10 〜警察官は歳とると身が持たないって話〜
ロイド・イリュアインは、サンテ市警の警部補である。彼のトレードマークは丸眼鏡とくわえ煙草、そしてくたびれたトレンチコート。仕事中かかせないこの三点セットには、彼なりのこだわりがある。
「ったく、なんだってんだ?コイツ、完全に狂ってやがるぞ!」
机の上に並べた死体検分書を前に、ロイドは毒づいた。相手は未だ姿の見えぬ猟奇殺人鬼。
「若い女性ばかり五人ってのも、随分だな」
後ろの机で同僚も溜め息をつく。
この一ヶ月で連続五件。被害者は工場労働者四名と少女が一名。いずれも若い女性ばかりだ。
始めは労働者――つまり資本主義に対する共産主義者の抵抗かと検討をつけたサンテ市警だったが、四人目の被害者が有名な不良少女だったことでその線は薄くなった。
要は、深夜の町を一人で歩いている若い女性なら誰でも良かったのだろう。そして夜勤の都合上どうしても深夜の町を歩かなくてはならないのが、たまたま工場労働者だったということだ。
この事件の異常性を際立たせているのは、その猟奇性だ。現場に残された五人の遺体は、手であれ足であれ、必ずどこかのパーツが欠如していた。おまけにその切り取られた部品が、周辺に捨てられている訳でもない。犯人は必ず死体の一部を切り取って持ち帰る。それが今、サンテの町を恐怖に陥れている異常な猟奇殺人犯の恐るべき行動。
一体どんなセンスをしているのか、ロイドにしてみれば知りたくもないが、知らないままにはしておけないのがこの仕事だ。
夜中の犯行で、必ず被害者が一人になった後に襲われているため、目撃者もいないし、犯人につながる証拠も出ない。
イライラしてマッチを擦る。煙草をくわえて気分が上向けば、どんなに良いことか。だが、吸い終わる前に、イライラの種が頼みもしないのに耳に入る。
「まったく、困ったもんだ。早いとこ賞金稼ぎの連中でもなんでも、なんとかしてくれんかね」
立派なデスクをあてがわれた課長がパイプを吹かしながら、呑気な仕草で薄くなった頭をかく。それをロイドは苦々しい思いで聞いていた。
革命前の警察と革命後の警察では、まるっきり意味合いが違う。
革命前の警察は、外敵からの治安維持を担う組織であり、言わば『軍』としての性格が強かった。それでも軍から独立していたのは、都市国家内部に対して、反乱など起こさせないよう睨みを利かせるためでもあり、市民にとっては『軍より身近な治安維持機構』という体裁があったからだ。
そして革命後の警察は、完全に内部向けの機関となった。革命によって「平和」の意味が変わったのと同時に、警察も変わらなければならなかったのだ。
それまでは『外敵がもたらすの死の危険』こそが平和と対をなす脅威であった。それが今や、隣人とのトラブルや事故、落とし物や盗みといった身近な脅威と成り代わっている。そしてそれを解決するのが警察の役割であり、引いては司法の役割となってきているのだ。
ロイド以降の若手警察官はそういう意識が強く、対する脂の乗った上層部は「内政不干渉」という過去の警察像から未だ抜けられない。それは市民の側も同じなのかもしれないし、時代は繰り返しているだけなのかもしれないと思いつつも、年寄りが若者にとっていつまでも「目の上のこぶ」である理由でもあった。
だからロイドは、「以前の警察」である課長が、賞金稼ぎや私立探偵、便利屋などの「以前の手段」に過剰に頼り過ぎるのをよしとしない。法によらない彼らは、今の警察の存在意義を根本から崩しかねないのだから。
とは言え、未だ歴史が浅く脆弱な警察機構において、下手をすると組織より情報収集力に長けた彼らの力を全く借りない訳にもいかなかった。
ロイドとて、大切なのは平和であってメンツではないと感じ、言い訳できるだけの歳はとったつもりだ。
「ほどほどにしとけよ、ロイド。あんまり健康に良くないらしいぞ、それ」
同僚――マーカス・レッドが苦笑いのような表情でロイドのくわえ煙草を差す。
「煙草が?そうなの?」
「ああ。最近喫煙者が急に増えただろ?」
確かにマーカスの言う通り、十年前と比べて町で見かける煙の量がだいぶ増えた。産業化が進むにつれ収入が増え、嗜好品たる煙草を買う余裕のある人が多くなったからだろう。
「で、それから少し遅れて、原因不明の病気で死ぬ人が増えたんだって」
オカルトめいた話だ。ロイドは溜め息をついた。
「はあ?なんだそれ?おいおい、神様のバチとか言うんじゃねえだろうな」
が、マーカスはいたって真面目な顔で続ける。どうでもいいが、彼の真面目な顔はなんとなくネズミを思わせる。
「バカ言え。医者が言ってるんだ。ほら、実家の裏が医者だって話ししたろ」
そう言えばそんな話を前にした気がする。
「この前立ち話してさ。増えてるんだって、患者が。なんだか肺の病気らしい」
「その病気の原因が煙草なのか?」
肝心なところで、彼はかぶりを振る。
「さあ。まだ因果関係は分かんないってよ。ただ、喫煙率と平行して増えてるらしいから、医者達の間でも研究が始まってるんだと」
ただの噂ならまだしも、医者の言うことなら少し気になる。
「だからよ、お前も結婚控えてるんだし、少しは健康に気を使えよ」
「余計なお世話だっつーの。それにまだ結婚までいってないぞ」
今度はマーカスが呆れた表情を作る番だ。
「おまえ、まだ決めてないのか?だって婚約はしたんだろう?」
彼の言う通りだ。
「ほっとけ。俺にもいろいろ考えがあんだよ」
忙しい仕事の合間を縫って、ようやく婚約までこぎつけた。紆余曲折、順調な恋と胸を張れたものでもないが、それでもここまでやっと来た。
それはそうなのだが。そこで結婚まで踏み込もうとすると、もう一人の頑固親父のような自分が待ったをかける。
こうも忙しい仕事。休みなんかまともに取れないし、家に帰らない日さえある。一緒になって果たして彼女は幸せなんだろうか、という疑問が離れないのも事実なのだ。
ロイドの脳裏に、口数は少ないがいつもにこやかなアンナの顔が浮かぶ。おそらく、彼女は何も言わずに着いてきてくれるだろう。だからこそ、アンナのために最善の選択をしたい。
「まあ、先行き不安なのは分かるけどな。こんな組織だし、休みはくれそうにも無いし、煙草よりも先に仕事辞めた方が体にはいいよな」
冗談とも本気とも取れない同僚刑事の口調。
「俺は残念だよ。同僚が結婚さえためらうようなこんな世の中が、革命の結果だなんてな。いっそもっと暮らしやすい世界があるんじゃないか、なんて思っちゃうぜ」
「そりゃいいな。とりあえず事件の無い平和な世界だな」
マーカスは呆れたように苦笑した。
「どこまで行っても刑事だな、お前は」
「その通り。だからさっさとこんな事件終わらせちまおう」
マーカスの話を信じたつもりはないが、ロイドはまだ長い煙草を灰皿に押し付けた。
と、若い刑事が慌てて飛び込んでくるなり叫ぶ。
「例の事件、また新しい被害者です!」
「若い女か?」
「そうです!」
色めき立つ署内。 ロイドは溜め息をついてトレンチコートを羽織った。
ちょっと現実くさい話ですがw・・・ご精読ありがとうございました。