地獄絵図? いいえプロデュースです
翌日のこと。
体をなまらせないため、街を一周、ランニングして戻って来た時のことだ。
俺は自室のドアを開けた瞬間、思考がフリーズした。
甘く、そして芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
部屋の中央に鎮座する、普段は使っていないマホガニーのように上品なテーブルには、純白のテーブルクロスがかけられ、その上には見たこともない煌びやかな茶菓子が宝石のように並べられていた。
銀の三段トレイには色とりどりのマカロンやプチフール、皿の上では艶やかなチョコレートが光を放ち、湯気の立つティーカップからは上質な香りが立ち上っている。
そして、その豪奢なティーパーティーの席で、俺のプロデューサーである天使フィエルと、このホテルの支配人である黒ゴスロリ少女クロエが、実に楽しげに談笑していた。
「……何だ、この地獄絵図は」
俺の口から漏れた呟きは、幸か不幸か二人の耳には届かなかったらしい。
フィエルはリスのように頬を膨らませ、クリームがたっぷり乗ったタルトを幸せそうに頬張りながら、ぶんぶんと足を揺らしている。
「んー! おいしいです、これ! さすがクロエさん、一流のパティシエをご存知なんですね!」
「ええ、もちろん。ルカ様をお迎えするにあたり、王都で最高の職人を引き抜いて参りましたの。フィエル様のお口にも合ったようで何よりですわ」
クロエは優雅にカップを傾け、満足げに微笑む。その目は、フィエルではなく、「ルカ様のプロデューサー」という存在に向けられているのが透けて見えた。
ようやく俺の存在に気づいたクロエが、すっと立ち上がり、優雅な一礼と共に微笑む。
「お帰りなさいませ、ルカ様。ちょうどフィエル様と、今後のルームメイクについて打ち合わせをしておりましたの」
「打ち合わせ……?」
俺の視線は、テーブルの上で主張の激しいスイーツの山と、それを嬉々として胃に収めている天使の間を往復する。
どう見ても、仕事の打ち合わせというよりは、女子会のそれだ。
フィエルが口の周りについたクリームをぺろりと舐め取り、ぱたぱたと翼を輝かせながら俺に駆け寄ってきた。
その瞳は、新たなバズの予感を見つけた時と同じ、純粋で、それゆえに厄介な輝きに満ちていた 。
「聞いてください、ルカ! 私、とんでもなく優秀なスポンサーを見つけたんです! これで私たちの活動の幅が無限に広がりますよ!」
「スポンサー……」
俺はクロエに視線を送る。彼女は悪びれる様子もなく、にっこりと微笑み返してきた。
「フィエル様のプロデュース能力、ゴッズ・グラムで拝見しておりましたわ。まさに神懸かり的! ルカ様の魅力を最大限に引き出せるのは、あなた様しかおりません。わたくし、感銘を受けましたの」
「いえいえ! クロエさんこそ! この財力、この行動力、そして何より「ルカ様」への深く、純粋な愛! これほど心強いサポーターはいません! 私たち、きっと最高のパートナーになれます!」
次の瞬間、天使とゴスロリ少女はがしっと固い握手を交わし、「ええ!」「ええ!」と互いに頷き合った。
その周りには、キラキラしたエフェクトが見えるような気さえした。
俺という本体を完全に置き去りにして勝手に結託していく二人の姿に、俺はこめかみを押さえた。
「待て。なんでお前らがパートナーになるんだ。というかスポンサーってなんだ。俺は無料の施しは受けないと言ったはずだ」
「まあ、ルカ様。これは施しなどではございません。『聖女ルカ様』に当ホテルに滞在いただくのですから、むしろ当然の『投資』と言えますわ」
「そうですよ、ルカ! これは必要経費です! かび臭いベッドで目覚める聖女なんて誰も見たくないでしょう? それに、お金がないと打てる手が限られてくるのです!」
フィエルは満面の笑顔でそう言い切る。
そういえば以前も結局、彼女の笑顔に押し切られ、この高級宿に滞在することになったのだ。
「それで? 打ち合わせとやらはどうなったんだ」
俺が半ば諦め気味に尋ねると、二人は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「まず、ルカ様のイメージに合わせて、毎日テーマを変えたルームメイクをご提案いたしました」
クロエがどこからか取り出した分厚い企画書をテーブルに広げる。
そこには、美しいデザイン画と共に、意味不明なタイトルが並んでいた。
プランA:朝露に濡れる銀薔薇の乙女。純白のカーテンと生花をふんだんに使った清純な空間演出。
プランB:月夜に舞う戦乙女。ダークブルーの天蓋と銀糸の刺繍が施されたベッドカバーで孤高の戦士を表現。
プランC:午後の陽だまりと微睡みの妖精。アンティーク家具と柔らかなファブリックで束の間の休息を……
「……」
