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☆女神ユーティ再臨☆

 ゴッズ・グラムのアプリを起動する。

 何も投稿していない、誰もフォローしていない、影のようなアカウント。


 俺が開いたのは、DMダイレクトメッセージの画面だ。

 以前、唯一このアカウントにメッセージを送りつけてきた相手に、連絡を取る。


 送信先は、アカウント名『女神ユーティ(公式)』。


『おい、いるか。取引だ』


 送信ボタンを押すと同時、画面には封筒を開けたような「既読」のマークが浮かぶ。

 だが、返信はない。


 ……無視か?

 いや、違う。


 直後、俺の目の前の空間が、まるでバグった映像のように激しく明滅した。


 月の灯りのような光の粒子が収束し、夜景を背にした塀の上に、一人の少女が姿を現す。

 透き通るような金髪に、煌びやかな神威を纏った、正真正銘の女神。


「なによ! 今さら!」


 現れるなり、ユーティは頬を膨らませて喚き散らした。

 腕を組み、ぷいっと顔を背けるその態度は、へそを曲げた子供そのものだ。


「アタシの言うこと聞かないからそんなことになったんじゃん! もうルカちの所になんて来てあげないって言ったでしょ! アタシは神様なのよ!? 忙しいんだからね!」


「……悪かった」


「ふん! もう謝ったって許してあげ……えっ?」


 素直な謝罪が予想外だったのか、ユーティは拍子抜けしたように目を丸くした。

 俺は、その隙を見逃さずに畳み掛ける。


「お前のアンチを黙らせてやる。今、ゴッズ・グラムで暴れている連中だ」


「はぁ……? 今さら何言ってんの。そんなの放っておけばいいじゃん。ルカちだってホントはSNSに興味ないんでしょ?」


「放っておけない状況になった。だから、手を貸せ」


 俺の真剣な口調に、ユーティは少しだけ毒気を抜かれたような顔をした。

 だが、すぐに意地悪な笑みを浮かべ、塀に腰かけたまま足を組む。


「へぇ~? あんなにアタシのこと邪険にしてたルカちがねぇ。……で? どうするつもり? まさか、アタシに『ごめんなさい』して奇跡で解決してほしい、なんて虫のいい話じゃないでしょ?」


「俺がお前のアンチを黙らせる。だが、お前のやり方じゃない。もっと手っ取り早い方法がある」


 俺の言葉に、ユーティはきょとんとした後、呆れたように肩をすくめた。


「ふーん。いったいどうするつもり? 手っ取り早いのは賛成よっ! 回りくどいのは嫌いだもん!」


「前に『物理で消す』って言ったよな。ってことは、居場所は特定できるんだな?」


 俺の問いに、ユーティは当たり前だと言わんばかりに胸を張る。


「そりゃ神だからね! この世界はアタシの管理下にあるんだから。どこの誰が、どんな端末を使って、どんなパンツ履いて書き込んでるかまで全部お見通しよ!」


「パンツは余計だが……そこまで把握しているなら話は早い」


「で、なになに? もしかしてルカち、ついに物理で殺る気になった!? あ、アタシとしては命までは取らなくていいと思ってるんだけど、ルカちがどうしてもって言うなら、別にかまわないケド?」


