秘密の会談(2)
暖房よりも人の体温で暖まっているらしいファーストフード店の中は、昼食時が近づくにつれてますます混んできた。
窓は外との寒暖差で少し曇り、その向こうに見える街並みが心なしか幻想的に見える。
しかし視線を正面に戻せば、狭い席に横一杯広がる巨体を小さな椅子の上で丸め、大口を開けてハンバーガーにかぶりつく、色気も素っ気もない男が座っている。
傍から見ればカップルに見えるのだろうか、とふと考えてしまって、雪江の顔を思い浮かべた。
大丈夫、間違ってもお互いそういう気にはならないよ、と心の中で断言する。
種族的にも性格的にも反りが合わない私と彼が、こうして穏便に会って話せる理由は他でもない、どちらも雪江が大好きだからだ。
その彼、ザグルは時折子供が上げる甲高い声に、耳をピクピクさせて反応しながら、紅茶を飲んでは顔をしかめてハンバーガーで口直ししている。
内緒話にはいい場所だと思ったけれど、音にも匂いにも敏感なようで落ち着かないその様子を見るに、やっぱりもう少し店は選んだ方が良かったかも知れない。
「この前ね、ゆっきーに言っておいた事なんだけど。ひとつ聞いていい?」
「おう、なんだ?」
3個目のバーガーを口に入れかけていたザグルは、声を掛けるとすぐそれを置いた。
食べながら喋るのは良くない、と言って話し掛けると食事を中断するのは、雪江の昔からの習慣だった。
一緒に生活しているとそういう部分もうつるらしい。
「ゆっきーのベッドにね、クマのぬいぐるみが置いてあるのは知ってる?」
クマ、と首を傾げたザグルに、いわゆるテディベアなので野生動物のクマとはだいぶ違うと説明すると、彼は思い出したようにああと頷いた。
「それならかなり前に箱に詰めてたぜ。今は俺がやったウサギのぬいぐるみが置いてある」
「ちょ、展開早いわね!」
そう言えばバレンタインのプレゼントを貰った、と話した時の雪江はちょっと恥ずかしそうだった。
「良かったじゃない、何貰ったの?」と訊くと、「うん……」と言葉を詰まらせて「内緒」と小さな声になり、それ以上はいくら訊いても答えなかった。
もしやプロポーズに等しい品だったのか、と驚き半分心配半分だったのだが、なるほどウサギのぬいぐるみか、と一つ疑問が解けた。
30歳にもなって貰って喜ぶ物じゃないと思うけれど、雪江は嬉しかったんだな、と思う。
「でもやっぱ、捨てるまではいかなかったかー」
予想はしていたけれど、雪江の中では今でも大切な思い出の象徴なのだろう。
けれどそのテディベアが、どんな経緯で彼女の手に渡ったか知っている私は、それを大切にしている彼女を見る度に微妙な心持になる。
「なんだ、あれ捨てた方がいいもんなのか?」
考え込む私の顔を見て、ザグルは真面目な顔になった。
「うーん……。あんまり言わない方がいいとは思うんだけどさ、あれって元彼に贈られたものなの」
「元彼?前の男って意味か?」
あまりあからさまな事は言えないので、無難な範囲で声を潜めて伝えると、ザグルの片眉がぐいっと上がった。
片目を見開いて片目を眇め、口をへの字に歪めると、一気に険悪な顔になった。
その顔をずいっと突き出されると、流石に腰が引ける。
そりゃ嫌に決まってるよね、と慌ててフォローを考えた。
「かなり長く付き合って結婚も考えてた相手でね。その人から告白された時に貰ったものだし、大事にしてたから捨てたくないんだと思う」
「ああ、そういう意味か。なら問題ねぇ、捨てねぇ方がいいぐらいだ」
あっさりそう言って、ザグルはすっと素の顔に戻った。
「束縛の呪いでもかけてんのかと思ったじゃねぇか、ドッキリさせんなよ」
とむしろホッとした様子で再びバーガーに口を付ける彼に、私は返す言葉が行方不明になる。
「え……何で?」
「何で、ってよ。ユキにとって好きな奴ってのはそういうもんだってことだろ?」
ザグルと喋ると話が明後日の方向に飛ぶ、と雪江から聞いたことはあるけれど、これはさっぱり意味が分からなかった。
そもそも束縛の呪いって何だ、そんな話は小説には出て来ないし、色っぽい話とは無縁のあんたが何で知ってるんだ、と色々突っ込みたくて仕方ない。
けれどそれ以上に話の前後が繋がらない。
頭に「?」をいくつも浮かべていると、「あんたならどうなんだよ?」と訊かれてますます困った。
