バズなしには生きられない
嵐のような女神の去った部屋には、気まずい静寂と、かすかに残った甘い香りが漂っていた。
俺のプロデューサーを自称していた天使フィエルは、主であるユーティが去ってもなお、立ち去ろうとはしなかった。
「フィエル、お前は帰らないのか」
俺がそう尋ねると、スマホの画面とにらめっこしていたフィエルが、遠慮がちに返答を寄こす。
「ルカの動画を撮るうちに、私もルカのファンになってしまったみたいです」
「俺の……?」
「し、仕方ないじゃないですか。好きなものは好きなんです! ルカがバズれば私の動画がバズるんです! ルカ無しではバズれない体になってしまっているんです! ルカは私にバズのネタを提供してくれる。私はルカをネタにバズらせる! 言わば私たちは運命共同体! もうルカが居ないと私、生きていけないんです」
「そ、そうか……」
我ながら情けない返答だと思う。
ユーティと、引いてはその配下のフィエルとも、もう縁を切るつもりで話しかけたのに。
そんな俺の心を見透かしたように、フィエルが追い打ちをかける。
「ルカ……私のこと、ユーティ様のこと、嫌いになりましたか?」
「このタイミングで聞いてくるのは卑怯じゃないか」
「私、策士ですから。知りませんでした?」
少しだけいつもの調子を取り戻したのか、フィエルは悪戯っぽく笑う。
だが、その笑みはどこか弱々しかった。
「……知ってた。フィエルのことは、嫌いじゃないよ」
俺がそう答えると、フィエルの表情がパッと明るくなった。
「えへへ、私も知ってましたけどね。知ってて聞いたんです」
彼女はそう言って立ち上がると、俺のすぐ隣にちょこんと座る。
「じゃあ、この先もずっと、ルカを撮ってて良いですか?」
「あ、あぁ……撮るだけならな」
その返事を聞くやいなや、フィエルはスマホを構えてぐいっと身を寄せてきた。
頬と頬が触れ合うほどの距離。
柔らかな髪が俺の首筋をくすぐり、心臓が大きく跳ねる。
ファインダーに収まる俺たちの姿。
「ルカ……てぇてぇです」
カシャッ、という軽いシャッター音と共に、彼女が吐息のように囁いた。
「なんだそりゃ。どういう意味だ」
俺の問いに、フィエルは悪戯が成功した子供のように笑って、少しだけ顔を赤らめながら答えた。
「さぁ。ただのネットスラングですから」
嵐が去った後の陽だまりのような、妙に温かい空気が部屋に満ちていた。
俺はもはや、このお節介な天使と縁を切ることなど、考えてはいなかった。
悪くない気分だ、とさえ思っている自分に気づく。
その時だった。
コン、コン、コン――。
穏やかな空気を破るように、宿屋のドアをノックする音が、静かな部屋に響き渡った。
――部屋を訪ねてきたのは、意外な人物だった。
「ほうほうほう! つまり、あなたはフォロワー数に伸び悩んでいて、そのため今、絶賛人気急上昇中のルカとコラボしたいと! そうおっしゃるわけですね!」
「あんたのような人がフォロワー数を気にしてるとは思わなかったな」
テーブルに腰かけるフィエルと俺。
それから対面の席には、騎士団長こと白銀のジークが腰かけていた。
「私のためではない。騎士団の栄誉のために、フォロワー数を増やす必要があるのだ」
「ますます意味が分からないな」と、俺。
「私から説明しましょう!」
と、フィエルが元気よく立ち上がる。
「そのためにはまず、この世界――フィデシアの出で立ちから話し始めなくてはなりません……」
「なんでSNSのフォロワー数と世界の出で立ちが関係してるんだよ」
「昔、ルカが生まれるよりもはるか前のことです――世界は一度、魔王の脅威により、滅亡しかけました。しかし! 一人の英雄のてぇて……尊い犠牲の上、一柱の女神がやっとの想いで魔王に封印を施し、世界に平和をもたらしたのです」
「今てぇてぇって言わなかったか」
「し、しかし! そこで深刻な問題が起こりました。魔王の封印を維持するには、膨大な信仰のエネルギーが必要だったのです。そこで女神様が考え出されたのが、元々神々の神器であったゴッズ・グラムを改良し、人々が使えるようにすることでした。ゴッズ・グラムを通して人々が『推す』ことで生まれる信仰心――それがフォロワーという形で可視化され、女神様へと集められるのです」
「話が見えてこないな」
「話はこれで終わりです」
「……は? それとフォロワー数がどう関係してるんだよ。そもそも魔王ってSNS上の女神のアンチのことだろ?」
その疑問に答えたのは、ジークだった。
「貴様は何を言っている」
「何って……?」
「今、魔王は女神様によって封印されている。だがその封印もいつ解けるか分からん。そのため、女神様の信仰を損なわぬよう、我らはインフルエンサーとして民の信仰――フォロワーを集めねばならんのだ」
「聞いた話と違うんだが」
「どこで聞いた話か知らんが、大方、酔っぱらいの与太話を聞かされたのだろう」
その女神本人から聞いた話なのだが。
しかもつい先ほど。
……頭が混乱してくる。
だが少なくともはっきりしていることが一つだけあった。
魔王を封印した女神なるものがもし本当に存在したとして、その女神の名がユーティってことは絶対にない。
あの性悪女神がそんな善行を積むはずがないからな。
「とにかく、私がフォロワー数を増やしたい理由は話した。協力してくれるのか、それとも……」
「……と言われてもな」
俺が言葉を濁した、その時だった。
「そういうことなら、このフィエルにお任せください!」
フィエルがバンッとテーブルに手をつき、満面の笑みで言い放った。
その瞳は、特大のバズの予感に爛々と輝いていた。




