04
パーティー会場へ赴く車内。
莉都は慣れないヒールと似合わないフリフリのドレスに、ご機嫌斜めだ。加えて先ほどの一件もあり、田崎とのあいだに漂う空気もギスギスして、心はとんでもなく鬱だった。
かといって、面倒くさがりな莉都はその空気をどうにかしようという思考は持ち合わせていない。この空気に気を向けなければいいのだと投げやり、頬杖をついて窓の外に視線を向けている。
一方の田崎は緊張や不安を隠しきれないまま拳を膝を震わせて俯く始末。
同じ空間にいる若様と如月は顔を見合わせて、そんな2人の様子にため息を吐いた。
「困ったなぁ。パーティー前に気が滅入りそうだよ。桐臣、何か楽しいことをしてみて」
「でった! 若の無茶ぶり! 俺、関西人やけどおもろないて言うてるやん、ひどいわぁ〜」
若様と如月については、その場の空気にあてられて自分たちまで暗くなるような人間ではない。すでに2人だけで楽しそうに会話をしている。
「シュウ。そんなに緊張しなくても、パーティーは滞りなく終わるよ。何か起こることのほうが珍しいんだから」
「若、そういうのフラグて言うんやで?」
「あははっ。でも何かあっても、莉都が助けてくれる。だから、大丈夫だよ」
若様は田崎に向けて言いながら、隣に座る莉都の手を握る。まるで「そうでしょ?」と聞かれているみたいで、莉都は面倒そうに目を伏せた。
★★★
パーティー会場に着いて、車から降りる。如月は別行動をとるため、門の前で1人すでに降車していた。
若様に続いて、莉都と田崎が地に足をつける。
会場となる宮殿のような建築物へ導くように敷かれたレッドカーペット。
その傍には若様の到着を待ちわびていた宮殿の支配人や、参加するお偉方が胸に手を添えお辞儀をして待っていた。
若様は感嘆するでもなく憂うでもなく、当然のことのようにその視線を浴びて、常のように柔らかな笑顔を振りまいた。
「ごきげんよう。西園寺殿、お元気でしたか?」
「お声掛け、誠に感謝いたします、朔優様。おかげさまで、病にかかることもなく、このパーティーに参加することができました」
「それはよかった。ああ、これはこれは那須浜様。ご無沙汰しております。先日は……」
すらすらと流れるように挨拶を口にしていく。
その数歩後ろを、莉都と、そして田崎が無表情で姿勢正しく歩いていた。
慣れたレッドカーペットの道。
けれど、どんなに慣れても好きにはなれない。
そんなことを思いながら、莉都は視線をわずかに横に逸らす。隣を歩く田崎は、まだレッドカーペットの道に慣れてはいない。手と足が同時に出るような、ぎこちない動き。ときどきつまずいて、体も震えて、いつヘマをしてもおかしくないほどに。
緊張が分かりすぎるくらいに表に出ている田崎を見て、莉都は小さくため息を吐いた。
「……田崎さん」
「は、は……はい」
「胸に緑色のバッジをつけた人が何人いるかザッと数えてください」
田崎に視線を向けぬまま、通りすがりで目に映った人の胸元を見つめながら小声でそんなお願いをする。
田崎は莉都の脈絡のない「お願い」に戸惑いつつも、最終的には莉都の言われた通りに数え始めたみたいだ。不自然にならない程度に周囲に視線を配り、冷静に数を見極めている。
そちらに集中が向かったからか、田崎の震えていた体もぎこちない動きも、いつのまにか収まっていた。
それを確認して、また面倒そうに視線を前方に投げると、横目に後ろを向いた若様と目があった。
目尻を下げ、まるで莉都を愛でるような表情で、若様は莉都に視線をくれる。
(お利口さん)
口の動きだけ、声は聞こえないから、実際何を言っていたかは分からない。けれど若様が莉都にそう告げたように思えて。
(ガキ扱いしないでください)
若様は今年23歳を迎える青年。6つ歳下の莉都を子ども扱いするのもしかたないことなのかもしれないが、やはり癪だ。
いつも子どもみたいにジャレて、安易な感情吐露をする若様だからこそ、たまに見せる大人ぶった態度に少し苛立つ。
何よりも、自分の些細な言動を何1つ見逃さないで、その意図まで理解して、ほめてくれることが。
(……腹立つんですから)
声を介さずに会話をして、莉都と若様はそれぞれ前を向き直した。
★★★
宮殿内に入ると、いっそまぶしいと思うほどの煌めきが莉都たちを包み込む。
目の前にいる若様にとても似合う装飾品たちがたくさん散りばめられた邸。
2年という月日を経ても、これらは一向に莉都には似合わない。
