第6話 カモメ男
常磐琥珀6歳。耳を澄ましモルグリットの声を聞こうと試みる。
琥珀
「…」
しかし左耳に高い耳鳴りがするだけであり、モルグリットの声は届かなかった。
琥珀
『遂に図書館司書の声が届かなくなったか…。ともすれば自身を常磐琥珀と定義するのも足枷になると考えなければならない。いざ名を呼ばれた時に本名を答えてしまえば転生者であることがバレてしまう…。今から僕はエルロック・ベルンシュタインだ。完全にエルロックになりきり生活する事に徹しなければならない…』
琥珀は自身の名前をエルロックと心に刻めば、基本的にモルグリットの助力は得られないとエルロックとして生活する覚悟を決めた。
エルロック・ベルンシュタインはアリエス月、現実世界の4月に当たる初旬にドラグレイク児童学院へ入学する。6歳になる児童が身分分けへだてなく入学出来るこの学院は、12歳を迎えると魔化学技術学院、兵法戦術学院、商業専門学院、星詠予報学院、農耕技術学院と専攻別の学院に振り分けられる。
エルロックが行く予定である学院は勿論兵法戦術学院だ。騎士になるにはまず兵隊として戦場に出なければならない。他の学院へ進めば最悪クラヴィスに暗殺されてしまうだろう。
エルロック
『僕の席はここか…』
皆私服で登校している。専攻の学院へ進むまでは私服での登校を許可されているのだ。
「きゃーっ!! マダラカモメよぉっ!!」
エルロック
「うん? カモメ?」
女の子の悲鳴が聞こえれば其方を注目する。近くにいた生徒達は皆ワタワタと慌てている。
エルロック
「…どうしたんだ?」
「カモメっ! カモメがいるのよっ!」
女の子は怯えた表情で教卓の隅を指さす。そこにはウズラの雛くらいの大きさの【小鳥】を確認する。
エルロック
「…」
斑模様の小鳥は素早く動いて逃げようとする。エルロックはヒョイッと掴みあげた。
エルロック
「あ、本当にカモメだ…」
小鳥の頭を掴み噛まれないように抑える。よく観察すればカモメの様な頭部を確認できた。必死にエルロックの手を啄もうとする。
「ひ、ひいっ!! ばっちいから外へやってよっ!」
エルロック
「そ、そうか…? 結構可愛い外見をしてるんだけどな」
カモメはフワフワしており羽が小さい。これでは飛べないだろうと思われるが足は結構早かった。このカモメはこの世界においてどういう位置付けなのだろうか。エルロックは中庭に行けばカモメを放してあげた。
エルロック
「外へ逃がしてあげたよ」
「…ちゃんと手を洗った…?」
エルロック
「手を?」
「あなたマダラカモメ見た事ないの…? つつかれたら病気になっちゃうかもしれないのよ…? 早く手を洗ってきてよっ!」
エルロックは渋々トイレを探しに行く。
エルロック
「トイレに水道はないんだった…」
外を流れる小川で手を洗って来れば教室へ戻る。
「…カモメ男…」
教室からヒソヒソと呟く声が聞こえる。どうやらエルロックがカモメを触った事で忌避の念を抱いたようだ。
エルロック
「…うーん。カモメはこっちの世界ではネズミなのかもしれないな…。まずは常識を身に付けないといけないようだ」
頭をポリポリと掻けば自分の席へ座る。隣の女の子がエルロックから距離をとった。ハッキリ言ってどうでも良いが既に暫定で最悪の入学初日である。
暫くすると教室に黒い服の女性が入ってくる。頭はお団子ヘアーで髪は黒。とても良い笑顔である。
「皆さん初めまして! 私はあなた達の先生のプリニアン・ダークエンジェルよぉ!よろしくお願いしますねぇ!」
エルロック
「…えっ」
ダークエンジェルと聞いてドキッとした。確かモルグリットも天使と言っていたがこんな直接的な名前の奴がいるとは。図書館でのことを思い出す。天使とは無関係な人物なら良いのだが。
プリニアン
「それじゃあ一人一人自己紹介をしていって貰おうかしらねぇ」
プリニアンは手前の生徒を指名する。