そんな私の顔を見て呆れたように溜め息を吐くと、ザグルはバーガーを置いて両手の人差し指を立てた。
「もしあんたが男と付き合うなら、他に気になる奴ができたらすぐあんたのことはすっぱり忘れる男と、あんたのことも考えてしばらく悩む男、どっちと付き合いたいんだ?」
ユキは後者だろ、と言われて私はハッとした。
そういう風に考えれば、長く付き合いたいなら前者よりも後者の方が安心だ。
付き合う前に足踏みされれば、前の女を優先しているのかとイラッとすると思うけれど、一旦付き合うと決めたなら、他の誰かに横から来られても関係を壊されない可能性が高い。
逆に9年も想い続けた相手を何の迷いもなく忘れられるなら、たとえ結婚しても不都合があると別れを告げられそうで心配だ。
「そっか……そういうことなんだ」
私は思わずごくっと唾を飲んだ。意味が分かると同時に、ザグルはかなり本気で雪江を想っていて、しかも長期戦のつもりなんだ、と気が付いた。
雪江の中に長く居座りすぎた朋也との思い出は、そう簡単には拭い去れない。
本人はもう気にしてない、ほとんど忘れていると言うけれど、それは別れの時の事だけで、逆に仲の良かった頃の思い出はずっと大事に抱えている。
新たな出会いを求めようともしなかったし、私が機会を作っていい雰囲気に持って行っても、連絡先すら交わさずに終わってしまう。
時間をかけてじっくり付き合える相手さえいれば、と思っても、それは常日頃付き合いのある人でなければ難しくて、相手の方がよほど気に入って待ってくれなければ無理だ、とそのうち理解した。
だから正直、このままずっと雪江は独り身かも知れない、と私も諦めかけていたのだ。
ザグルはなまじ若い男なだけに、もっと性急に動くものと思い込んでいた。
冷静に考えてみれば彼は、雪江と同居して3か月以上になる今も、彼女に指一本触れていないのだ。
女性として意識していないどころか、寝室に通されそうになって咄嗟に床に寝たくらいなのに、である。
雪江が鈍感すぎるせいもあるけれど、彼の辛抱強さも相当だ。
どうにも見た目と態度のせいでガサツな印象が先に来るけれど、なかなか侮れない。
そんなことを考えていると、
「そこはいいんだけどよ」
とザグルは腕を組んで真面目な顔になった。
眉間にぐっとシワを寄せて、口を開きかけて少し考え込む様子に、
「どうしたの?何か話しにくい事?」
と促してみると、彼はますます眉間に力を入れた。
どうも今日の呼び出しの本題らしい、と思って黙って待っていると、彼はふっと肩の力を抜いて諦めたように口を開いた。
「なぁ、ユイはユキの家族のこととか知ってんだろ?俺にも教えてくれねぇか?」
いきなりのその質問に、さーっと私の全身が冷たくなった。
「何でそんな事……それにあたしが知ってると思うの?」
「ユキが話したがらねぇからな。けど周りの人間の反応見てりゃ、家族がいんなら普通どうするかは想像つくしよ。こんな得体の知れねぇもんが2人も周りをうろついてんのに、心配も咎めもしねぇってのは逆に妙だ。あんたの保護者とやらはその辺知ってんじゃねぇのか?俺たちみてぇなのを保護するってんなら、関わってる人間のことも調べんだろ?」
ぐうの音も出ない。まさしくその通りなのだ。
一体いつから気付いてたんだろう、と考えて今日の経緯を思い出す。
ザグルが電話番号を柚子茶のラベルの裏に仕込んだのは先月の半ばの筈だ。
その月の初め、雪江はザグルに促されて久しぶりに帰省している。
それまで雪江がずっと家族と話もしていなかったのは、身近にいる彼が一番よく知っているはずだ。だからこそ雪江に帰省するよう促したのか。
けれど雪江の家族は彼女に何も言って来ない様子だし、心配して様子を見に来る、なんて事ももちろんない。
それは私が彼女と親しくなった時も同じで、私の保護者からはきちんと連絡が行っているのに、彼等は雪江に電話すらして来なかったらしい。
そしてその原因と思われる話を、私は雪江からではなく、ザグルの監視役となった時に保護機関からの情報で知ったのだ。
どう答えていいのか分からずに俯いていると、ザグルは私の顔を覗き込んできた。
「すまん、訊かねぇ方が良かったか」
あまり他人が触れていい話題じゃない、という事は彼も察しているらしい。
