聖女ルカ感謝祭
王国騎士団長ジークによる、力強い推薦の言葉。
それは、クロエが周到に準備した、この感謝祭のクライマックスを飾るはずの瞬間だった。
ゴッズ・グラムを通じて拡散された拡散力重視のフィエルの企画とは一線を画す、権威による「本物」の証明。
会場の熱狂は、もはや崇拝に近い荘厳な空気を帯び始めていた。
「ルカ殿こそ、真の聖女である!」
ジークの宣言が「天上の間」に響き渡り、万雷の拍手が鳴り響く。
誰もがこの歴史的瞬間をその目に焼き付け、聖女の新たな門出を祝福していた。
そう、誰もが。
その瞬間までは。
「偽りの聖女に鉄槌を!」
突如、会場の後方から甲高い怒声が響き渡った。
続いて、複数の方向から同じシュプレヒコールが上がる。
「神を騙る詐欺師を許すな!」
「金と権力で作り上げられた偶像を打ち砕け!」
シャンデリアの光が照らし出したのは、黒いローブで顔を隠した不審な集団だった。
その数、およそ二十人。
彼らは一般客を突き飛ばし、罵声を浴びせながら、ステージに向かって殺到してくる。
組織的な犯行であることは明らかだった。
「きゃあああ!」
「な、何なのよあの人たち!」
熱狂は一瞬にして恐怖へと変わり、会場はパニックの渦に飲み込まれた。
逃げ惑うファン、倒れる椅子、鳴り響く悲鳴。
祝福に満ちていたはずの「天上の間」は、地獄絵図へと一変した。
この予期せぬ事態に、二人の反応は実に対照的だった。
「……なんですの、これは……」
クロエはマイクを持つ手をわなわなと震わせ、その美しい顔を怒りで歪めていた。
血のように赤い瞳が、乱入者たちを射殺さんばかりに睨みつけていた。
「わたくしの完璧な計画を……この神聖な儀式を、土足で踏み荒らすなど……万死に値しますわ! 警備は何をしているの! 今すぐあの者共を塵も残さず排除なさい!」
完璧主義者らしい彼女にとって、計画外の不純物が混入すること自体が許しがたい屈辱のようだった。
一方、その隣でフィエルは、目を爛々と輝かせていた。
「……来ました! 来ましたよルカ! これです! これですよ!」
彼女はパニックに陥るどころか、興奮で体を小刻みに震わせていた。
その手にした端末は、すでにステージ上の俺たちと乱入者たちを完璧なアングルで捉えていた。
「アンチの襲撃! 絶体絶命のピンチ! これ以上の見せ場がありますか!? いいえ、ありませんとも! この逆境を跳ね返してこそ、真の聖女! バズの神は、今この瞬間、私たちに味方しています!」
トラブルさえも最高のコンテンツと捉えるその姿は、もはやプロデューサーというより狂信的な戦場カメラマンだった。
「面倒だな」
ぽつりと呟いた俺の言葉は、マイクを通して会場中に響き渡った。
パニックで騒然としていた会場が、その一言でわずかに静まる。
クロエとフィエルが、同時に俺を見る。
俺は彼女たちに背を向けたまま、ステージの縁へとゆっくりと歩を進めた。
眼下では、アンチ集団のリーダー格と思しき男が、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけていた。
俺はステージからひらりと飛び降り、ハイヒールでコツリと音を立てて床に着地した。
そして、アンチのリーダーの目の前まで、漫然と歩いていく。
「このペテン師め……! 今すぐにその化けの皮をはがしてやる!」
アンチのリーダーが手にした得物を見せびらかす。
……ナイフか。
これまで、拳銃を手にする者すら何人も相手にしてきた。
俺は意に介さず、そのまま相手に歩み寄る。
「お前たちの言い分はこうか? 『俺は金と権力で祭り上げられた偽りの聖女だ』。違うか?」
「そ、そうだ! 貴様のようなポッと出の小娘が、ジーク騎士団長よりも強いなどあり得ん! 全ては金持ちの道楽と、神を騙る詐欺師が仕組んだ壮大な茶番だ!」
「なるほど、理屈は分かった」
俺は頷き、男の目を真っ直ぐに見据える。
「だが、一つ勘違いしている。俺は、自らを聖女と名乗ったことは一度もない」
「……なに?」
「俺が聖女かどうか、本物か偽物かなんてのは、どうでもいい話だ。それはお前たちや、そこの熱狂している連中が勝手に決めることだ」
俺はチラリとステージ上のジークや、唖然としてこちらを見つめるファンたちを一瞥し、再び男に視線を戻す。
「だが、元日本人として、どうしても許せないことがある」
ひゅ、と男が息を呑む音が聞こえた。
俺の体から放たれる純粋な殺気に、気圧されたのだろう。
