第二十六章『未知との遭遇』
第二十六章『未知との遭遇』
日本軍は東西およそ七十キロメートルに渡って細長い戦線を形作っている。
右翼(東)に大将黒木為禎の率いる第一軍。第二、十二、近衛師団を中核として
約四万の兵を擁する。開戦劈頭、朝鮮半島に上陸して北上、鴨緑江では
ロシア軍陣地を1日で突破して勇名を轟かした。
遼陽ではロシア軍の左翼を迂回して、側背を脅かすことでクロパトキンの
動揺を誘いロシア軍退却のきっかけをつくった。
クロパトキンは、この『クロキ』を警戒すること大である。
中央正面は第四軍、第五、十師団など兵力は四万強。日本軍の中では砲力が
もっとも充実している。軍司令官は野津道貫大将。
左翼(西)は第二軍。奥保鞏大将指揮下に第一、三、四師団の四万の兵。
五月に遼東半島に上陸、旅順を遮断するための金州、南山攻略戦で大きな損害を
受けたが、歴戦の兵の戦闘力は高い。
これが少し前までの陣容である。
史実ではこの時点の日本軍の状態は最低であった。
まず、砲弾が無かった。内地から細々と送られてくる砲弾はほとんどが
旅順攻撃にまわされ、とても大作戦…奉天を攻めるといったような…は
できず、戦線の維持だけで手一杯といったところ。
また、満州野戦軍の頭脳というべき児玉源太郎が三週間近くも司令部を留守にしていた。
大苦戦の続く旅順に督励に行っていたのだが、帰ってきてからも冴えが見えず
『旅順ぼけ』といわれる始末だった。それほど旅順の惨状は児玉にこたえていた。
実質日本陸軍の命運を担うこの小男の寿命を縮めほどのつらい時期だった。
だがしかし、『御使い』の出現により状況は劇的に変わっている。
砲弾は輸送力に限界があるにせよ、最優先で送られてきており三十万発という
これまで日本軍が見たことも無い量が蓄積され、さらに増え続けている。
新兵器?鉄かぶとは重さ故に兵には不評だが、頭部の損傷を減らすことは
間違いないだろう。そして…
脚気の患者が減少し始めていた。『麦飯のご利益』は軍医達を驚かせ、
顔色を無くした森林太郎は著述の世界に専念していくのだが、それはまた別のお話。
なにはともあれ戦闘行軍の連続となるであろう戦いを前にうれしい報告だ。
旅順攻撃はめどが立ち、後顧の憂いは無く前面の敵だけを考えれば良い!
児玉はさらにもう一枚の札を手にして、全軍に行動開始を発令した。
ロシア軍は『クロキ』の右翼に大兵力をぶつけて突破し、日本軍の背後に出て
一挙に満州軍司令部を叩こうとしている。
総司令部としては第一軍に踏ん張ってもらうしかない。
その間に第二軍と第四軍を前進させ、ロシア軍を分断、包囲しようというのだ。
十万以上の兵が横一線に並びひた押しに押す。言うは易いが実行は極度に困難な
作戦である。だが、日本軍は奇跡にも見える総進撃をやり遂げた。
一部の、見る目を持つ在日外国武官から『世界一流』と賞された兵士達の
練度と健気すぎるほどに持つ、命令…国家への忠誠心がそれを可能にした。
しかし、ことはそう簡単ではない。ロシア軍の士気も旺盛であり
第一軍の右翼は圧迫に耐えかね、崩壊の危機に見舞われることになる。
それを救ったのが、最右翼にいた第二騎兵旅団だった。
『日本騎兵の父』秋山好古少将…第二軍左翼、つまり日本軍最左翼で
第一騎兵旅団を率いて行動している…の献策よって日本騎兵は機関銃を
装備していた。ロシアのコサック騎兵に対する体格、馬格の不利を
火力で補おうというものである。人間と同じように日本馬も外国の馬と
比べると、おとなと子供くらいの大きさの違いがあった。
ちなみに椿の軍が持っている馬匹は日本馬と外国馬の混血種で少し大きい。
第二騎兵旅団がロシア軍の側面に展開して、騎兵砲と機関銃を撃ちまくった
ことでようやく第一軍は危機を脱した。
沙河南方の大平原で日露合計三十五万の軍勢が繰り広げた第スペクタクルは
奥第二軍がロシア軍の戦線に穴を開けたことによりクライマックスを迎える。
ロシア軍将兵は戦意を衰えさせていなかったが、肝心の総指揮官クロパトキンが
腰を引き始めてしまった。『日本軍に打撃は与えた。次は奉天で完全勝利を
目指そう』…要するに激烈な戦いの割に思ったほどの戦果があがらないことで
嫌気がさしたということだ。
ロシア軍が下がり始めたという報告に、児玉源太郎は切り札を切った、
『予備軍』の投入である。これまで日本軍は作戦に必須なこの部隊を
ろくに持たなかった。なにしろ、巨大な敵兵力と対峙するため手持ちの兵を
目一杯広げて配置しておかなければならなかったから…
今はそれがある、乃木の第三軍…だ!
第三軍は椿の軍と入れ替わって北上したが輸送の貧弱さから全部はそろって
いなかった。第九師団は後方で損害の補充中である。第一と十一師団は
着いていたが補充を待たずに来たので戦力は目減りしている。
だが新鋭の第七師団を加え三万を超える兵力を持っているのだ。
会戦五日目の夜、第三軍は進撃を開始した。
その猛烈な打撃力は出現の意外さと相まってロシア軍将兵をパニックに
陥れるものだった。
さもあろう、第一、十一師団の将兵は絶望的な要塞攻撃から解放され
むき出しの人間を相手の戦いに元気百倍。
一方、第七師団は最精鋭を謳われながら内地に留め置かれていた
鬱屈をはらすべく、傷ついていない戦力を敵に叩き付けた。
沙河の会戦は十月十四日の夕方から戦場一帯に降り出した豪雨によって
終結する。
日本軍の損害、死傷約二万。
ロシア軍…終盤に第三軍の猛攻で右翼が壊滅、死傷七万五千
捕虜二万を出す惨敗だった。
この時点で満州の日露の兵力がわずかながらも逆転したのだ。
勝報にわく大本営で椿は一人愕然としていた。
『クロパトキン大将更迭、ロシア野戦軍はグリッペンベルグ大将の指揮下に』
このような事態をまるで予想していなかった訳ではないが、椿の戦略は
クロパトキンに対する知識に多く拠っていたことも確かだ。
猛将グリッペンベルグ率いるロシア軍との戦い。
それは未知なる歴史との遭遇になっていくのだろうか…
つづく
作品に対する評価、感想有り難うございます。妄想の垂れ流しには光栄の至りです。十五章あたりまではほとんど記憶のみで書いていましたが、さすがに調べものも多くなってきました。話が勝手に動き出した感じでミッションをコンプリートできるか不安です。