炎上対策?
SNS大国日本で生まれた俺は、興味がなくともSNSについてそれなりの知識はある。
炎上した場合の対策は、大きく分けて三通り。
一つ目は、誠心誠意謝ること。これをすると多くの人は溜飲を下げる。だが何割かのアンチは更に謝罪を要求しようとエスカレートする場合がある。
二つ目は、時間薬に頼ること。放っておけばそのうち人は忘れる。一つの話題で永遠に盛り上がれるほど、人は暇じゃないから。
そして三つめは、炎上を利用すること。
「つまり、炎上商法を使うのですね!」
「まぁそんなところだな」
たとえばこんな具合に。
――――――――――――――――
☆ルカ様より重要なお知らせ☆
文句のある人はかかってきなさい!
ルカ様は逃げも隠れもしません!
#猛者求む#コメントだけの猛者も歓迎
――――――――――――――――
「こんなこと書いて、強い武神様とか来たらどうするんですか!」
「本当に強い奴は集団で優位に立った時に攻撃なんてしない。逆に冷めるからな。それに……きっと誰も来やしないさ」
「では、何のためにこんな投稿を?」
「炎上させるためだ」
「更に炎上させてどうするんですか!」
「上手くいけばフォロワーの数が爆発的に増える」
「もしかしたら夜道を歩くときに石とか投げられるかもしれませんよ」
「俺がそれに気づけないとでも?」
「む……。分かりました。ルカにお任せします」
半信半疑なフィエルを横目に、俺は投稿ボタンを押す。
その瞬間、静寂が訪れる。
フィエルは固唾を飲んで、自分のスマホを握りしめている。
その画面には、先ほど俺が投稿した挑発的な文言が映し出されていた。
ピロン。
静かな室内に、軽やかな通知音が一つ。
それを皮切りに、まるで堰を切ったかのように通知の嵐が始まった。
ピロン、ピロン、ピロンピロンピロン!
端末は狂ったように震え続け、画面の上部から通知が滝のように流れ落ちては消えていく。
「すごい勢いです……! これが、『#猛者求む』の効果……!」
期待に満ちた声でフィエルが画面を覗き込むが、その表情はみるみるうちに曇っていった。
画面を埋め尽くしていたのは、お世辞にも猛者とは呼べない、粘着質で悪意に満ちた言葉の群れだった。
『口だけ番長乙www #コメントだけの猛者 はお前のことだろ』
『かかってこい(誰も来ない前提)』
『ていうかジーク様への謝罪はまだ? バニーガールが調子乗んな』
「ルカ……」
かき消されそうなほどか細い声で、フィエルが心許なさそうに俺の名を呼ぶ。
その瞳は潤み、今にも決壊しそうだ。
「だからコメントを見るな。しばらくはクソリプが続くんだ。クソリプが並んでいる中に擁護コメントを書いても周りから叩かれるだけだから、クソリプ以外に書けない。それが今の俺たちの置かれた状況だ」
俺の冷静な言葉に、フィエルは小さく頷く。
彼女が夢見た、応援コメントで溢れる輝かしいタイムラインは、そこにはなかった。
絶え間なく流れ続ける悪意の奔流を前に、フィエルの心はとっくに限界のようだった。
「うぅ……ひどい……あんまりです……」
ベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めて嗚咽を漏らす。
その背後で、無機質な通知音だけが虚しく鳴り響いていた。
その時だった。
ピロン、ピロン、ピロン、と続いていた通知音が、突如として異質なリズムを刻み始めた。
ピロピロピロピロピロピロン!
と、まるで何かが高速で打ち込まれるような、猛烈な連打音。
「……なんだ?」
俺は眉をひそめ、フィエルの端末に目をやる。
画面上のタイムラインには信じられない光景が広がっていた。
おびただしい数のクソリプの奔流を、たった一つのアカウントが凄まじい勢いで捌き、押し返している。
アカウント名は「ただの観測者」。
そのアカウントは、画面を埋め尽くすアンチコメントの一つ一つに、恐るべき速度でリプライを飛ばし、的確に、そして冷徹に論破していた。
アンチA:口だけ番長乙www #コメントだけの猛者はお前のことだろ
ただの観測者:定義の誤解。彼女はオークの親玉をほぼ単独で討ち取っている。これは映像で確認可能な「事実」。対して、あなたの発言は匿名空間からの「感想」。どちらが「コメントだけ」かは自明の理。
アンチB:ていうかジーク様への謝罪はまだ? バニーガールが調子乗んな
ただの観測者:論点のすり替え。ジーク氏は敗北を認め、潔く去った。当事者が完結させた話に、部外者が謝罪を要求するのは彼女の騎士としての名誉を毀損する行為。あなたはジーク氏の敵?
