chapter 9
今日が休日で本当に良かったと金子は心の底から思った。シーズで食事をさせてもらってから、気力が湧かずずっとベッドでブランケットに包まっていた。
メインディッシュを食べ終わってから、日本語補習学校の同級生が突然目の前に現れた。お互い大人になり、外見も多少変わっていたので最初は気づかなかった。今でも彼女の名前は覚えている。
日向夏実
何故あの店を知っていて、何故ショーンと知り合いなのか。金子の頭の中は疑問でいっぱいだった。
ああ、そういえば日向さんは家が金持ちだった。シーズみたいなレストランを知っていたって不思議じゃないかも。
それでも疑問は全て拭いされなかった。あのタイミングで、自分が座っていたテーブルに座りに来たのだ。私が食べに来ているのをまるで知っていたかのようだった。
店の人間が他の客に予約情報を漏らしたというのか?何故?もしそういうことであれば、何の為に?
不信に不信がさらに募っていく。
なんとかデザートを食べたが食後の紅茶はもらう気になれず、ショーンにまともにお礼も言えずに帰ってしまった。帰り際にショーンに何かを言われた気がしたが、それどころじゃなかったから良く聞き取れなかった。
ショーンと顔を合わせるのが怖い。でも、シーズに、そしてショーンにも不信感を抱いたまま過ごすのも気持ちが悪い。
考えていたらお腹が空いてきたので、金子は重い体を起こしてキッチンに入った。時間を確認したら午後1時を過ぎていた。棚から不味くて安い現地のカップ麺を取り出し、ケトルで湯を沸かした。ジャンキーな物だけだと栄養バランスが悪いので、冷蔵庫からベビーキャロットのミニパックを出してサラダ代わりにした。
カップ麺を蒸らし終わると、フォークで麺を啜る。その間もショーンにメッセージを送るか否か迷っていた。手元が震えていたが、結局真相を知りたいという思いに勝てず、ショーンにメッセージを送る事にした。
昨日は迷惑をかけてすみませんでした。聞きたい事があるので、今日会えますか?
15分してショーンから返信が届いた。
迷惑に思った事なんて一つも無いよ。カネコの貴重な日を良いものにできなくて本当に申し訳なかった。ディナーの営業前なら時間があるから、近くのカフェでお茶でもしながら話そう。時間は15時30分でどう?シーズの前に来てくれるか?
提案された時間に行くと返事をして、食事を済ますと身支度を始めた。顔を洗い、化粧水、美容液、クリームで顔を整えてファンデーションを薄っすらと伸ばす。グレーのタートルネックにグレーのデニムパンツ、黒コートを合わせた。伸びた髪は適当に黒いヘアゴムで後ろで低い所でまとめると、玄関のドアを開けた。
バス停まで歩いている間も、どのように質問して、どのように話を切り出すべきか、金子はずっと逡巡していた。ショーンを責めるつもりは無いし、彼にも誤解はされたくない。でも、昨夜の件を放置するという選択はしたくなかった。今までの自分なら多少傷ついても相手を不快にしない事ばかりを考え、自分の気持ちを蔑ろにしてきた。周りが嫌な思いをしない方が優先で、自分の気持ちはどうでも良い。いつもそうだった。しかし今回は違う。金子の中で、ショーンを顔色を伺わなければならない人物にしたくなかったからだ。ショーンはいつも自分に対して笑顔で対等に接してくれていた。だから自分はショーンの感情を深読みする必要も無く、気楽に会話をする事ができた。彼は自分に偏見を持たなかった。だから、自分もショーンに偏見を持ちたくない。話せば彼は分かってくれるはずだ。
シーズの前に着いて金子はようやく決心した。怯えず、昨夜の件の経緯をしっかり聞き出すこと。ショーンと日向夏実の関係を確認すること。そして、自分が過去に経験した嫌な事を伝えること。
ちょうど同じタイミングで、ショーンがレストランの出入り口から現れた。驚いて、数秒お互いを見つめてしまったが、先にショーンの顔がほころんだ。
「カネコ!」
名前を呼ばれて金子は手を振ったが、ショーンが近づいて来たと思ったら彼に抱擁された。
「昨日は来てくれて本当にありがとう。」
抱擁をするショーンの腕に力が入り始めたので、危機を感じて金子は慌てて彼から離れた。立派な筋肉に押しつぶされたらたまったものじゃない。ショーンは少し寂しそうな顔をしたが、金子は仕方が無いと割り切った。
「こちらこそ、とても美味しい料理をご馳走して頂いてありがとうございました。」
金子は自分なりに精一杯の笑顔でやっとお礼を言う事ができた。ショーンも笑顔を返してくれた。
「それじゃ、あっちのカフェに行こう。すぐそこだから。」
ショーンが指をさした方向に二人は歩き出した。