「とても綺麗な邸だね。そうは思わないかい、莉都。シュウ」
美しいものを心から「美しい」と思えるその若様の心に、莉都はある種の感動を覚える。田崎はまるで首ふり人形のごとく、若様の言葉を肯定するために首を縦に振った。
「天ヶ崎の屋敷も、これくらい煌びやかに飾りたいな」
「……すでに充分、煌びやかですよ」
莉都がボソボソと呟いた小言にも、若様はちゃんと反応してくれる。「そうかなぁ」と楽しげに思案していた。
そうして若様が邸の造りに興味を示していると、田崎が莉都の腕を軽く引っ張った。
「なんですか?」
「あの、胸にバッジをつけた方なんですけど……俺の見たところでは13人でした」
莉都のお願いをしっかり聞いていたらしく、田崎がこの邸に入るまでのレッドカーペットで数えた人数を伝えてくる。それを聞いて、莉都は少しだけ申し訳なさげに頬をかいた。
「何かの指標ですか? 俺、槇さんにも如月さんにも、そんな話は聞いてなくて……」
「あーいえいえ。なんとなく、数えてほしいなあって思って言ってみただけなんで、気にしないでください」
「え?」
莉都が素直に答えると、田崎の顔がどんどん険しくなってきた。「やってしまった」とは思いつつも、説明を付け加えるのはやはり面倒で、莉都は田崎の文句を聞き流すべく、深呼吸をする。
「莉都さん、俺、いい加減あなたには言いたいことが……」
「シュウ」
田崎の文句が始まる前に、若様が田崎のことを呼んだ。
もちろん田崎は自分の発言を投げ捨てて、若様の呼びかけに反応する。視線はすぐに莉都から若様へと移った。
「桐臣か、京介か。連絡がつくほうに、『僕の屋敷にも、等身大の木彫りの熊が欲しい』って伝えてくれるかい?」
「い、今ですか?」
「うん、今じゃなきゃダメ。僕の気が変わらないうちに」
若様は笑顔で言って、田崎に使用人の誰かと連絡を取りに向かわせる。
すぐに気が変わるくらいの物欲なら、その木彫りはたいして必要のないもの。若様がそんな突拍子のないことを言い出した理由を頭に浮かべつつ、莉都は隣に歩み寄ってきた若様を見上げた。
「別に……そんなアホみたいなこと言って助けなくても大丈夫ですよ」
「そういうつもりじゃないよ。あの大きさで、素晴らしい角度で立っているからすごく威厳があって、いい木彫りだなと思ったんだ」
語尾に音符マークでも飛び散りそうなほど、愉快な様子で若様は告げる。若様ならそんな理解しがたい感性も、本当に持ち合わせていそうで、莉都は「そうですか」と小さく返事をした。
けれどやはり、若様は莉都の考えていることを全部察してくれていた。
「ちゃんと『緊張を解してあげるためだった』と説明してあげれば、シュウは莉都に感謝しかしないと、僕は思うのだけど」
「別に感謝されたいわけじゃないですから」
「莉都は無欲だねぇ」
「欲だらけですよ」
「たとえば?」
「これが終わったらイチゴ牛乳買ってもらう、とかは常時考えてます」
「それは欲と言わないよ」
「普通の欲だと思いますけど」
若様に出会う前の莉都は、イチゴ牛乳なんて飲んだこともない。買うお金もなかったし、はっきり言ってそんなものを味わって飲むほど悠長な時間も持ち合わせてはいなかった。
「うーん、でもなぁ。なんというか、僕は莉都の優しさをシュウにもちゃんと理解してほしい」
「別に優しくないですよ」
「優しいよ! あんなふうに気遣って! 僕に対しては、こんな塩対応なのに!」
アホ丸出しの物言いと動作で、若様が訴えてくる。塩対応と言われても、莉都にとってはその対応こそが「普通」であるから、なんとも返事が難しい。
どうして若様は莉都のことになると、こうまでアホになるのか。それは、いまだ莉都にもよく分からない。
「でも莉都がせっかくいい子にしてるから、それはお仕事のご褒美とは別にちゃんと褒めてあげたいし」
毎日、莉都に対する甘さは変わらない。まるで小さな娘を愛でるみたいにして、若様は莉都のことを可愛がる。
「『いい子』のご褒美は、何がいい?」
繋ぎとめるように、ことあるごとにご褒美と称してプレゼントを用意して。
「くれるなら……イチゴ牛乳で」
でも莉都の知る最高のプレゼントなんて、それくらいのもの。
若様はそんな莉都をバカにすることもからかうこともせず、いつも笑顔で。
「うん。美味しいのを買ってあげる」
嬉しそうに、莉都の頭をなでてくれる。
出会った頃は、それが心底嫌いだった。