8 〜ロリコン疑惑〜
ディンが今日持ってきたパイは、とてもおいしかった。自分の味覚なんてとっくになくなったものだと思っていたから、おいしいと感じたことには正直驚いた。
ディンは心底嬉しそうに笑う。
「これは僕がサンテで一番のお菓子職人だと思ってる人のパイなんだ。やっぱりあの人はすごいな」
うなずくディンに勧められるがまま、ノエルはアップルパイを三つ、ぺろりと平らげてしまった。
初めて自分の意志で食べ物を食べたノエルに、ディンの心境は満足なんてものではない。
「すごく、おいしかった」
全然おいしくなさそうな、相変わらずの呟き口調ではあるが、これはおおいなる進歩だ。
「そんなに気に入ったんなら、また買ってくるよ。って、口元にソースがついてるぞ」
「ん……」
ノエルが子どもじみた仕草で口元を拭おうとする。結局とれなくて、苦笑いのディンがハンカチで拭いてやると、
「ありがとう」
一瞬面食らった。まったくの無表情ではあるが、感謝という感情が、そこには確かに存在していた。
「へ?……あ、ああ、どういたしまして」
そんな普通の子どものようなノエルが、とても嬉しい。今なら少し突っ込んだ話をしても許される気がして、ディンは切り出した。
「怪我ももうだいぶ良くなったんだよね?」
こくりとうなずくノエル。最初の頃はこんな意思疎通すらまともにできなかった。
「で、退院したら、何か決めてることはあるの?どこか行くとことか」
返事はなく、ただ冷めた目がディンを見返すだけだ。無いことはディンだって分かっているが、一応聞いておくのが礼儀だろうと思ったのだ。
「良かったら、うちに来ない?」
「え……」
よほど意外だったのか、ノエルのぽかんとした表情をディンは初めて見ることとなった。
「僕はこの歳になって結婚もしてなくてね。絵ばっかり書いてたから、かな。だから、ノエルが来てくれたらきっと楽しいだろうなって」
ノエルは怪訝な顔でディンを見ている。やがてぼそっと呟く。
「……まさかの、ロリコン」
「な、なんだって?」
今度はディンが口を開けて固まる番だった。
その内、笑いがこみ上げてきて我慢できなくなる。もしかしたらノエルは、元々はとても面白い子なのかもしれない、と思う。
「確かに、君が後十年早く産まれてたら、きっと魅力的な女性になってただろうけどね」
微かに眉をよせ、むっとしたようなノエルを見て、ディンはようやくそれ以上の笑いを噛み殺すことに成功する。
「ごめんごめん。ノエルがそんなこと言うなんて思いもしなかったから」
カーテンが風に揺れた。
「そうじゃなくて、さ。お互い一人なんだし、それなら二人で暮らした方が楽しいでしょ?」
まだ笑いをこらえているディンの言葉に、なんだそれは、とノエルは思う。理由になっていない。でも理屈抜きに、実はそうなんじゃないかとも思う。きっとディンの言葉に嘘は無いのだろう。
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