「はい。私はエーリカ・アントリオンです」
プリニアン
「まぁ可愛い! 好きな物はなぁに?」
エーリカ
「好きな物…? んーと、うさぎさんのぬいぐるみ…」
うさぎのぬいぐるみ。ここは至って普通だ。やはりウサギは可愛らしい外見に相違ないのだろう。
プリニアン
「うさぎさんはとっても強いし可愛らしいわよねぇ。先生も好きよぉ」
強い…? ウサギは可愛い外見をしてはいるが強い動物とは言い難いのではないのだろうか。深く考えずに聞き流す。
「オリヴァル・ヴァンキッシュ」
男の子が無愛想にそう答える。
プリニアン
「ふふふ。やんちゃそうねぇ。得意な事は何かしらぁ?」
オリヴァル
「…」
男の子は特に答えなかった。まだ6歳なのだ。仕方ないだろう。社交辞令という言葉すらまだ知らない歳でもおかしくはない。
プリニアン
「むぅ。まずは先生がオリヴァルくんと仲良くなってお話を聞かせて貰えるように頑張らなくっちゃねぇ」
プリニアンはオリヴァルの頭を優しく撫でる。健気な先生だ。無愛想な子供など放っておけば良いのに。
このクラスは40人ほど。一人一人心労を掛けていれば身が持たないだろうに。オリヴァルはむすっとしてプリニアンの手を払う。くすっと微笑めば次の子供へ移る。
「はーい。キャサリン・マルミットよ」
先程カモメの騒動を起こした女の子だ。ヤツのせいでエルロックのカーストは現在最下位に位置付けられている。コロコロ変わるカースト等特に気にすることでもないが、今後関わることがあれば要注意しなければならない。
プリニアン
「真面目そうないい子ねぇ。何人家族かしらぁ?」
キャサリン
「4人ね。ママとパパと弟が1人いるわ」
プリニアン
「そうなのぉ? 弟くんが入学したら大切にしてあげないとねぇ」
キャサリン
「3つ離れてるからまだ暫く先の話ね」
順番に自己紹介を済ましていけばエルロックの番になった。
エルロック
「エルロック・ベルンシュタインと申します。よろしくお願いします」
プリニアン
「まぁ礼儀正しい子ねぇ。良く育てられたのねぇ」
エルロック
「はは、褒めて頂いてありがとうございます」
キャサリン
「あの子カモメを知らなかったのよ…? 少し非常識じゃない…?」
エルロックはふぅー、と溜息を吐く。何故なんだ。別にそんなこと言わなくていいじゃないか。
プリニアン
「カモメちゃん? カモメちゃんを見た事ないのぉ?」
エルロック
「いえ、先程初めて見ました。あまり清潔ではない生き物だという事は知りませんでしたね」
プリニアン
「よく見ると可愛いんだけどなんでも食べちゃうからねぇ」
キャサリン
「さっき教室にいたカモメを摘み上げて外へ放しにいったのよあの子…」
「…汚い」
「…信じられない」
「ホントかよ」
先程の騒動を知らなかった生徒までカモメを触った事を認知されてしまう。さてどうしたものか。今エルロックはキャサリンに対して穏やかでない感情を抱いている。右足が貧乏揺すりし始めた。
プリニアン
「まぁ、優しいのねぇ。エルロックくんは生き物を大切にする良い子ねぇ」
キャサリン
「…え? でも先生…」
プリニアン
「エルロックくんの行いは正しいわよぉ。生き物には皆命があるのぉ。無闇に傷つけるような悪い大人にはならないようにしなくちゃねぇ。皆が苦手なカモメちゃんを傷つけずに教室から出してくれたエルロックくんを見習わなきゃねぇ」
キャサリン
「…はーい」
釈然としない様子で返事をするキャサリンを目を細めて見つめる。暫くすれば自己紹介は終了した。
プリニアン
「さぁ明日からお勉強の始まりよぉ。皆ちゃあんと学校に来て立派になってここを卒業するのよぉ〜」
クラスメイトは、はーいと返事する。まるで小学生に戻ったかのようだ。入学初日にいきなり躓いてしまったがここの世界の知識を身に付け、戦う手段を学ばなければならない。前途多難ではあるがカモメの事といい新鮮な気持ちで帰路へ着く。




