第二十一章『黄金の指を持つ男』
第二十一章『黄金の指を持つ男』
「ご飯、おつけしましょうか」
「ん…いや、これくらいにしておくよ、レイさん」
ちゃぶ台に飯茶椀を置きながら、向かいに座る女に応えた椿は
半開きのふすまの先に座っているもう一人の女に声をかけた。
「ミサさん、お茶をもらえますか」
東京、早稲田の家の十二畳ほどの部屋、ランプの光の下でタバコに火をつける。
レイ達ももう慣れたようだが、小さな透明な棒のようなものから火が出るのを
初めて見たときは二人とも目を丸くしたものだ。
いつまでも旅館暮らしは…ということで、長岡に手配してもらったこの家は
広い敷地の中にいくつかの棟があって、おあつらえ向きの物件だった。
一番大きな母屋には護衛に残した小隊の兵を入れ、椿は離れ…風呂も台所もある…に
暮らしている。そばにあるいくつかの小さな離れに将校…副官の矢向中尉や
レイとミサ、二人の女中(お手伝いさん)を住まわせている。
元はそこそこ大身の武家屋敷であったのだろう。深い井戸もあってビールが
冷やせるのが何より有り難かった。ただ、電気はないのが少しつらい。
電燈はまだ役所や大手新聞社、大企業など都市の中心部から広がり始めたばかり、
電話も同様だ。近代国家のインフラ整備はまだまだ時がかかる。
二人の女中は長岡がつけてくれた。食事は炊事兵がいるし、辞退しようかとも
思ったが、自分で飯を盛るのも従卒にやらせるのもいまいちなので受け入れた。
椿がイメージする女中像は、集団就職で来た赤いほっぺのお姉さん、先代からずっといる
ばあやさんといったものだが、二人は少し想定外だ。レイが二十四、ミサは二十二と
いうことだ…数え年か…見かけはもっと若く見えるが落ち着いた感じがする。
軍人の娘か戦争未亡人、そんな考えがよぎる。長岡やそのバックにいる山県有朋達に
しても、『御使い』のことを探る気があって当然だ。それが大人というもの。
ゴロゴロと喉を鳴らして全身で狎れてしまうのは気持ちが悪い。
それはこちらも同じ、自前の護衛兵を残したのはそいうことだ。
この時代の日本が完全に大人かというと、全体的に見るとそうはいえないだろう。
現在椿は折りをみては山県達と会合を持ち、日本の進路について助言をしたりするが
当たり障りのない程度にとどめている。六万の兵と百万発の砲弾の効果は続いているが
多すぎる押しつけは禁物だ。ここぞというとき新たな恩恵と引き換えに意見を
通すのがベターだ。戦局を見ながらタイミングを計らねば。
小さな子供は千円の菓子の半分よりも百円の菓子を丸ごともらう方を好むという。
椿はこの半大人の国を相手にしていくのだ…結構疲れる。
「ふたりはマッサージはできるかね?」
「は………?」
「ん…と、ご両親やおじいさんの肩を叩いたり腰を揉んで上げたことは?」
「按摩でございますか」
顔を見合わせる二人、どうやら経験なしか。
椿はマッサージが大好きである。月に一、二回だが定期的に受けていた。
金と時間があれば毎日でも受けたいぐらいだ。別に、どこが痛いとか凝っている
とかの自覚症状がある訳ではない。ひたすら気持ちがよく、精神的に
リラックスできるのだ。男女にかかわらずマッサージ師は強揉みタイプはダメ!
椿のかかりつけのセンセイは、マスコミでもちょっと取り上げられた女の人で
本来女性専門なのだが、昔からの飲みや友達ということで特別に診療して
もらっている。クローン?を出現させる試算をしたら二千万ポイント…
あきらめざるを得なかった。
「あの…お申し付け下されば、行き届かないとは思いますがやらせて頂きます」
「それは…有り難う。ただ、マッサージにはプログラム…手順というものが
あってね。むやみにやっても効果はあげられないんだ」
「教えて頂けますか」
二人ともやる気はあるようだ。教えましょう!数十回受けたセンセイのプログラムは
頭と体が覚えている。
「布団を敷いてください。それから二人は寝間着に着替えてきて」
さすがに少し体を固くして、顔にも赤みがさしたようだが、だいじょうぶ!
君たちは美人であるし身体も豊かそうだが、僕のストライクゾーンからすると年増すぎる。
もちろん椿の秘めたる嗜好が口から出ることはない。
大きめのバスタオルを用意して…と
「レイさんから始めようか、ここに横になって下さい。ハイ、そーです
ミサさんはそばでよく見て手順を覚えるようにね」
「どこか痛かったり疲れてるところありますか?」
「あ、いえ、特には…」
「はい、身体を横に向けてください」
横向きになったレイの上にバスタオルを掛け施術を始める。
背中、腕、手…やはり慣れない家事、緊張…凝っているのがわかる。
太腿、膝、ふくらはぎ…反対向けにして同手順。
うつぶせにして背中、尻、そして腰。
レイの口から思わず声が漏れる。
「ん」「んふっ」「あ…」「ああっ」「ああーっ」
ここでオイルマッサージが入るんだが、さすがにそれはなあ…
凝視しながら必死に覚えようとしている…ように見えるミサにも同じことをして
レイに見せてやらねばならない。
自分の指先に徐々にとろけていくレイの身体を感じながら、いつになったら
自分の番がくることやら…と思う椿である。
何もかも手作りで創り上げていかねばならない。
それは伊藤博文や山県、児玉達…明治日本のリーダー達が持った共通の感覚
なのかもしれない。ぐぐーっ
「あっ、ああっ、ああーっ」
つづく
章の後半は戦記から遥か遠くに来てしまいましたね。でも、旅順攻撃、沙河の大会戦はもうすぐ…のはずです。ガンバロー!!