それは魔力や闘気といった派手なものではない。
ただ、実力が上の存在が発する、静かだが絶対的な威圧感。
蛇に睨まれた蛙のように、リーダーも、その仲間たちも身動きが取れなくなっていた。
「一つ、列に並ばず割り込みをする奴」
俺は一歩踏み込み、男の耳元で囁くように言い放った。
「二つ、祭りに水を差すやつ」
シン、と会場が静まり返った。
ただ、純粋な殺気のみが、辺りを支配していた。
「三つ……戦場でもないのに武器を振り回すお前みたいなやつだ」
リーダーの男は、息をする事さえ難しいらしく、次の瞬間には真っ青になり、がくがくと膝を震わせ始めた。
その瞬間、フィエルが持っていた端末から、ピコン、ピコン、とけたたましい通知音が鳴り響き始めた。
ゴッズ・グラムのライブ配信コメント欄が、爆発的な勢いで流れ始める。
『え……何あれ、ルカ様にすごまれて戦意喪失ってこと……?』
『うそ……かっこよすぎ……』
『痺れた。マジで痺れた』
『暴力じゃなく言葉で黙らせるとか神か?』
『ねぇ元ニッポンジンって……どういう意味? ルカ様は何者なの?』
そして、誰かが投稿したハッシュタグが、瞬く間にトレンドの頂点へと駆け上がっていく。
『#論破するルカ様』
フィエルが「ぐふっ」と奇妙な声を漏らし、恍惚の表情で天を仰いだ。
クロエでさえ、そのあまりに予想外な展開に、怒りを忘れて呆然と俺を見つめている。
だが、全てのアンチが殺気だけで屈するほど、甘くはなかった。
「ふ、ふざけるなあああ!」
リーダーの背後にいた数人が、屈辱に顔を歪め、ローブの下から短剣を抜き放った。
「小娘が調子に乗るなよ!」
「死ねええええ!」
鈍い銀色の光が、俺めがけて殺到する。
……やはり、こうなるか。
殺さないよう手加減するのは面倒だが、やるしかない。
俺が身構えた、その時。
カキン! という金属音と共に、目の前に白銀の影が舞い降りた。
それは、誰あろう王国騎士団長ジークだった。
彼女は腰の長剣を抜き放ち、アンチたちの刃を寸分違わずに弾き返していた。
「そこまでだ!」
凛とした声が、再び会場の空気を支配する。
ジークは俺の背中を守るように立ち、その切っ先をアンチたちへと向けた。
「非武装の者に、刃を向けるとは、騎士道にもとる万死に値する愚行。見過ごすわけにはいかん」
アンチたちが、最強の騎士の登場に怯む。
だが、ジークの言葉はそこで終わらなかった。
彼女はちらりと俺の横顔に視線を向けると、確かな信頼をその瞳に宿して、高らかに宣言した。
「そして何より――ルカに剣を向けるというのなら、まずこの白銀のジークを倒してからにしてもらおうか!」
その瞬間、会場が、今度こそ本当に爆発した。
「「「きゃああああああああああああああ!!!」」」
それは、先ほどのパニックの悲鳴とは全く質の違う、歓喜と興奮が極限まで達した絶叫だった。
特に、会場の女性ファンたちの熱狂は凄まじかった。
「な……な……」
「今……なんて……?」
「ジーク様が……ルカ様を……守った……?」
ゴッズ・グラムのコメント欄は、もはや滝のような速度で流れ、人間の目では追うことが不可能な状態に陥っていた。
『え、公式??? これ公式???』
『騎士団長様が聖女を守る図、あまりにも理解すぎる』
『背中を預ける関係……尊い……』
『今まで別々に推してたけど、今日から二人まとめて推す』
そして、先ほどの「#論破するルカ様」を遥かに凌ぐ勢いで、新たなハッシュタグがゴッズ・グラムのサーバーを焼き尽くさんばかりに拡散されていく。
『#ルカジクてぇてぇ』
『#公式が最大手』
「来てます来てます。バズの波動が……! これはバズを超えたバズ……! 大バズりの波動を感じます! ルカジク路線! それはかつての私が諦めかけた夢の光景! ですがこの光景は本物です! ですがあえて言わせてください! ルカジクてぇてぇ!」
フィエルの実況に合わせて、会場中で「ルカジクてぇてぇ」がこだまする。
俺は、自分の背後で剣を構えるジークと、絶叫するファン、そしてコメント欄の阿鼻叫喚を交互に見比べた。
アンチを論破したことで生まれたカリスマ性。
ジークとの共闘によって生まれた、全く別の文脈の熱狂。
……また面倒なことになった。
ただ、厄介事を手早く片付けたかっただけなのに。
俺は巨大な炎のような熱気の中心で、ただ一人、冷めた頭で呟いた。
「……もう帰りたい」
その小さな呟きが、熱狂にかき消されたのか、それとも都合よく無視されたのか。
俺には、もう分からなかった。




