第十章『明治天皇と日露大戦争』
第十章『明治天皇と日露大戦争』
後にはピンク映画ばかりつくることになる新東宝、大蔵貢の畢生の大作
『明治天皇と日露大戦争』が公開されたのは少年が小学三年の頃だった。
明治天皇は鞍馬天狗が当たり役だった嵐寛寿郎。
天皇を見せ物の画面に出すとは何事か…と右翼の人が騒いだとか。
反対側の人も日本が勝利した戦争イコール戦争賛美…という図式で騒いだとか。
最初の「ゴジラ』がそうだったように色物扱いもされたようだが、空前の大ヒット。
味をしめたのか翌年には戦闘シーンを使い回しで『明治天皇と乃木大将』
さらには『天皇皇后と日清戦争』などという、それこそ色物までつくられた。
最後のやつ、どれだけの人が観たんだろう…
さて、日清戦争から日露戦争までの幕間に中国で事件が起こった。
欧米列強の蚕食にあう中国では民衆の暮らしは…それまでもひどかったが、
なおさらに…ひどく蜂起もたびたびおこっていた。
その中で義和団という集団が大きな勢力をもつようになり、しだいに
『扶清滅洋』…日本だと『尊王攘夷』か…という西洋排斥のスローガンが
行動の指針となっていった。
義和団の大群が北京に押し寄せ列強の公使館を包囲する。
清朝の実際の支配者、西太后は情勢に押されたのか利用しようとしたのか、
列強に宣戦布告をする。『北清事変』である。
後に『北京の55日』というテンポの悪い、つまらないハリウッド映画になった。
当然列強は軍隊を派遣、義和団および清軍を撃破して終わる。
このとき日本兵は略奪を…少なくとも初期は…しなかったことで
軍紀の厳正さが世界を驚かせたという。
欧米列強の軍紀が緩かったということもあるかもしれないが、
そもそもアジア人の物など奪って当然という意識もあったのだろう。
まして、世界を支配するべく神に定められている白人に噛み付いた
アジア人の物などは…
近場ということで、派遣された軍隊は日本とロシアが大多数だった。
事変終了後、各国は兵を引くことになったが、ロシアは満州に大軍を
駐留させたまま引く気配を見せない。
これが日本を恐怖させた。そして中国に多大な利権を持つ大英帝国を…
日本は、少なくとも政府はロシアとの戦争は望んでいなかった。
どころか、戦争をさけるべく必死の努力もした。
勝ち目なんかコレッパカシも無いのだから当然である。
いじましいことに、日本の望みは朝鮮半島を自分の勢力圏におくことだけだった。
元老の伊藤博文を中心に日露協商をもって問題の解決を図ろうという動きも
『恐露病』と揶揄されながらも続けられた。
『日本は満州に野望は持ちません。そのかわり朝鮮は日本に任せてください』
いわゆる『満韓交換』だが、ロシアの態度ははじめは表面的に交渉に応じる
そぶりも見せながら朝鮮半島への資本投下がやむことは無かった。
ロシアは言葉ではなく銃剣で外交をする…と判断し強硬な態度を取る者も
実際に戦争を想像すると落ち込まざるを得ない。
陸軍力は、日清戦争後に無理を重ねて師団を倍の十三個、二十万にしたが
それでも対露で十分の一にすぎない。
海軍力は主に英国から主力艦…戦艦、装甲巡洋艦を輸入して増強しているが、
対露二分の一である。
ただ、陸海ともロシア軍は欧州とアジアに分散されているので
奇跡的に各個撃破が成功すればなんとかなる…かもしれない。
ここに大英帝国が登場する。日が没することの無い大帝国。
軍事…特に海軍力、政治力、産業のいずれでも世界をリードする
英国であるが極東アジアにおけるロシアの膨張主義政策には
大きな脅威を抱いていた。
南アフリカのボーア戦争で疲弊していたこともあり、単独で
ロシアと対抗するのはつらい状況だった。
ドイツとフランスはロシア寄り。アメリカとはうまくいってない。
多数派工作が難しい中、アジアの番犬として日本帝国を選ぶ。
大英帝国が長く保ってきた『名誉ある孤立』を捨てたのだ。
『日英同盟』
いずれかの国が一国と戦うときは中立を守る。
それ以外の国が参戦した場合は締結国も参戦する。
日英同盟の締結は政府をやや安堵させ、国民を狂喜させた。
少なくとも独仏が英国を敵に回すリスクをおかして戦争に首を突っ込んでくる
可能性は無くなっただろう。
ロシアの交渉態度は硬化し、やがて返答も返ってこなくなる。
それでも日本政府、軍部は悩みに悩む。景気のいい好戦論は一般国民と
それを煽る大多数のマスコミ…当時は新聞…のものだった。
もはや朝鮮半島の利権どころか国の存続さえかかってきているのだ。
勝てばよし、負ければロシアの属領とされ、憲法は停止され、
ロシア総督の統治下におかれることになるだろう。
北海道と千島列島、対馬はとられるかもしれない。
そして、東欧のポーランドのように自国の兵を本格化するであろう
中国大陸での侵略戦争に使われ消耗していくことになるだろう。
そこは…理由と目的は違ってもやってることは史実と変わらないかもしれないが。
少年が学んだ頃の歴史の授業では『中国東北部および朝鮮半島をめぐって
行われた帝国主義同士のぶつかり合い』と片付けられていた日露戦争。
確かに間違いは無いが、それでも状況は日本国民をして
『祖国防衛戦争』との認識を持たせていったことも確かである。
開戦の詔勅がくだされる。
つづく