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人の傘

作者: 春日戸

「ん……」


 ベッドで寝ていた私は、唐突に目を開いた。眠気はまだまだ残っていて、起きたというよりかは、二度寝の準備を始めているような感じ。だから、すぐに目を閉じて、眠りについた。

 しかし、どのくらいの時間が経ったかは分からないが、恐らく短い間に、また目が開いて、また目を閉じて、眠る。それを、何度か繰り返した。寝つきがとても悪い。身体は眠ろうとしているのに、脳が起きているようで、金縛りに遭うかも。と、微かな思考の中で思った。


 そんな稀有な現象は起きることなく、朝が来た。


「……?」


 珍しく鳥の鳴き声がしなかった。

 家の近くに街路樹があるから、いつも目覚ましのように五月蝿いのに、どうしたのだろう。部屋の中は薄暗く、まだ、夜が明けていないのかもしれない。手探りで携帯を探して手に取り、時刻を確認すると、7時を回った頃だった。

 いつもなら、もっと明るいのに。

 そう思った矢先、ポツ…ポツ…という雨音が、隠れたように鳴っている事に気付いた。


「雨、降ってるんだ」


 私は、天井を漠然と見上げた。起き立ての頭は、まだぼんやり。瞼も重くて、油断していると閉じてしまいそう。でも、学校があるから、それはしてはいけない。

 欠伸を交えつつ、私は部屋から出て、洗面所に向かった。


「うーん……」


 顔を洗えばサッパリすると思っていたが、効果はイマイチ。身体がだるくて、高校生になって2年、着馴れたカッターシャツや、紺のブレザーやスカートという制服を身に纏うのが億劫だった。腕とか足とかに、アンクルを着けているようで、一動作がすごく遅い。親の目が在ったら、キビキビとしなさいと怒鳴られるだろう。


 登校の準備が完了した私は、学生鞄を手に取り、リビングに向かった。

「おはよー」


「おはよう、佐奈。今日はブルーベリー入りよ」


 朝はそこまで食欲が湧かないから、摂るものといえば、ヨーグルトぐらいだ。お母さんもその事が分かっているから、いつ決まったかも忘れてしまった、私の席といえるテーブルの隅に、特製ヨーグルト(自家製)とスプーンを日課のように置いている。


 ヨーグルトを食べている私に、お父さんは、「寝ている梟みたいだなぁ」と笑いながら言った。

 舌に乗せたヨーグルトを少しずつ潰して楽しんでいる私は、寝ている梟はヨーグルトを食べるのだろうかと妙な黙考をしていた。



「行ってきまーす」


 玄関を閉め、私は自転車に乗り込もうとしたが、雨が降っていることに気付き、慌てて合羽を引っ張り出した。


 自宅から再出発してからも、眠気は晴れなかった。

 薄暗い空と、重たそうな雲が光を支配していて、〝どんより〝とか〝もやもや〝なままで、夢現の状態が続いている気がする。

 まだ夢を見ているのかな。と思ったりするけど、自転車を漕ぐ度に疲労が蓄積される感覚とか、手とか顔に当たる小粒の雨が、現実だよ、と背中をトントンと突くように教えてくる。


 住宅街を抜けた私は、今度は道路に出た。自転車は原則として道路の隅を走らないといけないらしいけど、雨で滑りやすくなっている白線とか、グレーチングがタイヤに嫌がらせを出してくるから、怖くて出来ない。

 皆もそれを分かっているみたいで、歩道を我がもの顔で走っている。傘とぶつかりそうになる、前にいる男子にヒヤヒヤしながら、私は彼が開けてくれた道を追従する形で走った。

 そうしていると、ふと、気付いた。

 私の自転車、とても早い。近くの車道を走る車を、みるみる追い越している。


 1台、2台。ううん。もう、50台くらい。


 車はノロノロと動いては止まって、またノロノロと動き出す。痴呆症の亀みたいだった。

 信号で立ち往生でもしているのかと思ったけれど、前というより、奥を見渡すと、列は続いていて、渋滞をしているのだと知らせてくれた。


「わぁ……」


 私はその光景に少し目を輝かせた。

 薄暗いから、テールランプがイルミネーションのように輝いていて、吸い込まれてしまいそうなほど、綺麗だった。それほど珍しいものでもないけれど、何だか、この光景が不思議でたまらなかった。

 いつもは、気にしていなかったからかな。と思う。

 今日は何だか変だ。


「ん……」


 キッと私はブレーキをかけた。

 赤みが続いているせいか、今日は信号の赤にもよく出くわした。

 私が近づくと、黄色に変わって、すぐさま赤に変わり、通せん坊。狐に化かされたようで、少しムッとする瞬間だ。

 静止すると、合羽に当たる雨粒の音が、パタパタと鳴っているのがよく響き、何故か眠気を誘ってくる。単調な音を聞いていると、脳内が寝息と勘違いして、お休みの合図だと思うのかな。