「どうです、ルカ! 素晴らしいでしょう!? これを毎日変えるんです! そして、その様子をカメラで撮影して、ゴッズ・グラムのショート動画として投稿するんです! 『ルカ様のモーニングルーティン』! フォロワーたちが毎朝ルカのショート動画と共に起き、そして仕事中は今日のルカの動画を楽しみに過ごし、家に帰ればルカの活躍の動画に癒され、あるいは心踊らされ……そして夜には『ルカ様のパジャマショット』と共に眠りにつく。考えただけでよだれが止まりません。これはバズ間違いなしです!」
フィエルが企画書を指さしながら、興奮のあまり翼をばたつかせている。
その羽ばたきで巻き起こった風が、テーブルの上のマカロンをいくつか吹き飛ばした。
「待て。勝手に人の寝室を撮るな。プライバシーの侵害だ」
思わず口をついて出た俺のツッコミに、思わぬ所から援護が来る。
「フィエル様、それはいささか安直すぎますわ。ルカ様の価値を安売りするような企画は、わたくしとしては賛同しかねます。やるとしたら、真のファンのみが拝見できる、完全会員制コンテンツにすべきです」
「えー! もっとたくさんの人に見てもらった方が絶対バズるのにー!」
「ご安心ください、フィエル様。完全会員制コンテンツにするのは、『ルカ様のモーニングルーティン』と『ルカ様のパジャマショット』のみです。その際、撮影クルーは全て、口の堅い我がホテルの従業員で固めます。もちろん、全員女性ですのでご安心ください」
援護だと思って期待した俺が馬鹿だった。
どうやら俺の反論は、二人の熱気の前では無意味なようだった。
彼女たちの暴走は、もはや誰にも止められない。
「まだまだありますのよ。ルカ様のイメージ戦略は多角的に行うべきです。たとえば、アメニティ。ルカ様の銀髪をイメージした特注のシャンプーや、お肌の色に合わせたバスソルトはいかがでしょう。もちろん、ゴッズ・グラムでのプレゼント企画用ですわ」
「最高です、クロエさん! それなら、ルカのサイン入り食器や、ルカ仕様のリボンもオークションにかけましょう! 熱心なファンなら高値で落札してくれるはず! その収益は次の活動資金に充てられます!」
「まあ、素晴らしいアイデア! でしたら、ルカ様の等身大抱き枕の製作も進めませんこと? 生地はもちろん最高級のシルクで」
「いいですね! あと、ルカの部屋で使っているのと同じアロマキャンドルも……」
こいつら、正気か? 俺をなんだと思ってるんだ。
もはや、俺の意思など介在する余地はないのか。
「資金はご心配なく。我がホテルの総力を挙げてバックアップいたしますわ。ルカ様が輝くためならば、いかなる出費も厭いません」
「心強すぎます! これで最新の撮影機材も導入できますし、専属の編集スタッフも雇えます! 撮影専用機材も欲しいですね! ルカの戦闘シーンを、もっとダイナミックに……!」
もはや、俺は会話に割り込む気力すら失っていた。
ただ、遠い目をして、天井の豪華なシャンデリアを見上げる。
暗殺者として生きてきた俺が、なぜこんなキラキラした狂人たちのオモチャにされなければならないのか。
運命を呪う。
すると不意に、フィエルが俺の目の前に立ち、満面の笑みで告げた。
「というわけで、ルカ! 色々と話がまとまりましたので、報告します! 本日この時をもって、私とクロエさんで『聖女ルカ様プロデュース委員会』を発足することに決定しました!」
「……は?」
「全てはバズのためですよ。ルカだってバズるのは好きでしょう? 異論はありませんね?」
有無を言わさぬ、というよりは、俺が拒否することなど頭の片隅にも考えていない口調だった。
隣で、クロエがこくりと頷き、慈母のような笑みを浮かべている。
「ご安心くださいませ、ルカ様。わたくしどもは、ルカ様が真の聖女としてこの世界に認められるため、誠心誠意、影となり日向となりお支えするだけですわ」
フィエルはこれから始まる輝かしい未来を確信して目をキラキラと輝せ、クロエの表情は、神に仕える巫女のように恍惚としている。
……まぁ、いいか。
こんな風に目をキラキラと輝かせるプロデューサー天使に、どうやら俺は逆らうことができないらしかった。
「……好きにしろ」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細かった。
それを了承と受け取ったのか、フィエルとクロエは「やりました(わ)!」と声を揃えてハイタッチを交わした。
こうして、俺の意思の介在する余地のない、最強のプロデューサーと最狂のスポンサーによる悪魔的な協力体制――「聖女ルカ様プロデュース委員会」が、爆誕した。
部屋に満ちる甘い菓子の香りと、二人の弾むような笑い声を聞きながら、俺はこれから始まるであろう、さらに過酷で、面倒で、そして逃げ場のない日々に思いを馳せ、静かに目頭を押さえたのだった。




