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じじっ、と背の低い蝋燭の炎が揺れた。
修繕が行き届いていない屋敷には方々から冷たい風が吹き込んでくる。
「……ちと、寒いな」
秋口で、この寒さである。本格的な冬がきたら堪らないだろう。
文机に向かって筆を走らせていた青年が、筆を置いて手を擦る。
「直すか」
立ち上がり、酒の匂いと酔漢の気配がする隣の部屋へと足を向けた。
ほどなくして戻ってきた青年の顔には、諦めの色が滲んでいた。そこかしこに散らばっている書き損じた文が、隙間風で動いて青年の足元にまで運ばれてきた。
そのいくつかを手に取り、慣れた手つきで破れた障子を繕っていく。
仮にも幕府拝領の御家人屋敷でこれはいささか見栄えが悪いが、貧乏と頭につく御家人の家に尋ねてくる人もそう滅多にない。見栄えよりも隙間風を防ぐ方が、彼にとっては大切なのである。
よしできた、と、満足げに頷きかけて、青年は慌てたように貼ったばかりの紙に手を伸ばした。
「……やはりこれは焼くはずの……しまったな」
剥がそうかどうしようか逡巡したのち、構わぬか、と小さく呟く。
「我が家に阿蘭陀語が理解できるような……あ、いや、親分なら気付くかな……」
苦笑一つ零して、筆を持って来て文の一部を黒く塗りつぶす。
縦にも横にも大きい、本所深川一帯を取り仕切るやくざの親分がこれを見たらなんと言うだろうか。身の程知らずと笑うだろうか。
「……寒いな」
吐く息は白い。
そろそろ火鉢を出すか、炭はどのくらいあるだろうか、などと考えながら散らばった書き損じの紙を集める。一枚も無駄にはしないのである。
青い空がどこまでも広がる本所、その北割下水界隈には幕府からの拝領屋敷が整然と立ち並んでいる。いわゆる御家人屋敷である。が、そこに住まいする人々は、御家人は御家人でも頭に貧乏のつく御家人である。
その一角から、煙が細く立ち上っている。
火事ではない。
「親分、お待たせしました。これを」
「はい、お絹さま」
縦にも横にも大きい男が、恭しく笊を受け取った。
この男、本所浅草で一番の金貸し兼やくざの親分、衣笠組の太一郎である。
そんな彼が恭しく受け取ったのは、金でもお宝でもなく、籠一杯の甘藷、さつまいもである。
親分の丸い鼻が、ひくひくと動く。
「うーん、いい芋であるな」
焚火を囲んでやたら賑やかなのは、佐々木家である。
落ち葉や書き損じた紙屑などを焼いているその中に、芋がいくつも突っ込まれている。火加減を任されているのが、太一郎である。
「親分、提灯の納品に行ってくるゆえ、母上と芋を頼みます」
と、大きな荷を背負った英次郎が元気に挨拶をする。彼がこの家の次男、佐々木英次郎である。がっちりとした体格なのは彼が江戸で五本指に入る剣術の達人だからである。しかし母譲りで面長で、目元の涼しい好青年、とても剣術家には見えない。
「こんな刻限に納めに行くのか」
「いささか急ぎの荷らしい」
そうか、と、親分は頷いた。
英次郎本人は、なぜか自覚がないのだが、美形と評判である。その英次郎のあごには無精ひげが生え、目は赤い。夜っぴいて提灯をつくったのだろう。
「母上、帰りに口入れ屋に寄ってきます」
「英次郎、いつもそなたにばかり苦労をかけて、相済まぬことです」
「仕方ありません。じいさまも、父上も兄上も、屋敷の修繕という語を聞いただけでそそくさと出かけてしまいましたからね」
言いながら、よいしょ、と英次郎が腰に大小を差した。無銘の大刀は、太一郎があれこれと理由をつけて贈ったものである。切れ味が抜群であるらしい。
そして塗りの禿げた脇差は、遥か昔に太一郎の元へ質草として持ち込まれていた佐々木家伝来のものである。
とても表に出せぬ汚れ仕事を英次郎に頼んだ際に、油紙に包んだ金子とともに太一郎が返却したという経緯がある。
お絹さま修繕とはどこを……と聞きたいのをぐっとこらえた太一郎に気付いたのだろう、お絹が小さく笑った。
「雨漏りと隙間風が酷くなった箇所があるのです。これまで英次郎の手仕事で凌いできましたが先達ての野分でいよいよ損傷が広がってしまったのですよ」
「親分、腕のいい大工の知り合いはいないかな?」
「……心当たりはあるぞ。つなぎを取ってみよう」
ありがたい、と親子が喜んだ。
思えばこのところ、いい金になる仕事を紹介していなかったな、と、太一郎は一人反省する。
「……英次郎、仕事が二、三あるでな」
「なんとありがたい。ほうぼうにつけが溜まっているのです」
にっこり、と英次郎が笑う。
「しかし大店の用心棒など穏やかなものではなくてな、賭場の警護だの、やくざ者の喧嘩の助っ人だのと、ちと、物騒であるが……」
なんの、と、英次郎はからりと笑う。
「剣の腕しか取り柄がないが、それが金にばけるのだから文句は言いません。ですよね、母上」
「はい、そうですね」
「では、荷を納めに行って参ります」




