02
天ヶ崎家の朝は早い。
正確には天ヶ崎家の使用人たちの朝が早い。いわゆる意識高い系の使用人たちが集まっているからなのか、とにかく早い。
けれどたとえ使用人たちの意識が高かろうが低かろうが、彼女、弓森莉都には関係ない。
なぜなら彼女は天ヶ崎家の使用人ではないからだ。
周りがどんなに意識高い系の人間であろうとも、莉都は絶対に染まらない誓いを立てている。
誰に、と聞かれると困るが、あえて言うなら彼女の地盤のガッタガタな心に、だ。
しかし、使用人が早起きして天ヶ崎のお家のために働いているとしても、彼女は現在彼らよりももっと酷なことをしている――その自信があった。
世の中は広いから、そんなことを挙手してやりたがるような稀有な人もいるのだろうが、もし近くにいるならぜひ変わってほしいと莉都は心からお願いする。
「すみません。すっごく迷惑なくらい暑苦しいんですけど、放してもらえます? いい加減安眠妨害なんですけど」
ベッドに仰向けで横たわったまま、天井を見つめて莉都は告げる。
言葉を向けた相手は隣にいるが、莉都はそちらを向かない。向いてしまえば、事故で顔面が衝突する可能性があるからだ。
「ん、んんっ、もう少し寝ていたいなぁ」
「起きてください。若様はきっともう起きる時間です、たぶん」
「あいまいだなぁ。莉都も起きるー?」
「私は毎度言ってますけど、若様が私を抱き枕か何かと勘違いして抱きついていることにより、まったく眠れていないので今から眠ります」
「じゃあ、僕もまだ寝る」
「私が寝れないので起きてください。そして寝るなら自分の部屋に帰って寝てください」
「い~や~だ~」
駄々をこねるみたいにして、若様こと天ヶ崎朔優がうなる。
うなるのは彼の勝手だが、それにあわせてギューッと握りつぶすように抱きしめられる莉都は、絶賛呼吸困難だ。
ここは莉都の部屋。つまり莉都に部屋の権限はある。
しかし厄介なことに、若様は天ヶ崎家の現当主様の大事なご子息。現当主様がアメリカにいる今、実質的にこの豪邸において彼が一番だ。
つまり、莉都の部屋といえど、権限は莉都よりも若様にある。
出て行け、といって出ないだけではなく、彼が居座ると言えば追い出せないのだ。
だからこそ莉都に与えられたシングルベッドに若様が夜中忍び込んできても莉都は文句を言えず(文句を言っていも聞き入れてもらえず)、代わりに部屋を出て行こうとしても抱き枕代わりにされて身動きが取れなくなった(身動きを取ると、アクシデントで顔面が衝突しかねないほど密着されていた)のである。
「莉都はかわいいなぁ。もう2年も経つんだから、いい加減僕と寝るのに慣れてよ。ちゃんと眠らないと体に悪いじゃない」
「そう思うなら自分の部屋のどでかいキングサイズのベッドに寝てくださいよ」
「週3くらいでおとなしく自分の部屋で寝てるよ?」
「自分の部屋の意味……。ああ、そんなに人肌恋しいなら人の感触のある抱き枕的なものを作ってもらったらどうですか。お金はあるんですから」
「莉都を模した抱き枕か! それは名案だね! むむっ、でも、それはそれで本物の莉都にもっと会いたくなっちゃうから意味ないかもしれない」
「意味がまったく分かりませんけど」
口論をしても体力を削られるだけで、一向に若様は部屋を出て行かない。
莉都はため息を吐いて、若様に背を向けるように寝返りを打った。
「莉~都~、なんでそっち向くの~」
「おやすみなさい、寝るので話しかけないでください」
莉都は早口で告げ、眠りにつく。
夜通し、若様の寝息を聞きながら眠らずに目を開けていたのだ。そろそろ本格的に体力の限界だった。
若様ももう起き上がるに決まっている。そう思って、まどろんでいたのだが――。
「莉ー都」
「ひぃぎゃああああああっ!!!」
バーーーーーーンッ
「若様、大丈夫ですか!?」
叫び声を聞きつけて、莉都の部屋に使用人が入ってきた。
莉都の部屋に若様がいることをあらかじめ知っていたらしく、第一声がそれだ。
「大丈夫じゃないのは私ですーっ! ったくふざけんじゃないですよ! このクソ若様!」
ベッドの上、うなじを押さえて莉都は戦闘態勢に入っている。もちろん相手は少し距離を取った若様だ。
「り、莉都さん!? 若様に向かって失礼ですよ!」
「弓森、何してるん? おもろいなぁ」
従順な新人の使用人と、慣れ親しんだ緩い使用人が2人の様子を見て相反する反応を見せた。
新人使用人は悲鳴じみた叫びをあげるが、ベテラン使用人はケタケタと笑っている。
「人がぶてないからって、セクハラもいいとこですよ!」
「だって莉都が僕に背を向けるから! うなじなら舐めてもいいのかなって!」
「バッカじゃないですか!? じゃあ若様は街中で女の人の後ろ姿見たらなめまわすんですか! いぃやぁ、気持ち悪いですねえ!!」
「歩いてるのが莉都だったらなめ……ぶふっ!」
莉都が持っていた枕を若様の顔面めがけて投げつけた。若様に傷をつけるような暴力はできないが、この程度なら莉都にも若様にぶつけることができる。
しかし、傷がつかないといえども若様に枕を投げつける莉都の失礼な行為に、新人がまたしても悲鳴を上げた。
「莉都さん!!」
「あっはは! シュウくん、放っとき。のろけとるだけやさかい」
「如月さん、うるっさいですねぇ! 無駄口叩いてる暇あるならこのド変態若様をどうにかしてくださいよ!」
「どうにもできひんて〜。若、弓森に対してはどうしようも変態止まらへんもん」
方言の強いベテラン使用人こと如月桐臣は莉都の状況を楽しんでいる。止められないのではなく、彼の場合は止めてくれない。性悪な人間だ。
「違うよ! 僕は変態じゃない! 莉都に対して溢れる気持ちが止まらないだけなんだ! つまり莉都のことが大好き! 愛してるってこと! 分かる!?」
「気持ち悪いこと言ってないで、部屋から出て行ってください! 私はそこに寝るんです!」
「莉都が寝るなら僕も寝るってば!」
対抗するように若様がそう告げた瞬間、莉都の部屋の前で盛大なため息が吐き出された。
「若、もう起きる時間ですよ」
ベテラン中のベテラン。使用人たちのあいだの実質的トップーーつまりは若様の右腕であらせられるお方がやってきた。
「ええっ、ひどいよ、京介」
「ひどくないですよ。若、今日は予定があると昨日のうちに伝えてあるんですから、起きてください。子どもじゃないんですから」
若様相手に冷静かつ的確な指摘をしている。もちろん、仕事はばりばりできるスーパーワーカーだ。
「槇さん、ありがとうございます」
「弓森、お前も起きろ。二度寝禁止。寝てる暇はないって昨日伝えただろ」
「無理ですって。眠すぎて何もできません」
「そうか。じゃあ冷蔵庫にあるお前のイチゴ牛乳はすべて処分する方向で手配しよう」
人の扱いがまったくもって上手なのだ。
おかげさまで寝不足なまま、莉都は一日を始めることになるのだった。




