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語られなかった舞台裏(1)

「驚かせてしまいましたね。でも今日のことは私もびっくりしたんですよ」

 呆気に取られて返事ができない私を見て、春馬教授は悪戯が見つかった子供のような顔をして笑った。


 記憶の中から引っ張り出したフルネームは、確か春馬仁史(はるままさふみ)という。

 丁度私の両親と同じくらいの歳だったから、今は50代の半ば過ぎのはずだ。

 思えば当時から若々しい印象だった顔は、今もあまり変わっていない。

 ただ髪にちらほらと白いものが混じっているのが、10年の月日を感じさせた。


 教授は私の正面のソファーにゆったりと腰を下ろすと、まだ動揺している私の顔をちらりと見て、掌をこちらに向けた。


「監視が付くとは伝えたと思いますが、あまり気にしていないようだと結衣から聞いていたんです。そもそも私達には関心が無さそうだ、とも」


 どうして今まで黙っていたんだろう、という私の疑問を言い当てたような言葉に、うっ、と返事に詰まってしまう。

 確かにその通りだった。

 


 ザグルの生活に監視が付く、という事は最初に聞かされたし、そんな彼と一緒に暮らすという事は私の生活も同時に監視されるという事だ。


 普通なら、誰かに監視されるなんて気分のいい話じゃないし、そうと分かった時点で嫌がるものだと思う。

 なのにそれを聞いた時、私が感じたのは「好きにしてくれればいい」という投げやりな気分だけだった。


 ただ働いて帰宅して寝て起きて、また働きに行くだけの繰り返し。それが私の生活だった。

 たまに結衣が訪ねて来たり連れ出されたりする以外では、大した楽しみもない日々だった。

 私自身が倦んでいるようなその生活を、他人が見たからと言ってどうと言う事もないと、そんな風に考えたのだ。


 ザグルに「うちに住めばいい」と告げた時、彼には正気を疑うような顔をされたけれど、幾つか挙げた理由の中にはそれもあった。


「あんたいい歳の女なんだろ、顔も知らねぇ奴に見張られて怖くねぇのか?」

と眉根を寄せて、彼は本当に心配そうに言った。

 けれどさっぱり実感のない私は「怖い」という言葉の意味すら分からなかった。

「だって別に、変質者に追い回されるわけじゃないのよ。逆に見てる人がいるなら多少は安心じゃない?」

 呑気にそう答えた私に、彼がいっそう私を心配したのも今なら分かる。



「きっかけは朋也からのメッセージだったんです。ザグと結衣の写真が送られてきた時に、急に色々と不安になってきて。ああ、人から見られているってこういう事なんだって気が付いて」


 監視が付いてるはずだ、と頭に閃いた時、自分が半ばそれを忘れていたことにも驚いた。

 その監視が誰なのかも、ザグルをどう思っている人なのかも知らないのに、放っておいて良かったんだろうか、と不意に思い始めた。


 一旦気になり始めると、不安な事は幾つも頭に浮かんできた。

 仕事中なのに心臓がどきどきと鳴って、その日はろくに集中できなかった。


「彼は意図しないところで困った事をする人ですね。狭間さんにとっても我々にとっても」


 苦笑いしながら、教授は両手の指を組んでテーブルに乗せ、背中を曲げると身を乗り出してきた。

 懐かしいその仕草に、確かにこの人はあの春馬教授なんだ、と思う。

 学生時代に何度も見たその姿は、じっくり相手と向き合いながら話をする時の教授の癖だった。


「確かに困った人ですけど、でも気付かなくて良かったとは思わないですよ。そこだけは感謝しないと」

「そうですね。私としても少し嬉しいです」

 そう言うと、教授は目尻に笑い皺を浮かべて微笑んだ。


「嬉しい、ですか?」

「ええ、教え子がこんなに元気になってくれて。多野君があなたにアクションを起こしたらどうしようって、結衣も私もずっと心配していたんですよ」

 無用の心配で済みました、というその言葉に私はハッとした。


 とっくにこの町を去って帰らなくなった朋也が、一体私に何をすると思ったのか。

 少なくとも私にとって彼は、単なる過去の恋人に過ぎない。

 忘れようとしているのだから、私を大事に思ってくれるなら、わざわざ思い出させるような事でもないはずだ。


 それなのに結衣は何かと彼の事を口に出しては、早く忘れるようにといつも言っていた。

 まるで彼女自身が、まだ朋也を忘れられない理由があるかのように。


「あの、もしかして結衣は……その、朋也と何かあったんですか?」

「それを話す必要があると思ってお呼びしたんです。今まで結衣には口止めされていたんですがね。それでも聞きたいですか?」


 結衣と朋也の間で何かが起きていた。

 しかもそれを口止めしていた。恐らく私のために。

 そう考えるだけで眩暈がするような心地だった。


 彼女は早く忘れて幸せになれと言いながら、その陰で私に何を見せないようにしていたのだろう。

 知れば私は傷つくのだろうか。立ち直れないほど辛いことなんだろうか。



 私は両手をぎゅっと握りしめた。

 朋也が結衣やザグルに何かしようとしているなら、私がどんなに無力でも止めなきゃいけない。そう思って家を出てきたのだ。

 何があったのか教えてくれると言うのに、聞かずに帰るなんて選択肢はない。


「教えてください。これ以上大事な人達が問題を抱え込んでいるのを、ただぼーっと見ているなんて嫌です」


 一度背筋を伸ばし、両手を膝の上に乗せて、私は教授に頭を下げた。


「分かりました。少し長くなりますから、楽な姿勢で聞いてください」

 頷いた教授は私と同じように体を起こし、両手を膝の上に下ろすと、ゆっくりと話を始めた。

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