「ううん、いずれ話さなきゃいけないかもってあたしも考えてたわ。そっちから訊かれるとは思ってなかったけど」
「最初はな、別れた男のせいかと思ってたんだが、あいつ変だろう?」
「そうね。ちゃんと見てれば気になるわよね……」
雪江はあまり人と深くは関わろうとしないし、友人は少なくないのに表面上の付き合いが多かった。
朋也との仲も恋人と呼ぶにはずいぶん距離があって、寂しがってもいたのに、その方が安心できるとも言っていた。
けれどその一方で、いつもその関係に不安を抱いているようで、卒業してからは結婚を急いでいた。
結婚に乗り気でなかった朋也は雪江と距離を置くようになり、別れるに至った最初の原因もそれだった。
「あんたの正体バラしちまった時も、俺が怪談した時も、ユキは俺らが急に姿を消すんじゃねぇかって怖がってたからな」
「うん、雪江は昔っからそうだったの」
そういう恐れを真っ先に抱くというのは、天気予報が晴れの日に雨が降るかもしれない、どころか竜巻が来る心配をしているようなものだ。
そんな心配しても仕方ない、そもそも的外れだと言っても雪江の恐れは変わらない。
長い間気になりながらも、あくまで他人の事だからと干渉を避けていた部分だ。
それが今頃になって、思いがけずザグルの登場によって原因を知ることになった。
これをザグルに話してしまっていいのか、雪江は忘れてしまいたいのであろうそれを掘り返していいのか、これまでも考えていた事だけど、答えは出ない。
彼女が自ら封じていた記憶に触れて、果たしていい結果につながるんだろうか。私やザグルに知られていたと分かれば、余計に人と関わるのを恐れるようにならないだろうか。
何も言えずに腕を組んで悩んでいると、ザグルが口を開いた。
「ユキはあれからしょっちゅう悪夢で目ぇ覚ましてんだ。そんでいつも『行かないで』って叫ぶんだよ。あいつがそう言ってる相手はたぶん、俺じゃねぇんだろ?」
その言葉にはっと顔を上げると、彼の両眉はいつの間にか情けなさそうに垂れていた。
「今まではそんなことなかったの?」
「ああ、毎晩ぐっすりだったぞ。先に寝て俺より後に起きてくっから、俺がどこで寝てんのかも知らなかったしな」
一体どこで寝てたのよ、と突っ込みそうになったけれど、それだけ急に様子が変わったということだ。
そして雪江が見ている悪夢。「行かないで」という言葉。
雪江の家族のことを訊いてくるなら、彼にもあらかた想像はついてるんだろう。
けれど確実なことは雪江の口からは聞けないから、私を頼って来たのだ。
隣にいない私ではきっとこれ以上は力になれない。
そう分かっていたから知っていても何もしてこなかった。
けれど雪江自身がその悪夢と闘い始めたのなら、せめて見守っているザグルには事情を知って支えになってほしい。
少し歯痒いけれど、彼はそのつもりで私を呼んだのだ。
ならば私も、出来ることはしようと腹を括った。
「雪江の実のご両親はね、彼女がこの町に来る1か月前に事故で亡くなったの」
「……そうか」
「それ以上の事はあたしからは話せないわ。ごめんね」
「いや、そんだけ教えてくれりゃ十分だ。ありがとな」
不意にザグルの腕が伸びてきて、ポンポンと軽く頭を叩かれた。
雪江にはよくやっているというこの仕草は、彼女の話の通りなら「安心しろ」「大丈夫だ」という意味らしい。
これからどう動くとしても、彼は雪江を傷つけたり、私との関係が壊れるような事はしないという意味なんだろう。
時間に任せるのか、何か行動を起こすのか、解決の方法はまだ分からない。
けれど雪江にも私にも、心強い味方が出来たのは確かだ。
「今日はまず買い物だな。んじゃ、そろそろ帰るぜ」
手元のバーガーを口に放り込むようにして食べ終わると、ザグルは勢い良く立ち上がった。
何か目標を見つけたのか、その目はずいぶん活き活きしている。
「何か探しに行くの?手伝おうか?」
「いや、買うのは晩飯の材料だ。ユキの好きな野菜でよ、なんかあったけぇもん作ってやる」
「ああ、それ!そういうのいいわね!」
夜中に何度も目を覚ましたり、辛い記憶と向き合ったりしているなら、負けないように体力を維持するのが一番大事だ。
そのためには美味しいご飯を食べることが、きっと何より力になる。
真っ先にそれを考えて動き出したザグルの背中を、私は初めて頼もしいと思った。




