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9 〜大人の事情と子どもの選択肢〜

 



 神父の日課は、一日の終わりに患者の様子を見て回ることだ。


 ようやく包帯が取れたノエルの左腕を診た後で、ワトソン神父はいつもの柔らかな笑顔を見せた。

「もう大丈夫。さすがに若いと回復力が違うわい。羨ましい限りだのう」

「神父様も十分お若くていらっしゃいますよ」

 横で手伝っていたメイが笑う。性格はともかく容姿が一級の若い女性に言われれば、神父とて老いても男である。嬉しくないはずが無い。

「まあ、ワシもまだまだ若いもんには負けておれんからのう。はっはっは」

「確かに、時間が空くとフラリと釣りに行ったまま帰ってこないあのバイタリティは、若い人にも無いですねぇ」

 調子に乗って浮かべた神父の笑顔が凍り付く。

「ぐ……抵抗できない哀れな老いぼれを言葉責めでいたぶるとは、メイもいい趣味を持っとるのう……」

 にっと笑うメイの笑顔に悪気は無い。悪意には満ちているが。

 

 ノエルは思う。よく愛想を尽かさずに面倒を看てくれるものだ、と。

 ディンに対しても感じる疑問だが、これほど無反応な自分を、ここまで根気よくなんとかしようと考えるだろうか。自分なら絶対やらない。

 だが、どれだけ良くしてもらっても、自分にはその恩を感じるだけの感情が無くなってしまっている。知識として「感謝」とは何か知っているが、その先へは行けない。

 正に抜け殻という表現がぴったりだ。

 

 師弟漫才を繰り広げても、ノエルの顔には笑顔一つ浮かばない。儚げな青い瞳が、窓の外の暗い夜空を映す。

 ディンが彼女の表情を少し変えたあの日から、再び彼女の歩みは止まってしまった。メイが、神父が、ディンがいくら努力しても、次の一歩を踏み出してこない。

「ところで、ノエル」

 一瞬、メイの悲しそうな目を見てしまった。一つ息をついてノエルに呼びかける神父。

 大切な話をしなければならない。だが彼女はいつも通り返事をせず、いつも通り感情の無い視線を向けるだけだ。

「今後、どうするかのう?」

 はっとしたように目を開いたのは、メイだ。

「知っての通り、ここはサンテ教会。身寄りの無い病人を一時的に看病し、社会に返すのも私たちの仕事の一つだの」

 そう、あくまで一時的に。

 身寄りの無い病人、病院に入院するだけの金がない者が、未だこの町には溢れている。それ以外にも町の外から流れて来る者も多くいる。産業革命の余波か、生活が豊かになるとともに病気を抱える人が増えたとは、一体どういう皮肉か。

 病人を治し、別れを告げるのも、神父の役目だ。


 ノエルは馬鹿ではない。神父の言いたい事はよく理解できた。病院や教会は、身体的に元気な者を置き留める場ではない。

 だからと言って何かを感じる訳ではないが、つまりはここに居られる期間が終わったということだ。


 だが、ノエルに目指す場所などある訳が無い。そこで神父とシスター数人で話し合った結果が、これだ。

「とは言え、私もノエルの境遇を痛いほどに知っておるしの。だから、どこにも行く宛が無いのであれば、この教会で働かんかの?」

「ノエルちゃんなら大歓迎だよ!」

 教会と言えど、来る者全てを受け入れるような余裕はない。しかしノエルの場合は事情が事情だし、それに彼女はまだ幼い。

「それと、ディンの話は聞いとるのう?知っての通り、お前さんが来た当初から引き取ると言ってくれているのう。私も彼を良く知っているが、穏やかで思いやりのある青年じゃ。今もお前さんのことを一番に考えてくれているしのう。彼ならば十分に父親代わりを務められるだろうと思う」

 そして、最後の選択肢。

「そして、自由に、したいように生きるという選択。もちろん、ノエルが思うままに生きる点ではどれも変わらんかの」

 無事に生きていける確率は低いが、もしもノエルがそれを臨むのならば、神父として止めるつもりは無い。

 一方のメイは、そんなことになったら力づくでも止めるつもりなのだが。


 ノエルは繰り返し感じる疑問を、飽きることなく反芻する。

 なぜここまで良くしてくれるのだろうか、と。

 ディンにしても、眼前の彼らにしても、ノエルは厄介者でしかないはずなのだ。奴隷身分は汚く卑しい者。いくら奴隷制度が無い国と言えど、突然外国から流れ着いた汚い子どもにここまでしてくれるのはどういう了見だ。何か裏があるのではないか。しかし、自分に利用価値があるとも思えない。では、地下組織か何かを通じてもう一度売り飛ばすつもりだろうか。

 そう言えば、人の面の皮の下は信用できない、とはかつての主人の口癖だった。彼はその言葉の意味を、ノエルを売るという行為をもって実証してくれた訳だが。


「ノエルちゃん、教会でもディンさんでも、好きな方でいいんだよ?」

 メイの必死な表情は理解できる。

「メイ、これはノエル自身が決めることだ。私たちは彼女の意志を尊重しなければならないよ」

 ワトソンだってノエルを放っておけない気持ちはある。だが、ノエルが自分で決めてくれなければ意味が無いのだ。

「……はい」

 珍しくしゅんとした表情を見せるシスター。まるで日が沈んだような印象を受ける。

「でもでもほら、まだ焦って今すぐ決めなくてもいいよ。まだしばらくはここにいてくれていいから。ね?」

「ゆっくり吟味して考えることよの。何と言っても、ノエルの人生なんだからの。……さて、お話は終わりだの。今日はもう休みなさい」

「おやすみ、ノエルちゃん」

 先に出て行った神父に続き、メイも泣き笑いのような表情を見せて部屋を出て行く。


 死にたい私の今後、か……。

 分からない。

 ランプを吹き消した。

ご精読ありがとうございました。

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