出会ってはならないふたり
案内されたパンケーキ店は、白を基調とした内装に、天井からドライフラワーが吊るされた可愛らしい雰囲気の店だった。
運ばれてきたパンケーキは、確かにクロエが力説した通り、ふわふわの生地が見るからに柔らかく、新鮮なフルーツとクリームが惜しげもなく盛られていた。
「どうです? この芸術的なフォルム。SNS映えも完璧ですわ!」
「……ああ」
俺は素っ気なく返事をしながら、先ほどの殺気を放っていた少女と、目の前で目を輝かせながらパンケーキを頬張る少女の姿を重ね合わせ、そのギャップに眩暈すら覚えていた。
こいつの腹の中は、このパンケーキのように甘いのか、それとも路地裏の暗闇のように昏いのか。
「先ほどは感服いたしましたわ」
パンケーキを一口堪能した後、クロエが思い出したように言った。
「あのような輩、わたくしでしたら問答無用で潰してしまいますのに、まるで動じないルカ様の寛大なお心。……実は、アンチからのコメントに、ルカ様がお心を痛めておられないか、少し心配しておりましたの。ですが無用な心配だったようですわね」
「騒ぎを起こすのが面倒なだけだ。それより、昨日のアンチへの対応は見事だったな。おかげで助かった」
俺がそう言うと、クロエは満面の笑みを浮かべた。
「お役に立てて光栄ですわ。ですが、あれも少しばかり計算がありましてよ」
「計算?」
思わず聞き返す。やはり、この少女の親切には裏があるらしい。
俺の警戒をよそに、クロエは楽しげに目を細めた。
「ふふ、その話はまた帰り際にでも。今はパンケーキを楽しみましょう? せっかくの絶品ですもの。ところで、ゴッズ・グラムにはアップなさらないのですか? ファンの方々も、ルカ様のプライベートな一面をご覧になりたいはずですわ」
俺は目の前の甘い皿に視線を落とす。
フィエルなら、SNS映えすると大騒ぎしそうな光景だ 。
だが、生憎と俺にそんな趣味はない。
「私生活をいちいちアップするほどマメじゃないんだ」
「まあ、でしたら」
待ってましたとばかりに、クロエは目を輝かせた。
「わたくしが、この素敵な思い出を写真に収めてもよろしいでしょうか? ルカ様の貴重なオフショット、宝ものにいたしますわ」
その提案には、純粋なファンとしての好意と、どこか抜け目のない計算が同居しているように感じられた。
だが断るのも面倒になり、俺は小さく息をついた。
「……好きにしろ」
俺がそう呟くやいなや、クロエはどこからか取り出したスマホを構え、パシャ、パシャと軽快なシャッター音を響かせ始めた。
帰り道、俺たちが宿泊している宿――いや、ホテルと言うべきか、その立派な建物の前まで来た時、クロエは立ち止まって優雅に一礼した。
「ようこそお越しくださいました、ルカ様。わたくしの城、『ラピス・セレスティア』へ」
「……は?」
「ですから、ここがわたくしの仕事場ですの。お客様の動向を把握するのは、支配人として当然の務めですわ。ささ、ルカ様。こちらへ」
クロエに促されるままエントランスを抜けると、カウンターの奥から従業員が一斉に姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、支配人」
ロビーの豪奢なソファに案内され、俺は改めて向かいに座る少女を見た。
ただのファンや暇人どころか、この巨大なホテルの頂点に立つ人物だったとは。
「ルカ様のような時の人に当ホテルへお泊りいただければ、その名はゴッズ・グラムを通じて瞬く間に広まります。昨夜の炎上は、ルカ様の名声をさらに高める絶好の機会。そのための先行投資として、アンチの方々にはご退場願ったまでですわ」
ビジネスライクに語るクロエ。
だが、すぐに悪戯っぽく笑みを深めた。
「……まあ、それ以前に、わたくしがルカ様の大ファンだった、というのもありますけれど。好きなものが目の前で貶されるほど、不愉快なことはありませんもの」
そう言って彼女がすっとテーブルの上に出したのは、黒曜石のように艶やかな黒いカードだった。
「こちらをどうぞ。当ホテルが真の貴賓にのみお渡しする、VIPメンバーズカードですわ。これがあれば、今後一切、料金を気にすることなく『ラピス・セレスティア』をご利用いただけますのよ」
つまり、未来永劫無料で泊まれる、ということか。
とんでもない申し出だ。
だが、俺はそのカードに指一本触れなかった。
「……遠慮しとく」
「まあ、なぜですの?」
「無料より高いものはないって、ガキの頃教えられたんでね」
俺の返答に、クロエは一瞬きょとんと目を丸くしたが、やがて堪えきれないといった様子でくすくすと笑い出した。
「ふふ、あはは! なるほど……なるほど! ますます気に入りましたわ、ルカ様。その気高いお心、本当に素晴らしいですわね」
その瞳は、心底楽しそうに輝いていた。
「さて、カードの件はまた改めてご検討いただくとして……」
クロエは優雅に立ち上がると、話題を変えた。
「お部屋はいかがでしたか? 急なご宿泊でしたので、簡素な設えの部屋しかご用意できませんでしたが」
「……簡素? あれが?」
「万人受けする設え……平たく言ってしまえばつまらない部屋ですわ」
クロエは大げさに眉をひそめ、何かを考えるように顎に指を添えた。
「こんなのはどうでしょう? ルカ様がお部屋をお留守にされている間に、わたくしが毎日、その日のルカ様のイメージにぴったりのルームメイクを施しますの。たとえば、今日は可憐なパンケーキのようでしたから、甘く愛らしいお部屋に。先日の戦いのように気高い日には、凛とした青を基調にした内装に……」
「……好きにしろ」
際限なく続きそうな提案を遮るように、俺は短く答えた。
これ以上、こいつのペースに巻き込まれるのはごめんだ。
だが、承諾の言葉を口にした瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
そうだ、部屋には――。
脳裏に、すやすやとベッドで眠る小さな天使の姿が浮かぶ 。
フィエル。
俺を勝手に「聖女ルカ様」に仕立て上げ、ゴッズ・グラムでのプロデュースに夢中になっている、元凶の天使 。
こいつと、あいつを、絶対に出会わせてはならない。
直感が警鐘を鳴らす。
片や、ファンを名乗りつつ俺を宣伝塔に仕立て上げようとするホテルの支配人。
片や、俺を人気コンテンツに仕立て上げようとするプロデューサー。
この二人が手を組んだらどうなる?
答えは火を見るより明らかだ。
俺の意思など完全に無視され、とんでもない方向に「聖女ルカ様」の偶像が作り上げられていくに違いない。
そうなれば、俺に平穏な日常など永遠に訪れないだろう。
「……では、早速本日分のルームメイクの準備をさせませんと。ささ、お部屋までお送りしますわ、ルカ様」
「いや、いい。ここで」
俺は立ち上がり、クロエの申し出を断固として拒否した。
その奥にある確固たる意志を感じ取ったのか、クロエは目をぱちくりとさせた後、深々と、そしてどこか嬉しそうに微笑んだのだった。
「では後ほど、ルームメイクに伺いますわ。……それと、ルカ様の本日のゴッズ・グラム、楽しみにしていますと、翼の生えた彼女にも伝えておいてくださいませ」
……時すでに遅し。絶対に出会ってはならない二人は、既に出会っていたらしかった。




