第五章『気分はもう大戦争』
第五章『世界はもう大戦争』
昭和37年の秋、六年の教室、教師は青白い顔をしていた。
子供たちはそれほどではなかったが、水爆戦争が始まるかも
しれないということは知っていた。
キューバのミサイル基地を巡る一触即発の『キューバ危機』
米封鎖艦隊がソ連船を攻撃すれば全面核戦争につながる可能性は高い。
それにしても日常の何という強靭さ。児童は登校し、給食は配られる。
人々は東宝映画『世界大戦争』のように逃げ出すことも、
最後?の夕食にごちそうを並べることもなかった。
あきらめ?それとも、明日世界が滅びるとも今日リンゴの種を植える?
少年は『生焼けは勘弁してほしい』と思っていた。
映画『渚にて』のように放射能で弱っていくのも願い下げ。
一瞬で楽に蒸発できるのならかまわない。
自分を苦しめる世界などなくなってしまったほうがよい。
苦しめているのは主に『給食費』だった。
相変わらずの貧困故、滞る給食費の納入を毎日のように教師と
集める係の生徒から催促されるのに嫌気がさしていたからである。
少年にとって自分を含めた人類、いや地球の全生命と給食費は等価だった。
結果は現在も人類は存続している。
ソ連首相フルシチョフは細々と年金生活を全うしたようだが、
米大統領ケネデイは二年しか生きられなかった。
若く情熱的な大統領が始めた事業の一つは彼の死後六年ほどで
人類が月にいったとされてクライマックスを迎える。
もう一つの方は彼と後継者たちが深入りしたアジアの一画の紛争地から
アメリカがたたき出されて終わる。
少年と『ベトナム戦争』との具体的な接点は一度しかない。
昭和47、8年頃神奈川県のノースピアと呼ばれる港湾施設から
ベトナム向けの軍事物資が搬送されることに対する抗議デモ。
会社員になっていた少年はデモに参加した訳ではもちろんない。
属する企業の関連施設が近くにあり、巻き添えを食わないか
見張りにかり出されたのだ。
寒い夜…見物人目当ての屋台で買ったワンカップの燗酒を飲みながら
二十メートルほど先の激闘を見ていた。
多人数の大人の本気のどつき合いを生で見るのは初めてだった。
結論…石は装甲車に穴をあけられず。木の棒はジュラルミンの盾を破れない。
警察機動隊とデモ隊の数は同等に見えた。ならば正面からぶつかりあえば
武器と練度の差が冷厳に勝敗を決定する。血だらけで倒れるデモ隊の前を
修理済みの装甲車両を乗せたトレーラーが通り過ぎていった。
話が先走りすぎた。
中学生時代、少年はあまり戦記と関わりを持たなくなる。
図書室で借りた『スターリングラードの攻防』『遼陽大会戦』…なんで置いてあった?
『タイタニックSOS』…は戦記じゃないけど…を読んだぐらいだった。
そのとき感じたもやもや…『もしもこうしておけば』…は発展することも
形になることもなかった。
少年はなんと高校に行けることになった。
公立、バイト、奨学金という縛りはあったがなんとかクリア。
彼はそこで友を見つける。直接ではないが妄想戦記につながる仲間たちを。
つづく