アンチC:かかってこい(誰も来ない前提)
ただの観測者:誰も来ないかどうかを確認できていない時点であなたの脳内の都合の良い設定に過ぎない。また、それを確認できた時点であなたが現地へ行っているので誰も来ない前提は破綻している。
「フィエル、面白いものが見れるぞ」
俺が声をかけると、フィエルはのろのろと顔を上げる。
その涙で濡れた瞳に、端末の画面が映し出される。
「これ、は……?」
そこには、先ほどまでフィエルの心を抉っていた悪意の言葉が、ことごとく『ただの観測者』によって解体され、沈黙させられていく様がリアルタイムで表示されていた。
あれだけ猛威を振るっていたクソリプの勢いが、明らかに衰え始めている。
それはまるで、濁流の中に現れたたった一つの岩が、流れそのものの形を変えていくようだった。
「すごい……たった一人で、あの人たちを……」
呆然と呟くフィエル。
絶望の淵にいた彼女の瞳に、再び小さな光が灯り始めていた。
「ただの観測者」と名乗る謎のアカウントは、その後も驚異的な速度でタイムラインを浄化し続ける。
その的確すぎる反論は、もはや一つのエンターテインメントのようでもあった。
「この人、一体何者なんでしょう!? 味方……ですよね?」
「だろうな。だが、まだ安心するには早い」
俺の言葉を証明するかのように、沈黙させられたはずのアンチたちが、再び牙を剥き始めた。
アンチA:口だけ番長乙www
ただの観測者:定義の誤解。彼女はオークの巣を単独で壊滅させている。これは映像で確認可能な「事実」。対して、あなたの発言は匿名空間からの「感想」。どちらが「コメントだけ」かは自明の理。
アンチA:うっせーなw 事実とか感想とかどうでもいいんだよ。見てて不快なんだからそれが全てだろ。信者の火消し乙。
アンチB:ていうかジーク様への謝罪はまだ? バニーガールが調子乗んな
ただの観測者:論点のすり替え。ジーク氏は決闘の敗北を認め、潔く去った。当事者が完結させた話に、部外者が謝罪を要求するのは彼の騎士としての名誉を毀損する行為。あなたはジーク氏の敵?
アンチB:は? ジーク様のファンが黙ってられないって言ってんだよ。そもそもお前誰だよ。いきなり出てきて知ったような口聞くな。
アンチC:かかってこい(誰も来ない前提)
ただの観測者:誰も来ないかどうかを確認できていない時点であなたの脳内の都合の良い設定に過ぎない。また、それを確認できた時点であなたが現地へ行っているので誰も来ない前提は破綻している。
アンチC:残念でしたwww遠くから見てれば現地へ行かずに確認できますwwwはい論破www
「あ……」
フィエルの表情が再び曇る。
一度論破された相手が、開き直りや人格攻撃という新たな武器を手に戻ってきたのだ。
だが、「ただの観測者」のタイピング速度は、まるで衰えを知らない。
アンチA:うっせーなw 事実とか感想とかどうでもいいんだよ。見てて不快なんだからそれが全てだろ。信者の火消し乙。
ただの観測者:再反論感謝。だが論理性の欠片もない。不快感は主観であり、それを普遍的な正義であるかのように語るのは議論の放棄。また、私を信者とレッテル貼りすることで、こちらの発言の信憑性を貶めようという意図が見えるが、残念ながらそれはあなたの敗北宣言にしかならない。
アンチB:は? ジーク様のファンが黙ってられないって言ってんだよ。そもそもお前誰だよ。いきなり出てきて知ったような口聞くな。
ただの観測者:自己紹介に感謝。私は誰でもない者だ。だが誰であるかは問題ではない。発言の内容に反論できないからと、発言者の出自を問い始めるのは、議論における典型的な悪手だ。
アンチC:残念でしたwww遠くから見てれば現地へ行かずに確認できますwwwはい論破www
ただの観測者:現地に到着した。遠くから見ているのなら、私の姿を見つけられるはずだが。再論破お待ちしています。
あまりにも冷静で、情け容赦のないカウンター。それは、怒りに任せて殴りかかってきた相手を、最小限の動きでいなし、的確に急所を打ち抜く達人の動きにも似ていた。
「すごい……すごいです……!」
フィエルは、もはや感嘆の声を漏らすことしかできない。
しかし、俺はタイムラインの不穏な変化に気づいていた。
個々で撃退されたアンチたちが、今度は矛先を一つに定め、連携し始めている。
『ていうかこの観測者ってやつ、何様?』
『ルカ本人よりうぜえな』
『信者ってマジでキモいな』
そして、ついに一つのハッシュタグが生まれた。
『#ただの観測者は黙ってろ』