 少しだけ、目を閉じてみることにした。

 すーっと瞼の奥にある何かが潮の満ち引きのように流れていくのが分かる。鼻に通る空気の音もしっかりと聞こえて、落ち着く。


「…………とっ」


 頭がカクンとしたのを機に、信号がいつの間にか青に変わっていることに気付き、私は動き出した。


 学校に着いた私は、2年A組の教室の窓側一番奥である自席に着いた。簡素な朝のHRホームルームも終えて、本格的に授業は始まる。

 でも、内容はまったくといっていいほど頭に入ってこなかった。

 教卓の前に立つ先生が、意味の分からない言葉とか、読経でも口走っているようにしか聞こえない。

 ノートを開いているのに、文字は一つも書かれず、隅っこに黒いミミズの這った様な後が、私の手元のシャープペンシルから続いていた。

 集中力、ないなぁ。と私は思って、窓の外を見た。


 窓越しに見る雨は、降っているのかどうか、目を凝らさないと見えないくらい、細かった。

 透明なシャープペンシルの芯が落ちてきているのかと思える。そう慮っていると、針金の大群のような雨が、地面に剣山を築く勢いで降ってきた。

 捻くれた雨だなぁ。という感想を落としつつ、「弱くなれー」って想ったら、弱くなるかな…と、メルヘンチックに考える。

 それを嘲笑うかのように、雨はドンドン強くなった。でも、直ぐに弱まりを見せた。バケツをひっくり返したって言葉がよく似合う、一時だけの強がりだったようだ。


 授業は終わって、10分程度の休み時間を謳歌するクラスメイト達のざわめきが響き出した。

 まだまだ眠たい私は、誰とも会話することなく、机の上に突っ伏した。

 そうしていると、ある話が耳に入ってきた。


「こういう日って、剥ぎ取りさんが出そうだよね」


「うん……。怖いよね……」


 女子の会話だった。

 こういう日というのは、雨のことを指すのだろうか。

 私は起き上がり、話に交ざることにした。


「剥ぎ取りさんって、何?」


「佐奈ちゃん、知らないの?」


「うん。初めて聞いた。名前的に怖そうな話?」


「すっごく気持ち悪い話だよ」


「どんなの?」


 彼女らは、お互いの顔を見合わせた後、口を開いた。

 それは聞き慣れない、わらべ歌のようだった。



――――歯車回らぬ雨日夜。唐草模様の着物着た、大柄男が傘差して、穴を埋めよと人探す

――――傘を廻して、人探す。穴開いた傘を埋めるべく。人探す。顔探す

――――剥ぎ取りさん。剥ぎ取りさん。人の顔見て、ほくそ笑む

――――人の顔取り、嘲笑う


 

 都市伝説。と呼ばれる類の話だ。

 雨の日には、剥ぎ取りさんと呼ばれる人が出没し。会ってしまうと、顔面を剥ぎ取られてしまうというものだ。

 今日は『そういう日』に近似しているようで、話をしている彼女らの顔はドンドンと青ざめていっていた。

 外は真っ暗で、確かに何か出そうな感じ。遠くに見えるビルが廃ビルに見えたり、木々は霊魂が宿っているような不気味な姿に見えたり。視覚的情報が改竄されて、怖々が上塗りされていく。

 ブルッ――と、怖気が走った。



 恙無つつがなく学校は終了し、帰宅したのだが、私は母におつかいを頼まれてしまった。

 言い分を聞けば、メールを送ったはずだと言われ、確認すると下校途中の時間に送られていたことが判明した。こういう時、どちらが悪いのか――まあ、近くのコンビニに夕飯に使うマヨネーズを買ってくるだけだし、別にいいか。おつかい料として、好きな飲料を買ってやろう。



 私は傘を開いて外に出た。


「……」

 コンビニに、マヨネーズは無かった。無かったというのは、取り扱っていないという訳ではなく、運悪く売り切れてしまったということ。

 私はしつこく振り続ける雨に嫌な顔を向け、少し遠いスーパーに足を運ぶ。

 その道すがらで、信号に捕まった。

 そこで私は、違和感を強烈に覚えた。


 横断歩道を挟んだ対面側にも、どこにも人がいない。車の通りも全くなく。私一人、暗い暗い空の下で突っ立っているのだ。何だか心臓がそわそわしているような気がする。

 視界が、妙に揺らいだ。次いで、耳――というよりも脳に、わらべ歌が再生される。


――――歯車回らぬ雨日夜。唐草模様の着物着た、大柄男が傘差して、穴を埋めよと人探す

――――傘を廻して、人探す。穴開いた傘を埋めるべく。人探す。顔探す

――――剥ぎ取りさん。剥ぎ取りさん。人の顔見て、ほくそ笑む

――――人の顔剥ぎ、嘲笑う


 意識しようとは思っていなかったが、無意識下で勝手に流れた。


「……剥ぎ取り」


 私はソレを口にして、首を小さく振る。

 意識すればするほど、胸にある不安の塊が脈打って、それが鍛冶のように妄想をみがいてしまう。


剥ぎ取りさんに、出会ってしまうかも――


 そんな妄想が、掻き立てられてしまう。

 こうなってしまったら、時間が解決してくれるまでは、怯え続けなくてはならなくなる。

 お風呂が怖いし、皆が寝静まってからのトイレが怖い。白いカーテンが全く別のモノに見えたり、ドアノブを握ればその手を扉の隙間から掴まれてしまうかもと、想像してしまったり。

