2 〜奇跡の生存者〜
始めに、闇。徐々に景色に色がついて、それが以前働いていた貴族の屋敷だと気がつく。
——夢だ。今、私はここで働いていない。
必要以上にヒステリックな中年の女中が、うつむいた十歳程度の少女をいびっている。
その少女は、自分だ。見慣れた大屋敷。いつもどおりに掃除の仕方が甘いとなじられているのだ。そしてこの後……記憶通りに平手打ちを喰らう自分。
言われたようにこなしても、結局は難癖をつけてぶたれる。要は、あることないことをふっかけて、ただ少女をいびりたいだけだ。
その時は気がつかなかったが、夢で見た女中の顔にはサディスティックな笑みが浮かんでいた。
さらに浮かぶのは、色の無い、ついこの間の情景。
奉公先の主が、いつもの屋敷の大広間にいつもの顔で立っている。その横には、うつむいた少女。やはり、自分だ。
商品として、売られる時の記憶。
「悪魔の子め。生きていられるだけありがたいと思え」
さっきよりもさらに粗末な服に変わっている彼女は、例えるなら抜け殻だった。主の裏切りによって心を砕かれた十歳の女の子の目は、もはや何の感情をも宿さず、ただ景色を映すだけのガラス玉。
こんなことばかり思い出して、私はどうしたっていうんだろう。……ちゃんと、死ねたのかな?
次に、強い光。有無を言わせぬ暴力的な光によって、意識が現実に戻ってくる。誰か太陽に遠慮というものを教えてあげて欲しい。
「生きてる……?」
目の前に広がるのは青い空、波の音。背中で感じる砂の感触。仰向けで寝ているようだ。
首を上げると、自分の体が見える。驚いた事に、右足についた枷がそのままだ。やせ細った自由の無い体で荒れ狂う海に投げ出されたのに、どうやってここまでたどり着いたのだろう。
ベトベトとおでこに張り付いた自らの髪の毛が不快だ、と思う。しかし、この腹立たしい気持ちの原因は、そんなことじゃない。
はっきり、生きていると分かった。
それがたまらなく悔しい。あの時、暗い船倉に押し寄せた濁流のような海水を見て、やっとピリオドだと思ったのに。
左腕が激しく痛みを訴えてくるが、それが何を意味するのか、理解できない。骨が折れているのかもしれないと頭では想像できる。が、死にたかったはずの自分が『生きている証』と言っても過言でない『痛み』を感じているとは、どういう皮肉だ。
「なんでだろ……」
動かない左手を無視して、右手を太陽に空かしてみる。目立った傷も無い。軽く意識を集中すると、空気の流れが集まって行く感覚。この忌々しい力までそのまま、か。
ぱらぱらと風に流れる乾いた砂のように、自分も一緒に連れて行って欲しいとさえ願う。
「おい、君……生きてるのか?」
砂を踏みしめる足音と声が聞こえ、やがて視界に男の顔が映る。栗色の髪の毛と目を持つ、見た事の無い男だ。直感的に、優しそうな人だなと思う。
そう、まだ生きてるね……。
心の中だけで何の感慨も無く呟くと、ふいに瞼が重くなる。
「おい!誰か来てくれ!生存者だ!」
生存者、か。いっそこのまま死なないかな。そんなことを考えながら、少女は目を閉じた。
「しっかりしろよ、絶対死なせないからな!」
思いがけず頬をつたった一筋の涙に、自分でも驚いた。これはなんのための涙なのだろう。
そんな感慨をを最後に、彼女の意識は再び闇に落ちて行く。
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