18 〜まず、君の勘違いを解こう〜
行けども行けども広い道に出ないとは、どういうことなんだろう、とノエルは首をひねる。首をひねって歩いても、ゆっくり歩いても、進んでいる気がしない。
立ち止まる。と、後ろからずっとついてきている足音が、そのまま近づいてきた。ここなら十分だと判断したらしい。
考えてみれば、異常な精神状態だ。殺人者がうろつく夜の町で追いかけられながら、平然と歩き続けているのだから。それどころか少し待ちくたびれた感さえある。
振り返ると、ノエルの三倍はあろうかという大柄な男が仁王立ちしていた。それを間近で見ても何も感じない自分は、やはり壊れているのかなと今更思う。
どうやら自分の短い人生は、
「お嬢さん、こんな時間にどちらまで?」
ここでこの異常殺人鬼に、
「夜遊びはいけないな」
バラバラにされて終わるらしい。
「でも、君は運がいい。神でさえうらやむような、永遠の命を、私が届けよう」
その上、相手も狂っている。
ようやく、望んでいた死が訪れるのかと思うと、少しほっとする自分がいた。
そう言えば、こんなこと前にもあったなと他人事のように思い出す。売られる直前、変態趣味の使用人が、その歪んだ欲望を剥き出しに襲いかかってきた時だ。
無意識に風の流れを読んでいる自分に気が付き、瞬きを繰り返す。
「君は……少し変わっているな」
目の前に立ち止まった男が、低い声で問う。
お互いにね、と心の中で返事をしながら、彼の目を見上げる。存外普通の顔で、その辺に紛れていても怪しまれることは無いだろう。
「殺すの」
そう尋ねると男は、笑みとも驚きとも取れる小さな表情を唇の端に浮かべる。
「ほう。怖くないのかい?」
「さあ。でも、私は死にたいから」
男は黙ってノエルを見おろしていた。ノエルも黙ってその視線を見返す。
「なるほど、感情をなくしたのかのようだ」
その通り。被害者を選り好んでいるだけあって、人を見る目はあるらしい。
「だが、それでは生け贄としては不十分なのだ。こちらの都合で申し訳ないが。死への恐怖が強いほど、悪魔への捧げ物として力を発揮する」
悪魔。いよいよもって頭がおかしい男だ。
ノエルがそんなことを考えていると知ってか知らずか、彼は溜め息をついてみせた。少しわざとらしい、そんな溜め息。
「じゃあ殺さないの」
再びわざとらしい溜め息が少し癪に触る。
「それにしては惜しい逸材だ。贄としての素質を、君は十分すぎるほど持っている。だから……」
男が動いた瞬間、ノエルは何がなんだか分からないまま宙を舞っていた。背中の衝撃で、壁にぶつかってその後落ちたことを知る。込み上げる咳と下腹部の痛みで、腹を殴られたのだと知る。
「まず、君の勘違いを解こう」
髪をつかんで無理やり顔を上げさせ、ノエルの目を覗く。その男の顔には表情と呼べるものがなく、まるで作られた人形のようだった。
そのまま右手をひねり上げられたノエルの口から悲鳴が漏れる。
「私が、本当の死を教えてあげよう」
人を殺して喜ぶ猟奇殺人者という異常性を、ノエルの本能が理解し始めていた。