5 〜私が死んでも、代わりはいr・・・〜
ドアを開けると、少女は相変わらずベッドに座って窓の外を眺めていた。窓の外、白い石畳の街並は活気に溢れているが、それを見つめる無感情な瞳は、予想通り変化無しだ。
長い金髪、透き通るような白い肌、サファイアのような赤い瞳。奴隷どころか良家のお嬢様と言っても過言では無い容姿だ。
しかしその儚げな雰囲気から連想するイメージは正に『薄幸』。このまま消えてしまうのではないか、なんて柄にも無く頭をよぎる。
「ノエル、調子はどうだい?あ、シスターに結ってもらったのかな?似合ってるね」
努めて明るく声をかけても、奇麗に結った金髪を褒めても、冷めた瞳がちらりとディンを捉えただけで、彼女の反応は至って小さいものだ。
「普通」
ほとんど感情のこもっていない声に、思わず苦笑い。
「素っ気ないなぁ。ほら、お土産。サンテ名産のオレンジだよ。今、剥いてあげるからね」
来る途中で立ち寄った青果店。たいした買い物をした訳でもなかったのに、いつものおばさんがひとつ余計におまけしてくれた。なんでも、今日が二十回目の結婚記念日らしい。
ころころと太って愛嬌のあるおばさんが、尋ねなくても嬉しそうに自慢するものだから、ディンの方が気恥ずかしくなってしまった。後ろで苦笑していた店主のおじさんも同じだったのだろう。
もうすぐ三十にも手が届きそうだと言うのに、結婚する宛すらない。それでもああいう穏やかな家庭生活を素直に羨ましく思う。
比して、目の前の少女は深刻だった。怪我ではなく、心が。二十近く年齢差がある少女の視線に、圧倒されてしまう。
「はい。おいしいよ?」
お皿に並んだ宝石のような果実を差し出す。ノエルはそれを、フォークで刺して小さな口に運ぶ。しかしその行動は、きわめて事務的で『食べ物を出されたから口に入れた』という、言うならば『動』を感じられない動きだ。
ほとんどの乗員が亡くなった大惨事にあって、彼女は奇跡的なほどの軽傷で済んでいた。左腕の骨にはひびが入っていたが、命に別状は無く、医者をして、運がいいとしか思えないと言わしめたほどに。
「おいしい?」
「……」
笑顔を向けても、彼女は返事をしない。再びカーテンの外に目を戻すその仕草は、もうディンの存在を忘れたかのように冷たい。
何を口に入れても、おいしいともそうでないとも感じない。実は私はもう死んでいるのではないだろうか。目の前でニコニコと笑うこの優男も、どこかで生きていたいと考えていた自分が造り出した、優しい幻想ではないだろうか。
「どうして、ここにいるの」
やっぱり心は開いてくれないか、と落ち込んだ矢先、ノエルが小さな声で言葉を紡いだ。彼女が初めて発した能動的な言葉に面食らうが、それこそが突破口であるかのように、ディンは慌てて口を開く。可能性にすがるように。
「僕は画家だからね。普通の人より自由に時間を使えるんだよ」
「違う」
間髪入れず、それも少し苛立ったように、ノエルが視線を向けてくる。その奇麗な目に満ちているのは、手負いの獣が持つような攻撃的な警戒心に他ならない。
「どうして私に構うの」
彼女の語尾は疑問形であっても下がる。ほとんど呟いているようなものだが、この三日間でだいぶ聞き取れるようにはなっていた。
なるほど、こうして毎日見舞いにくる自分のことをいぶかしんでいるのか、とディンは考える。
「そうだね。ノエルが変に思うのも無理は無いかな」
言葉を選ばなければ、彼女との対話がぷっつりと途切れるような不安が、常につきまとう。
「でも、純粋にノエルが心配なんだ。サンテの町に知り合いがいる訳でもないみたいだし。放っておけないよ」
少し考えて、結局本音を喋る事にする。取り繕って格好いい事を言うのは、得意じゃない。
「それに、僕がノエルを見つけたんだしね。これも何かの縁かもしれないし、お見舞いに来るくらいしてもいいだろ?せっかく助かったノエルの心配をするくらい、許してよ」
おどけて笑いかけてやるが、彼女の目はすでに元の死んだ魚の目に戻っている。
「私は……死んだ方が良かったのに」
「え……」
なんとか会話を繋ごうと考えていたのに、ディンの思考はそこで停止した。いや、停止させるのに十分な一言を、ノエルは吐いた。
「生きていることに意味なんて無い。どうせまた売られるだけ。なら、死にたかったのに。それに私は、悪魔の子だから」
やはりその言葉には何の感情も宿ってはいない。じぶんの運命を悲観するでも、ディンに偽善者と罵る響きも無く、ただそれだけの意味を持つ裏表の無い言葉。
――彼女は、死にたがっているのか。
星の出ていない、真っ黒な夜空に吸い込まれたかのような心持ちになって、ディンはめまいを覚えた。こんな小さな命の口から、これほど衝撃的な言葉が出てくるとは、彼には予想し得なかったのだ。
浅はかさを嘆く。感情を殺した彼女の闇は深く、想像以上にリアリティのあるものだった。ノエルの抱えた傷を知らずに、ノエルの心を開こうなどと、甘かった。それどころか中途半端な優しさが、彼女をもっと傷つける可能性すらあるのかもしれない。
思わずその小さな体を抱きしめるくらいしか、ディンにはできない。
「ごめんね」
自分でもよく分からないうちに、謝ってしまっている。それで彼女の気が済む訳も無いが、何か声をかけないとディンが泣いてしまいそうで、彼女が溶けて消えてしまいそうだった。
おつきあいありがとうございました。