


 けれど、その『メスザル』は、協調性を棄て置いても生きていけるほどに強かった。身体能力が人間の域を超えるほど。

 3番街には彼女の敵しか存在しなかったのに、彼女が傷を負っていたところは誰も見たことがない。

 彼女はいつも、自分のものではない誰かの血で染まっていた。


 1つ言っておくと、『メスザル』は別に複雑な家庭環境にいたわけではない。

 母親も父親も、元気に赤い看板の向こう側で過ごしているし、彼女がこちら側にいることも知っている。知っていて『メスザル』となった彼女のことを叱咤してくれる。

 そんな良好な家庭環境にありながら、彼女はそれを面倒と感じて出て行ってしまった。

 最低な人間。誰にそう言われても、否定する気はない。

 彼女は決して不遇な人間ではなかった。

 あえて文句を垂れるなら、彼女には「喧嘩が強い」ということ以外、取り柄がなく、それが世間でまったく役に立たないどころか、疎まれる取り柄だったこと。


 それが少なからず、彼女の人生を変えた、という言い訳くらいは許してほしい。


 今思えば、それすら「バカらしい」と鼻で笑い飛ばせるような些細な話なのだけれど。




★★★




「莉都さん……莉都さん」


 小さな声で名前を呼ばれる。目を開けて視界を右に振ると、田崎が心配顔で莉都のことを見ていた。


「田崎さ……っつ」


 唇の端が切れていて、莉都は顔をしかめる。右頬の筋肉を動かすのも鈍い痛みが走った。

 どうやら莉都はさんざん殴られた後、田崎とともに人質として放置されているらしい。途中から記憶がないあたり、気を失っていたのだろう。


「私が気絶して、何分経ってます?」


 まだ喋る余裕があるのだから、1時間は経っていない。そう、莉都は直感する。


「たぶん、20分経ってないくらいだと……」


 わりとすんなり、莉都は目を覚ましたみたいだ。それにしても莉都の『昔』を知っている男がいたのは予想外だった。

 過去に莉都が彼につけた傷を、そうとう根に持っていたらしく、折れた片腕を集中的に狙って殴られた。骨はおそらく粉々だろう。少し体を動かしただけで激痛が折れた腕に走る。


「すみませんでした。……俺が、捕まってしまったから……」

「田崎さんが捕まるかもっていうのは、ちゃんと想定内でしたよ。謝らなくていいです」

「想定内って……」


 前方、扉近くに5人。その他5人は莉都にやられたまま、辺りで潰れている。2人、この部屋にいない。

 莉都に因縁を持つ男と、三節棍の男。

 若様を会場に探しに行ったのか、あるいは別の手段で脅しに向かったか。

 どちらにしろ、リーダー格のような2人がいない現状は、莉都にとって好都合。

 見張りか、若様を迎えいえれるための刺客か、残った5人は扉近くで雑談中。縄で縛られて動けない莉都たちには目もくれない。


「……莉都さん」

「なんですか」

「あの……莉都さん、若様がこの部屋に来るの、少しだけ止めましたよね。その後、如月さんを呼ぶために時計のブザー鳴らして……。あれって、これを予想したからですか?」


 莉都は田崎の質問にゆっくり頷く。油髪の男の言動で、彼が若様を連れて行く場所が危険ということは察知できた。けれど田崎には、どうしてそれを察知できたのか、分からないみたいだった。


「あの人……名前言わなかったんで」

「え?」

「普通、自分が仕えている高貴な人のこと、〇〇様って言いますよ。名前じゃなくても、私たちみたいに若様とかって。でもあの人は……」


『パーティーの主催者の使いで』


「まあ、若様が主催者の名前を覚えてない可能性を考えて、あえてそう言ったかもしれないですけど……それにしても使用人がお仕えしてる人を姓で呼ぶのも変だと思いません? その家の人みんな、同じ姓なのに」


 若様が『東雲様』と言った後に、あの油髪の男は繰り返すように『東雲様』と口にした。東雲、というのはパーティー主催者の名前ではなく姓の方。

 それが不自然だったから莉都は警戒した。何より、油髪の男から苦手な臭いしかしなかったのが大きい。


「俺……そんなの、全然気づかなくて……」

「誰かが気づけばいいからいいんじゃないですか? ていうか気づいたところで、若様が特攻しちゃったんで意味ありませんでしたし」


 莉都はそれだけ話すと、息を整えるべく大きく息を吸う。

 だんだん喋るのも苦しくなってきた。


(30分経つのかな……)


 若様と離れてからの時間を、冷静に考える。

 田崎の予想時間と体の状態から考えて、もうそれくらい経つ頃合いだ。

 莉都が苦しげに息を吐いてるのに気づいたのか、田崎が莉都よりももっと辛そうな顔をして眉を下げた。


「体……痛いですよね。本当に、すみません。莉都さんが言ってた通り、俺やっぱり迷惑かけて……本当に、本当に……」


 泣き出してしまうのではないかと、不安になるような声音で田崎は何度も何度も謝罪してくる。

 莉都はその謝罪を聞いて、彼女らしく、うんざり顔をした。


「だから、それはいいって言ってるじゃないですか」

「でも……っ」

「それに、これはあいつらにやられたところがどうこうとか、そういう次元の話じゃないので」


 そう告げれば、天ヶ崎家の使用人である田崎には伝わると踏んでいたのだが、田崎は頭上にはてなマークを掲げ、より一層顔を複雑に歪ませた。


「もしかして、莉都さんって、身体が弱かったり……? 持病とか……」

「は?」


 あまりにも方向性の違う返しがきて、莉都は反射的に荒い返事をしてしまう。まさか、と思いながらも莉都は田崎に問いかけた。


「田崎さん、私が若様の【ファミリア】ってことは知ってますよね。……今朝もそれで突っかかってきてましたし」

「突っかかったわけじゃ……」


 否定しようとはするが、実際突っかかっていたから反論できないようだ。田崎は不服そうに口を閉じる。

 田崎が黙ったのを見て、莉都は肝心な質問を口にした。


「若様の【ファミリア】になったら、若様と離れると半日経たずに死んじゃうって……知ってますよね?」


 田崎が「当たり前でしょう、心外です!」とでもいつもの調子で言ってくれるとありがたいのだが。

 きょとん顔をした田崎が目の前にいて、莉都は自ら面倒な話を振ってしまったことを思い知る。


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