「始まったな」俺は静かに呟いた。
#ただの観測者は黙ってろ。という悪意に満ちたハッシュタグは、凄まじい勢いで拡散され、瞬く間にトレンドの上位へと躍り出た。
今まで個別に論破されていたアンチたちが、共通の敵を見つけたことで結束し、津波のように「ただの観測者」のアカウントへ押し寄せていく。
『出しゃばり信者キモすぎ』
『正論ぶってるけどただの逆張りだろ』
『お前も同罪 #ただの観測者は黙ってろ』
『#ただの観測者は黙ってろ』
『#ただの観測者は黙ってろ』
「あ、ああ……私のせいで、あの人まで……!」
せっかく輝きを取り戻しかけたフィエルの顔から再び血の気が引き、その瞳が絶望に揺れる。
たった一人で孤軍奮闘していた「ただの観測者」が、今度は新たな炎の標的にされていた。
だが、その時だった。
濁流の中に、新たな石が投じられた。
名もなき衛兵:横から失礼します。ですが、観測者殿の言うことに間違いはないかと。ルカ殿は実際にゴブリンの群れから街を救ってくれた。それを憶測だけで非難するのは見るに堪えません。
それは、これまで沈黙を守っていた層からの、震えるような最初の声だった。
アンチからの即時的な罵倒に晒されることを覚悟した上での、小さな、しかし確かな勇気。
その一石が、堰を切ったかのように流れを変えた。
しがない道具屋の娘:私も同意見です! それにルカ様がいなかったら、ジーク団長は今頃オークに……! 応援してる人もいるってこと、忘れないでほしいです!
王国騎士団ウォッチャー:騎士団ファンだけど、ジーク様本人が敗北を認め、潔く去った一件。外野が蒸し返すのは、逆にジーク様の名誉を汚す行為だと思う。
コスメオタクLv.99:ていうか、単純にルカ様の戦い方が美しいから見てるだけなんですけど? なんで部外者が口出すの? ジーク信者は他所へ行って。
最初は「ただの観測者」を援護する声だったものが、いつしか「ルカ」自身を擁護する声へと繋がり、大きなうねりを生み出していく。
それは、これまでアンチの勢いに押されて声を上げられずにいた、サイレントマジョリティの反撃の狼煙だった。
そして、誰かが新しいハッシュタグを作る。
『#ただの観測者は黙らない』
『#ルカ様を応援します』
「これは……!」
フィエルの瞳が見開かれる。タイムラインは、もはや一方的な罵詈雑言の場ではなかった。
アンチの黒い濁流、観測者の青い反論、そして今、新たに参加した擁護派の温かな光が入り乱れる、混沌とした戦場へと変貌していた。
「すごい……みんなが、応援してくれてる……!」
涙声ながらも、その声には確かな力が戻っていた。
俺はそんなフィエルの横で、静かに端末の画面を見つめる。
それはさながら、巨大な祭りの会場のようだった。
『うおおおお! 行けぇ観測者ァ! そいつを論破しちまえ!』
『アンチは黙ってろ! ルカ様は正義!』
『#ただの観測者は黙らない ってタグが伸びてるぞ! みんな続け!』
熱狂的な信者の声援。
『信者キッショ。てか本人降臨まだ?w』
『論破(笑)早口で言ってそう』
『#ルカ様を応援します ←このタグ付けてる奴ら全員ブロック推奨』
それに噛みつくアンチの嘲笑。
タイムラインは、もはや議論の体をなしていなかった。
賛成と反対、賞賛と罵倒、論理と感情がごちゃ混ぜになり、凄まじい熱量の渦を巻いている。
そして、その混沌をさらに加速させていたのが、第三の勢力――ただ祭りに参加したいだけの、野次馬たちだった。
『トレンドから来ました。何この地獄みたいな盛り上がり方w』
『どっちもどっち。だが、面白いからもっとやれ』
『とりあえずルカって子、フォローしといた。今後も楽しませてくれよな!』
『この流れ、懐かしいな。かつての「聖剣抜き太郎」の炎上を思い出す』
『よく分からんが、火に油を注げばいいんだろ? ジーク様がバニー姿でオークに負けたってマ?』
彼らは信者でもアンチでもない。
ただ、目の前で繰り広げられる争いを、高みの見物に来ただけだ。
「ル、ルカ……! 見てください。フォロワーが……! フォロワーがすごい勢いで……!」
俺の隣で、フィエルが震える指で端末の画面を指し示す。
そこには、アカウントのフォロワー数が、壊れたスロットマシンのように猛烈な勢いで回転し続けるカウンターが表示されていた。
炎上が炎上を呼び、野次馬が野次馬を呼び込み、その結果として俺の知名度だけが異常な速度で膨れ上がっていく。
信者VSアンチ。
その戦いは、もはや当事者たちの手を離れ、集まった観衆の熱狂によって一晩中盛り上がり続けたのであった。