 忘れるまで、思考の深みに嵌まり続けなければならなくなる。


「寝不足なのに……」


 憂鬱が降りてくる。はぁ……と溜息を吐いて、地面を見る。


 と。


パシャン――


 誰かが横についた。

 人が居て良かった――と思った。

 けど。


「え?」


 耳は疑いを掛けた。――足音がなかったから。

 横につくにしろ、先ほどまで一切の足音なく、近づいてこられるものなのだろうか。

 私は地面を見ていた視線を横に振る。


「……」


 まず、草履を捉えた。それから、唐草模様の着物。

 耳は新たに、パタ……パタ……という雨を弾く音を。鼻は、妙な生臭さを嗅ぎつけた。



「…………」


 テレビの砂嵐の音に似た雨の音が、やけに耳を劈いた。

 いつからか、息は細切れで。目は痛いくらいに見開いていた。

 血の気が、引き潮の如く引いていく。


 居る。――ソレは居る。


 視線を上げて捉えた、細身で、顔が真っ暗で何も窺えない『人でない人』は、私の横に居た。

 私は身体を横に逸らした。

 〝ソレ〝の姿だけでなく、手に持つ傘も、異様だった。

 傘の帆には、幾重にも連なる人の顔面が貼り付けられていた。――若い女性の顔。年老いた男性の顔。中でも多いのは、幼い子どもの顔だった。

 それは、デザインを施されたものではない。不自然な凹凸おうとつが浮きぼる……紛れもない三次元の人の顔だ。

 口が開いているモノがあったり、舌を出しているモノがあったり、目から血を垂らしているモノもあった。圧倒的な、圧迫感に私の脳は一瞬尻込む。


 そして、状況を認識――後。私は「ひっ……」と、悲鳴に至らない声を漏らした。

 大声を上げようとする前に、喉が痞えた。胸が張り裂けそう、いや、押しつぶされてしまいそうだった。

 吐く息は重く。指先や足の筋肉が微細ながらも勝手に蠢くのが分かった。


 人の顔の大群を目にした瞬間から、腹の底から込み上げてくる何かがあった。気分の悪い津波のような何らかの流れが、恐ろしいほど鮮明に分かった。

 間違いなく、これらは警報だ。

 身体が、逃げろと叫び回っているんだ。


 私は従う。

 目の前に突如として現われた異質から距離をとる。視線を動かすことなく、慎重に足を退いていく。


一歩、二歩、三歩……


 数メートルを空け、私は――




 パシャンパシャン……と、水を撥ねつけながら、私は駆けた。形振り構っていられなくて、傘を捨てて、恥を捨てて、ただただ駆けた。

 後ろは、振り向けなかった。ナニかが陽気に――傘を回しながら、追って来てそうで。


「傘に……人の……顔……っ!」


 走りながら口頭し、目の当たりにした出来事を顧みる。

 間違いなく、アレは剥ぎ取りさんだ。わらべ歌と近似どころでない、同じだ。


 じゃあ、何で。――何で、私の前に現われたのだろう。

 まさか。


 私は、恐怖で立ち止まった。立ち竦んだ。

 相変わらず、人通りは全くない。車の通りもない。人気など何処に行ったのか、元々あったのかさえ分からない。


 パタパタパタと傘が鳴らす雨の粒の音に雑じって、背の方からパシャンパシャンという足音が聞こえる。近づいてくる。

 足が、震えて、逃げられない。

 一方で、耳はひたすら仕事をする。


〝カオオクレ〝


 粘液を纏った虫が這うような音に似た声が、背筋を伝った。


「や……や……っ……やだっ……」


 意識が朦朧とした。


〝カオヲ〝


 視界が揺らぐ。そんな時、何者かの手が、私の顔面を覆った。身体中に浴びせられていた雨が、ふっと消えていた。手の隙間から上部を覗くと、剥ぎ取りさんの傘が空を塞いでいた。人の顔の大群の一人が、ニィ……と不気味に笑った気がした。

 まるで、仲間を見つけたように。


〝ア……。ヒンソ……〝


 ヘドロの感触に似たその手は、私の顔を――全て覆い隠して。


「アァアアアアアアアアアーーーー」


 意識は、そこで途切れた。




「…………」


 サーっという雨の音が耳について、私は目を覚ました。

 そこは歩道のど真ん中で、私は倒れていたようだった。


「え……」


 直ぐに思い返して、顔のいたるところを手で触る。血が出ているのではと、皮膚に触れては手を遠ざけて見るが、何の痕跡もなかった。無傷だ。鼻も口も、当然、目も耳もあった。


「夢……?」


 剥ぎ取りさんに出会った事を否定したのはいいが、心臓の鼓動は落ち着きなく不安を打っていた。

 記憶に鮮明に残る。剥ぎ取りさん――と、人の顔を貼り付けた傘の姿。

 生唾を飲んで、私はわらべ歌を思い出した。

 それから。


 傘   という漢字を思い浮かべて。


 心底、ゾッとした。


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