chapter 4
kenny 4話
コーヒーだけを頼んだ金曜日の青年は、それから毎週金子が働くカフェに14時に必ず現れるようになった。5回も通われると、彼のオーダーを金子はすっかり覚えてしまった。コーヒーしか頼まないのだから、当然の話ではある。決まった曜日の、決まった時間に、1つのものしか注文しない客はさほど珍しくはないが、接客は金子を毎回指名して他の店員には目もくれない。しまいには、シルヴィアに「彼の専属スタッフになればどう?」とからかう様に言われた。
休日に地元の唯一の友人と会う機会があり、その時に青年の話をしてみた。
「彼に話しかけてみれば?」
「何でよ?必要も無いのに。」
無愛想に返すと友人、エイミーが口元を抑えて悪戯っぽく笑った。
「カネコから男の話聞くこと今まで無かったからさ。その人あんたに気があるんじゃない?」
「ヤダ、気持ち悪い。」
「そんなふうに言わないでよー。彼は他の男と違うかもしれないよ。」
大げさにエイミーは言ってみた。
アパートメントに帰り、エイミーの話を思い出しながら、安い冷凍食品が電子レンジの中で周るのを眺めていた。異性と関わる事は一度も無く、一時期パートナーが欲しいと思っていた時もあったが、気づけば諦めていて異性に対する嫌悪へと変わっていた。高校の同級生の自宅で、人数の埋め合わせの為に無理してパーティーに参加した経験がある。自分の容姿やファッション、はたまた性格が原因かは定かじゃないが、なんとなく周りから避けられている気がした。特に女子が周囲に聞こえないように、目の前で男子に何かを耳打ちして、皆どこかへ行ってしまうのだ。こんな結果になるならパーティーに来なければ良かったと羞恥心にさらされながら、始まって10分も経たない内に誰にも告げず帰った事がある。それからは自分から人の輪に入るとか、異性に近づく事に金輪際関わらないと誓った。何かの集まりに招待されても適当に口実を思いついて参加するのも止めた。
ずっとそうやって孤独をやり過ごしてたら、仲良くなれた人はエイミーしかいなかった。金子を切り捨てて女子の集団に混ざることはできたはずなのに、彼女はそれを望まず、他の人達と上手く付き合いながら金子との友情を続けてきた。そのエイミーが金曜日の青年の事を「他の男と違うかもしれない」と言うのだから、少しだけ信じてみようという気が出た。
そして、青年が6回目の来店をした金曜日。何かを話そうと思っても、いざ本人を目の前にすると口が開かない。接客の決まったフレーズを言うだけで精一杯だった。今まで男と話すチャンスが無かったのだから無理もない。初めて遭遇するエイリアンと会話をしようとするのと同じ感覚だ。注文を取り、コーヒーを提供し、休憩に入っても、やはり自分から話しかける勇気が一向に湧かなかった。
エイミー、私には無理なんだってば。ガラじゃないのよ。
食欲が無くなったのでケーキを取らず、飲み物も普段選ばないカフェラテにした。カフェラテを一口飲んで、深い溜め息を吐いた。
「カフェラテなんて珍しいね。」
突然上から降ってきた声に心臓が跳ねた。隣を見ると青年がそこに立っていた。金子は言葉が出ずただ口を開いたまま彼を見上げていた。
「あの…隣、良いかな?」
「あ、はい、あの…どうぞ。」
歯切れの悪い返事しかできず、金子は穴があったら入りたい気分になった。心臓が震える様な感覚に襲われ、気づかれないように一度だけ深呼吸をした。
青年はコーヒーをソーサーごと金子の隣に持ってきて腰掛けた。
「俺、ショーン。君は?」
「カネコ」
彼はどことなく嬉しそうに頷いた。
「コって付くことは、日本人?」
「そうです。」
「イイね。」
青年は口角を上げたままコーヒーを口元へ運んだ。
「最近よくうちのカフェに来ますよね?」
金子はやっと自分から質問を投げかけることができた。それだけでも彼女にとって大きな成果だった。
「職場の近くなのに来たことが無くて。入ってみたら案外良かったから。」
「コーヒーだけのために?」
意表を突かれたかのように青年は眉を上げたが、「そう、コーヒーだけのために。」と歯を見せて笑った。金子もつられて笑った。
数秒の間が空いたが、青年ショーンが再び会話を始めた。
「ケーキよく食べるよね?」
ヘイリーから聞いていたので、ショーンが休憩中の金子を見続けていたのは知っていた。動揺せず、金子は冷静に答えた。
「飲食の仕事ってハードだから、疲れて食事をしようって気にならないんです。」
「あぁ、分かる。でも栄養のバランスも大事だぞ?」
「分かってるんですけど、甘いもののほうが喉を通りやすくて。」
金子は驚いていた。異性と会話でコミュニケーションを取れるなんて夢にも思っていなかった。エイミー以外の人との会話で自分史上1番長く話している。
「俺料理人だけど、この向かい側の道を左に真っ直ぐ行くとシーズ(Seed's)っていうレストランがあるでしょ?」
「はい、知ってます。」
このカフェを経営している会社は飲食業界で様々なコンセプトの店を展開している。チェーン展開はしていないが、その内の一つにシーズがある。国内外の優秀な料理人が集う街屈指の高級フランス料理店だ。
「そこで俺、スーシェフやらせてもらってるんだ。」
「それって何ですか?」
高級料理をほとんど口にしない金子にとって、その言葉は未知の世界の物だった。
「簡単に言うと、キッチンで一番偉いシェフの補佐役。」
「へぇ!すごいですね!」
素直に金子が言うと、ショーンははにかんでコーヒーをすすった。
「お店に戻らなくて良いんですか?」
「金曜日がレストランの定休日なんだ。」
「あ、それでこのカフェに毎週来るんですね。納得しました。」
「うん、まぁね。この時間は自由にやってるけど、土日に向けて朝と夜店に来て仕事してることもあるよ。食材の仕入れや仕込みとか。」
同じ会社の傘下とはいえ、ショーンの働くレストランの事を全く知らなかったので、彼の話は新鮮であるのと同時に、業務内容がこのカフェよりも過酷なのではないかと感じた。
「疲れてませんか?」
ショーンはキョトンとした表情の後、またはにかんで首を横に振った。
「慣れてるから大丈夫だよ。」
彼との会話の時間はあっという間に過ぎ去り、金子の休憩が終わる時間が迫ってきた。
「なぁ、カネコ。」
立ち上がる金子をショーンが呼び止めた。
「あの、もし良ければこれからも今日みたいに、俺の話し相手になってもらえないかな?」
今日限りと思っていた彼との時間が、まさかショーンから要望が来るとは想像もしていなかった。金子はどう答えるべきか逡巡した結果…
「…はい、喜んで。」
気恥ずかしかったが、シンプルに返した。ショーンも安心したような笑顔を見せてくれた。
昨日は10時間の勤務だったので、普段より早めに金子は退勤させてもらった。帰りのバスの中、金子は太陽が沈んだ後のオレンジ色の空を見上げていた。ショーンのはにかんだ表情が頭から離れなくて、膝の上のリュックをきつく抱き寄せた。
心臓の鼓動が耳にまで音が届きそうなほど強かった。