祝勝会☆打ち上げ☆
イベントの喧騒が嘘のような静寂が、ラピス・セレスティアのロイヤルスイートを支配していた。
俺、フィエル、そしてクロエの三人は、巨大な窓から眼下に広がる王都の夜景を眺めながら、透明な液体の注がれたグラスを手にしていた。
クロエが「お祝いですわ」と用意したそれは、グラスに注がれるだけで微細な光の粒が立ち上る、至高の逸品らしかった。
「今回のバズは過去最高でした! まさに神展開です!」
最初に沈黙を破ったのはフィエルだった。
彼女はスマホを片手に、興奮冷めやらぬ様子で捲し立てる。
「アンチの乱入を逆手に取った心理的圧殺! からの騎士団長ジークとの共闘フラグ! そしてハッシュタグ『#ルカジクてぇてぇ』の爆誕! 全てが完璧なストーリーライン! 私のプロデュースを遥かに超えてきました! さすが私のルカです!」
「ええ、フィエル様のおっしゃる通りですわ。わたくしの計算をも、良い意味で裏切ってくださいました」
隣で微笑むクロエは、フィエルとは対照的にあくまで優雅だ。
「アンチというノイズすらも、ルカ様のカリスマ性を際立たせるためのスパイスに変えてしまう……。ファンからの投げ銭も過去最高額を記録。そして何より、ジーク騎士団長との一件で、これまでルカ様に興味のなかった層……特に、王侯貴族や騎士団関係者の支持を確固たるものにしました。これは今後のブランド価値向上において、計り知れない利益となりますわ」
二人の言葉は、それぞれベクトルが違う。
フィエルが求めるのは瞬間最大風速の「バズ」という熱狂。
対してクロエが見ているのは、長期的な「ブランド価値」という支配力。
だが、その視線の向かう先が「ルカ様」という一点で交わっていることだけは同じだった。
最高のコンテンツ、か……。
俺はグラスを傾けながら、先ほどの一件を思い返す。
俺はただ、合理的にアンチを黙らせたに過ぎない。
そこに彼女たちが言うような崇高な計算など、欠片も存在しない。
だが、こいつらは勝手に物語を読み解き、勝手に熱狂する。
「本当に、ルカは最高のアイドル……いえ、聖女です!」
「ええ、わたくしたちの至高の聖女様ですわ」
端末のグラフを眺めて恍惚とするフィエル。
うっとりとしながら顔を並べて、一緒に端末を眺めるクロエ。
二人の緩みきった横顔を見ていると、溜め息と共に毒気が抜けていくのを感じた。
イベントの疲労と、一日中着せられていた衣装の精神的ダメージは甚大だが……こいつらが楽しそうなら、それで良いような気がしてくるから不思議だ。
俺がそう納得してしまったのは、フィエルの天使のような笑顔にほだされつつあるからだろうか。
それとも、初めて見るクロエの心から嬉しそうな顔に、何か思うところがあったのか。
「さあ、祝いの杯を。聖女ルカの輝かしい未来に!」
「ルカ様の更なるご活躍を祈念して」
フィエルとクロエがグラスを掲げる。
俺も気乗りしないまま、それに倣った。
カチン、と軽やかな音がスイートルームに響き渡る。
祝勝会は、こうして静かに幕を閉じるはずだった。
「……さて。わたくしはシャワーを浴びてまいりますので、ルカ様はどうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ」
祝杯から一時間ほど経った頃だろうか。
クロエが優雅に立ち上がり、バスルームへと向かう。
それを目で追いながら、俺は安堵の息を漏らした。
だが、そんな俺のささやかな安堵は、すぐ隣に座る天使によって打ち砕かれる。
「……クロエさん」
フィエルが、どこか温度のない声で呼び止めた。
「時間も遅いことですし、そろそろお暇してはどうですか」
それは完璧なまでに理路整然とした提案だった。
時刻は深夜。祝勝会は終わった。
ホテルの支配人である彼女が、客室に長居する理由はない。
だが、クロエの顔に動揺は見当たらなかった。
彼女はゆっくりと振り返ると、完璧な淑女の笑みを顔に貼り付け、こう言った。
「あらあらフィエル様。何をおっしゃるかと思えば。わたくし、今日はルカ様の部屋で寝泊まりすると心に決めておりますのよ」
空気が、凍った。
フィエルの顔から、能天気な笑みが消える。
代わりに浮かんだのは、獲物を前にした捕食者のような、鋭く、それでいて美しい微笑だった。
「それは聞き捨てなりませんね。ルカのプロデューサーは私です。そのプライベートを管理するのも私の仕事。ルカも今日はお疲れでしょうから、これ以上ルカの心労を増やすようなことをされては、困りますねえ」
「まあ、プロデューサー様でしたら、なおのことですわ。タレントと適切な距離を保つことも、お仕事のうちではございませんこと? わたくしはルカ様を心から信奉する一人のファンとして、そしてこのホテルと感謝祭の最高責任者として、ルカ様が今夜一夜を安らかにお過ごしになられるよう、万全の体制でお護りする義務がございます」
静かな、しかし熾烈な火花が散る。フィエルが「仕事」を盾にすれば、クロエは「責任」と「ファン心理」を巧みに織り交ぜて対抗する。一歩も引く気がないのは明らかだった。
……長くなりそうだ。
俺はソファに深く身を沈め、天井を仰いだ。戦場ではあれほど冴えわたる思考が、この種の争いの前では完全に役立たずと化す。
どちらの味方をしても地獄。
かといって仲裁に入るなど、火に油を注ぐ最悪の選択肢だ。
「はっきり言わないと分からないようですね! ルカは疲れてるんです。部外者がいると、気が休まらないでしょう!」
「あら。わたくしを部外者と? フィエル様こそ、一日中ルカ様を振り回してお疲れにさせた元凶ではございませんこと? 今夜くらい、静かな環境をご提供するのが優しさというものですわ」
「……へえ?」
フィエルの声のトーンが、もう一段階下がった。
俺はそっと目を閉じる。
もう知らない。勝手にやってくれ。俺は寝る。
こいつらが枕元でレスバを繰り広げようと、知ったことか。
俺が現実逃避を決め込んだその時、二人の視線が同時に俺に突き刺さった。
「ルカはどう思いますか?」
「ルカ様はどう思いますの?」
……というか何でこいつらはこんなに元気なんだ。
どうやら疲れるって言葉は、この二人の辞書にはないらしかった。




