chapter 6
ショーンはずっと上機嫌だった。一人で作業している間、常に口角が上がっていて、無意識に鼻歌を歌っている時がこの頃あるようだ。厨房の同僚やレストランスタッフはそんな彼を少し不気味に感じていた。普段の彼はスーシェフという立場もあってか、笑顔が少なくしかめっ面で、レストランが稼働している時は一つのミスも許さない泣く子も黙る鬼と化す。厨房で怒鳴り声を上げるのは当たり前で、指示通りに仕事をこなさない人には容赦なく罵声を浴びせる。そんな彼をシェフは頼もしく感じているが、ショーンがピリピリしていると周囲は爆弾から逃げるように彼から距離を取るのだ。
その彼が笑顔で鼻歌を歌っている。見たことのない彼の姿は、レストラン内で色々な憶測を生み始めていた。
「異動がそんなに嬉しいのかな?」
裏口の外で喫煙している二人組の料理人の内の一人がそう言った。
「そりゃそうさ。新業態の店で、オープンからスーシェフをあの若さで任されるのなかなか無いんだぞ。」
「マジでいい気味ですよね、あの人。散々周りをいびり倒して新レストランのスーシェフかよ。どうせコネでしょ。」
「おい、やめろよ…。」
「社長の息子だかなんだか知らないけど、ちょっと頭良くて仕事できるからって、どうせ甘やかされてるんですよ。あの人来てスーシェフすぐ変わったし。前の人が俺は良かったんですけど。」
「でも、総合的に見てショーンが来てから良くなっただろ?」
「成績だけ見てどうするんですか?性格悪けりゃ客にも伝わりますよ。」
「お、おい…。」
一人がショーンの悪口を言うもう一人の言葉を制した。後ろを振り返ると、ショーンがいかつい顔つきで片手に満杯になったゴミ袋を持って立っていた。据わった目で訴えると、二人はショーンのために黙って道を開けた。廃棄場所にゴミ袋を投げ入れ、裏口に戻るときにショーンは二人を見ることなくこう言い放った。
「オメェら、タバコ臭えよ。中に入る前に臭い払い落とせよ。」
バタン、と強くドアが閉められた。
ショーンは深く溜め息を吐いた。影で自分の悪口や噂を言われるのは幼い頃からあったので、ある程度の耐性は付いている方だと自負していたが、これからの大事な時期に勝手な事を裏で言われるのは心外だった。周りに厳しくてもスーシェフとして、上に立つシェフのサポート、レストランスタッフと料理人達の給料をしっかり払えるようにする為にも、シーズを選んでくれた客達に最高の持てなしを提供する。それを心がけてきたのに、あんな言われ方される筋合いは無いはずだ。
ホールに出て、ランチの予約席を確認した。受付係がショーンの元へやってきて、タブレットを見せながら急遽入った予約を知らせに来た。
「たった今ヒュウガ様より3名でランチの予約が入りました。娘さんもご一緒なので、日当たりが少ない席が良いと思いますが。」
「そうしてくれ。ていうか、またあの娘が来るのか。勘弁してくれ。」
「今回も厨房でお忙しいと伝えておきましょうか?」
「そうだな。顔見せると戻れなくなりそうだから、頼んだ。」
「分かりました。」
受付係が立ち去った後で、今度は母親から電話が入った。まだ開店1時間前なので、ショーンはスマホの画面の通話ボタンをタップした。
「はい。」
「ショーン、忘れてないといいけど、今度ネイティブ・アメリカンの集会があるの分かってるわよね?」
「母さん、言っただろ?厨房は忙しいし抜けられないって。」
「あなたの代わりに仕事できる人いるでしょ?もうここ数年あなたはお店のことばかりで参加してないじゃない?少しはお母さんの事も考えてよ。先祖方を敬う大事な集会に息子が来ないなんて恥ずかしいわよ~。ショーンだって私が産んだ立派な先住民なんだからね!誇りを持って、誇りを!」
返事もせず、ショーンは母親からの電話を問答無用で切った。
やってられない。ただそう思ったショーンはイライラを抑えようとして、自宅から持ってきた手作りスムージーを一気に飲み干した。
幸せな事を考えろ、幸せな事を考えろ…
その時、金子がシーズのテーブル席に座って、メインディッシュを食している場面をイメージした。ショーンの方を見て花が咲いたように笑うのだ。
そうだ、その笑顔を見る日のために頑張ろう。今日もまた忙しい一日だから。
自分にそう言い聞かせて、ショーンはランチに向けて最後の仕込みに取り掛かり始めた。