不吉な予兆
「ルカ! これであなたも立派なトップインフルエンサーの仲間入りです! ゴッズ・グラムのフォロワー数、ついに大台の5万人を突破しましたよ!」
ラピス・セレスティアのロイヤルスイートの朝。
フィエルはスマホを片手に、ぴょんぴょんと跳ねながら大興奮で報告した。
その画面には、祝福のコメントと投げ銭の通知が滝のように流れていた。
「素晴らしいですわ、ルカ様。感謝祭でのアンチへの鮮やかな対応、そしてジーク騎士団長との共闘。すべてが完璧なストーリーとなり、これまでルカ様に興味のなかった層の支持を確固たるものにしました。これも今後のブランド価値向上において、計り知れない利益となりますわ」
隣で優雅に微笑むクロエも、満足げに頷いている。
しかし、その賞賛の中心にいる俺は、目の前に並べられた食事を前に、深いため息をついていた。
テーブルの上には、彩り鮮やかなフルーツが盛り付けられたヨーグルトボウルと、ハーブの浮いたミネラルウォーターが恭しく置かれている。
「……朝はトーストが良いんだけどな」
ぽつりと漏れた俺の本音に、クロエが「まあ」と優雅に眉をひそめた。
「トーストだなんて、いけませんわルカ様。聖女の朝食は、清浄なヨーグルトと季節のフルーツと、太古の昔から定められておりますの」
「どこの誰にだよ」
「聖女ルカ様のミステリアスでカリスマティックなイメージを損なわぬよう、わたくしが美容と健康を最大限に考慮してご用意した朝食だったのですが、お気に召しませんでしたか?」
「ヨーグルトもフルーツもデザートだろ。腹にたまらん。せめてご飯かパンをくれ」
俺がそう反論した瞬間、それまで端末の数字に恍惚としていたフィエルが突然顔を上げた。
「そうですよ、クロエさん。食事くらいルカの好きにさせてあげてください。オフの時までイメージ管理だなんて、息が詰まっちゃいますよ」
「それではルカ様の健康管理が疎かになりますわ。聖女たるもの、常に万全の体調を維持する義務がございます」
「それなら心配ご無用です!」
フィエルは得意げに胸を張る。
「ルカが着ている着衣神装には、着用者の健康状態を常に最適な状態に保ち続ける機能が搭載されていますので! つまり、多少偏った食事をしても、ドレスが全部なんとかしてくれるんです!」
珍しく俺に味方するフィエル。
……というかこのドレスにそんな機能があるなんて聞いてないぞ。
「確かにトーストにかじりつくルカ様も、それはそれで絵になりますし、捨てがたいですわね。けれど、フィエル様、考えてもご覧なさい。この清浄なヨーグルトとフルーツ、そしてミネラルウォーターの美容三種の神器を前にしたルカ様のお姿をゴッズ・グラムへとアップすれば、美意識の高い女性ファンの更なる増加が見込めますわ」
「クロエさん……!」
フィエルがガバっと立ち上がる。
何故か瞳にはキラキラと星が輝いている。
「どうかされましたか、フィエル様」
ふふっと鼻を鳴らしながら、紅茶を一口すするクロエ。
「それは素晴らしいお考えです! さっそくコンテンツ制作に取り掛かりましょう! 題して『ルカ様の美容の秘訣』これはバズ間違いなしです!」
朝食のひとときを巡り、フィエルとクロエの間で新たな「ビジネス」の火花が散り始めたその時だった。
ピロリン、と間の抜けた電子音が、高揚した空気を裂くように鳴り響く。
「もう、誰ですか? 今は『ルカ様の美容の秘訣』という、世界平和より重要なコンテンツについて話し合っている最中なんですが……」
フィエルは不満げに頬を膨らませながら、手元のゴッズ・グラム端末に目を落とす。
慣れた手つきで画面をスワイプした彼女の指が、ピタリと止まった。
「……え?」
先ほどまでの能天気な、あるいはクリエイターとしての野心に満ちた表情が、瞬く間に凍りつく。
その変化は劇的で、隣で優雅に紅茶を啜ろうとしていたクロエさえもが、カップを止めていぶかしげに眉を寄せたほどだった 。
「どうなさいましたの、フィエル様。まさか、フォロワー数が減ったなどという些末なことで動揺しているわけではありませんでしょうね?」
「……ち、違います」
フィエルがゆっくりと顔を上げた。
その瞳孔は揺れ、顔からは急速に血の気が引いていく。
いつも「バズこそ正義」と豪語していた自信満々な姿は、どこにもない 。
「ゴッズ・グラムの……トレンド通知、です」
彼女は震える声で呟き、その画面を俺たちに向けた。
そこに表示されていた文字列は、俺たちの、いや、ようやく軌道に乗り始めた「聖女ルカ」の物語を根底から覆す、あまりにも不吉な予兆だった。




