☆魔王☆
フィエルが震える手で差し出したその画面には、どす黒い悪意が凝縮されていた。
「魔王……?」
画面を埋め尽くす不吉な文字列。
トレンドの最上位に君臨していたのは、あまりに不穏で、それでいてあまりに安直な名前のアカウントだった。
だが、その安っぽさを笑う者は、今のゴッズ・グラム上にはいなかった。
『#ルカは偽りの英雄』
『#舞闘の聖女は金で買われた偶像』
『#ユーティとルカは信者を騙す詐欺師』
吐き気を催すようなハッシュタグの数々が、秒単位で更新され、タイムラインを滝のように流れていく。
それは、これまでフィエルが一喜一憂していたような、可愛げのあるアンチ活動とは次元が違った。
明確な殺意と、組織的な統率を持った、デジタルな暴力の嵐だった。
「な、なんですか……これ……」
フィエルの声が震える。
彼女が画面をスクロールする指先は、恐怖で強張っていた。
更新するたびに、罵詈雑言の数は倍々ゲームで増えていく。
『所詮は顔だけ』
『騎士団長とのコラボも金で買ったんだろ』
『信じてたのに裏切られた』
『消えろ』
『死ね』
先ほどまで「ルカジクてぇてぇ」と祝福の言葉で溢れていた画面が、見るも無惨な呪詛の言葉で汚染されていく。
それはまるで、美しい花畑に大量の汚泥がぶちまけられたような、生理的な嫌悪感を催す光景だった。
「また虫けらが湧いておりますわね」
凍りついた空気を破ったのは、氷のように冷徹な声だった。
クロエが優雅に、しかしその瞳の奥に絶対零度の怒りを宿して、自身の端末を操作し始めていた 。
「ご安心ください、ルカ様。このような根拠のない誹謗中傷など、論理的に解体すれば自ずと消滅しますわ。わたくしが『ただの観測者』として、事実に基づき、彼らの矛盾を一つ一つ丁寧に指摘して差し上げます」
クロエの指が高速で画面を叩く。
彼女は冷静だった。いや、冷静さを装っていただけかもしれないが、その対応は的確かつ迅速だった。
『その主張には客観的証拠が欠けています』
『画像は加工されたものです。元データはこちらになります』
『騎士団長との関係性は公式記録により証明されています』
クロエの放つ反論は、鋭利な刃物のようにアンチの主張を切り裂いていく。
その論理構成は完璧で、付け入る隙など微塵もなかった。
通常の炎上であれば、これだけでだいぶ沈静化していただろう。
あるいは、アンチが逃げ出していたかもしれない。
だが、今回の敵は違った。
「……っ、何ですの、こいつらは……!」
数分もしないうちに、クロエの表情が焦燥に歪み始めた。
論破されたアカウントは、反論も弁解もしない。
ただ即座に沈黙し、活動を停止する。
しかし、その直後だった。
全く別のアカウントが、まるで何事もなかったかのように、一言一句違わぬ批判コメントを投稿し始めるのだ。
「まるで……ゾンビですわね」
倒しても倒しても、次から次へと湧き出てくる。
個としての意思を感じさせない、不気味なほどの集団的悪意。
一つを潰す間に、十の新たな敵が生まれる。
十を黙らせても、百の罵倒が返ってくる。
それは対話ではなく、情報の物量による一方的な圧殺だった。
さすがのクロエも、指の動きが鈍り始める。
彼女の完璧な論理も、圧倒的な数の暴力の前では無力だった。
そして、事態は最悪の方向へと転がり落ちていく。
「あ……ああ……」
フィエルが、悲痛な声を上げる。
彼女が見ていたのは、アンチの言葉そのものではなく、その余波だった。
『ルカ様を信じて! こんなの嘘だよ!』
『みんな騙されないで!』
勇気を持って声を上げたファンたちがいた。
フィエルがこれまで大事に大事にしてきた、「ルカ様」を愛してくれる大切なフォロワーたちだ。
だが、その小さな抵抗は、瞬く間にアンチの集団リンチに遭った。
『お前もグルか?』
『信者乙』
『いくら貰って書き込んでるんだ』
『本人特定したわ』
個人のアカウントに対して、数十、数百という悪意が集中砲火を浴びせる。
擁護したファンたちは恐怖に怯え、次々とツイートを削除し、鍵をかけ、あるいはアカウントそのものを消して消え失せていく。
その光景を見て、日和見を決め込んでいた野次馬たちも、手のひらを返し始めた。
『ルカ信者乙』
『どっちもどっちだな』
『炎上商法うざい』
『もう見たくないわ』
希望が、絶望に塗り替えられていく。
積み上げてきた信頼が、嘘のように崩れ去っていく。
「ごめんなさい……ごめんなさい、みんな……私が、私のせいで……」
フィエルはついにスマホの画面から目を逸らした。
小さな背中が、激しく震えていた。
クロエもまた、悔しげに唇を噛み締め、スマホを握りしめたまま沈黙している。
俺は、その様子を見ながら、ただ立ち尽くしていた。




