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☆ただの観測者☆

 狂騒のるつぼと化していたゴッズ・グラムのタイムラインも、夜明けと共に熱狂が嘘のように引いていき、今は散発的なコメントが流れるだけになっている。


 宿の一室。

 フィエルは夜通しその熱狂を見続けていたせいか、疲れて眠っている。

 その安らかな寝顔を崩さないよう、俺は音を立てずにベッドを抜け出し、慎重に宿の扉を開けた。


 ひやりとした朝の空気が肌を撫でる。

 その時、視界の端に、妙な影が映り込んだ。


 宿の前には、一人の少女が立っていた。


 陽光を拒むように黒い日傘を差し、豪奢なフリルとレースで飾られた漆黒のゴシックロリータドレスに身を包んだ少女。

 朝の穏やかな光景の中で、その一角だけが夜の色に染まっていた。


 まさか、俺が投稿した「#猛者求む」に釣られてやってきた手合いか……?


 警戒を露わにする俺に対し、少女はくすりと微笑んだ。


「勘違いなさらないでくださいまし。わたくし、ルカ様に楯突くつもりなど毛頭ございませんの」


 鈴を転がすような声。

 だが、その瞳は俺の力量を値踏みするように細められている。


「なら、何の用だ」


「『ただの観測者』、と申し上げれば、ご理解いただけますでしょうか」


 その名前に、記憶が繋がった。

 昨晩、異常な速度と精度でアンチコメントを片っ端から論破していた、あの謎のアカウント。


「……リプ欄で暴れてた奴か」


「まあ、暴れるだなんて人聞きが悪いですわ。わたくし、ただ事実を陳列し、論理の誤りを指摘していただけですのに。……でも、ルカ様に認知されていたなんて、光栄の至りですわ」


 少女は嬉しそうに胸の前で小さく手を合わせた。


「あんた暇人なのか」


「ふふ、ファンに対して随分な物言いですわね」


「悪かったよ。で、結局、何の用なんだ」


 俺が改めて問いかけると、少女は小さくため息をついた。


「わたくし少々退屈を持て余しておりまして、ルカ様のアンチの方と議論するのにも飽きてきましたので、ルカ様に挑む愚か者が居れば是非! コテンパンにやられるところをこの目で見たいと思い、馳せ参じたのですわ」


「やっぱり暇人か」


「広義の意味では、そうかもしれませんわね」


 ……暇人に広義の意味なんてねえよ。


 また面倒そうな奴が来た。

 それが彼女の第一印象だった。


「こんな場所で立ち話もなんですから、この街で一番美味しいパンケーキのお店にご案内いたしますわ。そこでお茶でもいかがです?」


「……分かった。案内を頼む」


 とはいえこの少女が昨夜の炎上を収束させる一助となったのは紛れもない事実。

 無下にもできない。

 それに、誘いを断る理由も特にないし。


「ところで、いつまでも『あんた』では不便だろう。名前は?」


「あら、自己紹介がまだでしたわね。失礼いたしました。わたくし、クロエと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 クロエと名乗った少女は、スカートの裾を少しだけ持ち上げ、優雅に一礼してみせた。


 思えばこの街にたどり着いてから、ゆっくりと散策する機会はなかった。

 クロエの案内に従いながら、俺は通りの店の配置や路地の構造を頭に叩き込んでいく。

 これも良い機会だ。


「この先を曲がったところに、お店がありますの。ふわふわの生地に、季節の果物をたっぷり使ったソースが絶品でして……」


 クロエが弾んだ声で店の説明をしていた、その時だった。

 路地裏から、こちらに向けられた悪意のある囁き声が耳に届いた。


「……ちっ、あれが例のルカかよ。調子に乗りやがって」

「ジーク団長まで巻き込んでバズって、いい気なもんだぜ。どうせ大したことねえくせに」


 昨日、SNS上で散々見かけた種類の、嫉妬と侮蔑に満ちた声。

 俺は気にも留めず通り過ぎようとした。

 だが――。


「――あら?」

 隣を歩いていたクロエの足が、ぴたりと止まった。

 

 彼女は笑顔のまま、ゆっくりと声のした方へ顔を向ける。

 先程までの弾んだ声とは似ても似つかぬ、地獄の底から響くような、低く、冷え切った声色で呟いた。


「虫けらが何か鳴いておりますわね。ルカ様の名を、その汚れた口で気安く呼ぶなど……万死に値しますわ」


 口調こそ丁寧だが、その言葉一つ一つに込められた殺意は本物だった。

 クロエは囁き声の主の方へ、つかつかと歩み寄った。


「……その舌、根元から引き抜いて、二度と鳴けないようにして差し上げましょうか?」


 ひぇっ、と喉が鳴る。


 路地裏から聞こえたのは、そんな生々しい音だった。

 先程まで悪意ある軽口を叩いていた男たちが、まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。


 無理もない。

 クロエから放たれる殺気は、尋常なものではなかったからだ。


 それは、俺がかつて裏社会で幾度となく浴び、そして自らも放ってきた、純粋な殺意。

 口先だけの脅しではない、本気で相手の命を摘み取ろうとする者だけが発する、凍てつくような圧力。


「おい、やめろ」


 俺は、クロエの肩にそっと、しかし強く手を置いた。


 俺の声に、クロエはぴくりと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その顔には先程までの無邪気な笑顔が張り付いたままだが、瞳の奥では昏く冷たい光が渦巻いていた。


「……なぜお止めになるのですか、ルカ様。あのような下賤の輩、わたくしが今すぐにでも、二度と不敬な口を利けぬよう躾をして差し上げますのに」


「必要ない」


 俺は短く言い放ち、路地裏の男たちを一瞥する。

 彼らは腰を抜かしたのか、へなへなとその場に座り込んでいた。


「ああいう手合いの戯言に、いちいち腹を立てるだけ無駄だ。それに、こんな街の真ん中で騒ぎを起こす方が、よほど面倒だろ」


 俺の言葉に、クロエはしばらくの間、何かを思考するように瞬きを繰り返した。

 だがやがて、渦巻いていた殺気がすうっと霧散していく。


「……ルカ様が、そうおっしゃるのでしたら」


 彼女は小さく頷くと、スカートの裾を翻し、再び俺の前を歩き始めた。

 その横顔からは、先程までの殺意は微塵も感じられない。

 まるで何事もなかったかのように、彼女は上品に微笑む。


「さ、参りましょう、ルカ様。絶品のパンケーキが、わたくしたちを待っておりますわ」


 その切り替えの早さに、俺は内心で舌を巻いた。

 ただの観測者。ただのファン。

 その可愛らしい見た目に反し、どこか老練した気配を放つ少女。

 

 俺は小さく息をつき、逃げるように去っていく男たちの背中には目もくれず、クロエの後を追った 。

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