ユキ君
染井雪。
この字面だけを何の前情報もなしに見たのなら、ほとんどの人がきっと女性だと思うだろう。けれどこの名前を持つのは男の人であり、私の恋人だ。彼は女みたいだという自分の名前を嫌っていて、何人たりとも雪と呼ぶことは許されなかった。
けれどそんな彼は私にだけは下の名前で呼んで欲しいと言った。彼は私より二つ年上で、大学の学部は違うものの同じサークルに属していたから付き合う前は染井先輩と、付き合い初めてからは名前嫌いなのを配慮して染井君とずっと呼んでいたのだ。
「雪君?」
誰も口にしない彼の名前を初めて発した時、私はどんなイントネーションで呼べばいいのか戸惑い、彼の名前の字面通り自然の雪と同じく“き”の方を高く発音して呼んでみた。
「確かに僕の場合は字が同じなんだけど『雪』と一緒なのは嫌かな。普通に人名読みの『ユキ』と同じアクセントで呼んでくれると嬉しいな」
「ユキ君?」
今度は“ゆ”の方を高く意識して彼の名前を呼んでみる。このイントネーションでいいのか自信がなくてつい疑問形になってしまった。
「うん、それでいいよ、結菜」
嬉しそうに笑うユキ君を見て私は彼のより特別な――唯一その名前を口にできる存在になれた喜びを噛みしめていた。
私はユキ君と一緒にいるだけで心臓が高鳴って、そのドキドキが胸から溢れ出てしまいそうなぐらい苦しく、けれど温かく時には熱くなった。私にとってそんな愛しいって気持ちを初めて抱かせてくれた大切な人がユキ君であり、彼もまた私のことを愛してくれ必要としてくれた。
私にとってユキ君は特別で、ユキ君にとっても私は特別。お互いがお互いを必要として欲している。
彼に愛され彼を愛す。その時の私にとってそんなユキ君と過ごす時間が何よりも幸せだった。