第四十三章『東方を征服せよ』
第四十三章『東方を征服せよ』
…という意味の名前を持つ港湾都市ウラジオストックは冬期に海が氷結するが
旅順港を喪った今、ロシア帝国にとり極東で最大の海洋への出口だった。
そのウラジオストック北方五十キロの海岸に日本軍が上陸したのは、
貧弱なサガレン(樺太)の守備隊(歩兵一個大隊)が日本兵一個師団強、約二万に
追いつめられているさなかの六月十日のことだった。
韓国領内に留まっていたロシア軍部隊も駆逐され、五万(過大、実数一万五千)の
日本軍が沿海州に侵攻する態勢だという情報も入って来ている。
接近して来る十万(とても過大、実数三万五千)の日本軍を防ぐ手だては無かった。
日本の騎兵団が後方の鉄道や通信線を破壊してウラジオストックが孤立したとき
ロシア皇帝はようやく本格化していたルーズベルト大統領の講和提案を内諾した。
交渉の全権代表には外国からは開明的政治家として、国内からは『シベリア鉄道建設の
推進者で戦争を招いた張本人の一人』として評価のわかれるウィッテ伯爵が選ばれた。
日本海海戦の勝利にもかかわらず、東郷司令長官の戦死や政府の情報統制…後述する…に
よって静謐を保つ日本からは小村寿太郎外相と高平小五郎駐米公使が全権委員の任に就いた。
満州野戦軍は二十万の兵で鉄嶺の線を固めていた。北進の余裕は無いものの
砲弾(五十万発)、食料の備蓄は椿の軍がまわしたこともあって充分であり、いまだ
回復していないロシア軍の南下を防ぐのに不足はなかった。
椿の軍は名目上『鴨緑江軍』の傘下に入り活動していた。若干の後備旅団とともに
樺太、朝鮮半島、そしてウラジオ近郊に展開しているのはその鴨緑江軍なのである。
『我が領土はマカーキに侵されておらぬ』というニコライ二世の態度を崩すため
椿は長岡外史の主張する軍の創設を支持した。大本営直轄軍として自由に
動かせることが必要だったからだ。奉天会戦の後、内地…主に北海道…に
帰還していた『後備の兵』の正体がそれであった。
樺太には日本海海戦の翌日、護衛なしの見切りで…ウラジオの方も海戦の結果を受け
制海権確保に不安なしとされたが、それでも装甲巡洋艦二隻を主力とする艦隊に
護衛されての上陸作戦が行われた。
大山、児玉のもとには砲兵一個旅団と特設機動師団が一つ残された。
日本騎兵は秋山好古のもとに集められ『秋山騎兵団』として強大な戦力単位を
築いており陸軍にその存在を定着させつつあった。
一方ロシア軍はハルビンになんとか十万の兵を集めたが防御線の構築がやっとで、
とても攻勢には出られない。ウラジオ救出も現時点では夢物語…
『日本軍を破るには?』『五十万あれば必ず!』
だが、中央、地方を問わず政府要人に対する襲撃、暗殺事件が相次ぐ中でそんな兵力を
送ることはロシア帝国の崩壊に直結すると誰もが思った。それほどロシア国内は
騒乱の機運に満ちていたのだ。
バルカン半島の情勢も気にかかる。ロシア帝国としては汎スラブ主義の立場から
セルビアを支援してオスマントルコ帝国と対立していたが、ここへ来て
オーストリア帝国、ドイツ帝国の介入の気配が高まって来ていた。
史実では第一次世界大戦の直前1912〜3年にかけてバルカン戦争が勃発して
この地域の中小の国家群が戦禍に見舞われることになるのだが…
『ロシアはなめられ始めている』…ロシア帝国の栄光が軍事力のみによって
支えられているとするならば、これ以上極東の地で消耗するわけにはいかない。
しかし、交渉の地アメリカのポーツマスに向かうウィッテは決裂を予想していた。
皇帝ニコライが彼に与えた訓令は次の通り…
『一ピャージの土地も、一ルーブルの金も敵に渡すことなく講和を結ぶべし』
つづく