 ユーティが目を輝かせて身を乗り出してくる。

 その無邪気な殺意は、ある意味で清々しいほどだ。


 だが、俺の頭にあるのは、肉体的な死よりもさらに残酷な報復だった。


「だから殺さねえよ。そんなことをすれば、奴らは殉教者になるだけだ」


 俺はスマホの画面をユーティに向け、指先でコンコンと叩いた。


「奴らが強気なのは匿名性という絶対的な盾があるからだ。安全圏から石を投げているつもりなんだろう。自分だけは傷つかないと信じ込んでる」


 画面の中では、今もなお『魔王』とその仲間たちが、汚い言葉でタイムラインを埋め尽くしている。

 顔も見えない、名前も分からない。だからこそ増長する悪意。


「その盾を引っぺがして、全世界に素顔を晒してやればいい。住所も、名前も、顔写真も、勤務先も、家族構成も、過去の恥ずかしい検索履歴も……全部な」


 物理的な暴力ではない。

 だが、それは社会的な死刑宣告に等しい。


 SNSにおいて、全ての個人情報を晒されることが何を意味するか。


 逃げ場のないデジタル・タトゥー。

 職を失い、家族を失い、社会的な信用を完全に抹殺される未来。


 俺の言葉に、ユーティは一瞬目を見開いた。

 しばしの沈黙の後、彼女の端整な唇が、三日月のような形に歪んでいく。


「…………えげちぃ~!」

 ユーティは腹を抱えて転げ回るように爆笑した。

「あはははは! 何それ! 最高! 物理で消すとか言ってたアタシが可愛く見えてくるわ! 元々可愛いけどねっ☆」


 キラーンと星が飛びそうなウインクを飛ばしてくる。

 その瞳には、先ほどまでの不機嫌さは微塵もなかった。


「いいねいいね! それ採用! 確かに、一瞬で消しちゃうより、じわじわと絶望に突き落とす方が罰って感じがして興奮するわ!」


「……お前、本当に性格悪いな」


「ルカちに言われたくないし! ……でもさー」


 ひとしきり笑った後、ユーティはふわりと俺の目の前に降り立ち、覗き込むような上目遣いで俺を見た。


「ちょっと妬けちゃうな~」


「何がだ」


「だってそうでしょ? アタシのときは何もしてくれなかったのに。そんなにフィエルのことが気に入ったわけ?」


 ユーティの表情から、いつものチャラい営業スマイルが消える。

 澄んだ海のように透き通った瞳が、まるですべてを見通すかのように、俺を見つめていた。


「……勘違いするな」


「ふ~ん? じゃあ、なんで?」


「……お前が気に食わないクソ女神だったからだ」


 俺はぶっきらぼうに吐き捨てた。

 だが、ユーティはそんな俺の言葉尻を逃さなかった。


「だった?」

 ニヤリ、と小悪魔的な笑みが浮かぶ。

「……てことは、今は?」


 期待に満ちた瞳が、至近距離から俺に向けられる。

 キラキラと輝くその瞳は、肯定の言葉を引き出すまでは絶対に逃さないという意思に満ちていた。


 ……面倒な女神だ。

 本当に、関わるとろくなことがない。

 だが、今回ばかりは、こいつに頼らざるを得ないのも事実だった。


 俺は溜め息を一つ吐き出し、観念したように呟いた。


「……ほんの僅かに、情状酌量の余地はある気がしないでもない」


「キャーッ! 今の聞いた!? 聞いたわよね全世界の信者たち!」

 ユーティが歓声を上げて飛び跳ねる。

「ツンデレ! これぞツンデレの極み! ルカちったら素直じゃないんだから~!」


「うるさい。さっさと仕事しろ。あの『魔王』とかいうふざけたアカウントと、それに追従してる主要な扇動者リスト……全部洗いざらい吐き出せ」


「そっか……♪ しょーがないなー、ルカちのためなら、いっちょ神の力、見せちゃいますか!」


 ユーティが指をパチンと鳴らす。

 その瞬間、俺の端末に膨大なデータが転送されてきた。


『抹殺リスト』


 恐らくユーティが命名したであろうそのファイルを開くと、そこにはズラリと並んだアカウント名と、それに対応する実名、住所、通信ログまでもが詳細に記されていた。

 中には、王都でも名の知れた貴族の子息や、商会の大物の名前まである。


「へぇ……こいつは傑作だな」


 リストをスクロールするうちに、自然と口元が緩む。

 反撃の弾丸は揃った。

 あとは、これをどう料理してやるか。


「ありがとな、ユーティ。……これに関しては、感謝してやる」


「んふふ。いいのよ。アタシも、ルカちがこれから見せてくれるショーを特等席で楽しませてもらうから♪」


 ユーティは満足げに微笑むと、再び光の粒子となって霧散し始めた。


「派手にやっておしまいなさい! アタシの可愛い共犯者ちゃん!」


 その声を最後に、再び静寂が戻った。

 だが、俺の胸中に渦巻いていた重苦しいモヤは、もう晴れていた。


 残っているのは、研ぎ澄まされた刃のような、冷徹な思考だけ。

 俺は部屋へと戻るため、宿の入口の取っ手に手をかけた。


 ここからは、俺たちのターンだ。

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