秒読みウインド
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うう、寒い……雨が降る日の風って、いっそう体にこたえるよね。
これが2カ月前とかなら、まさに天の恵みだったのになあ。汗かいた体に、吹き付ける風が涼しくってさ。場所さえ許せばすっぽんぽんになりたいくらいさ。風が期待できなきゃハンディ扇風機をここぞとばかりに回してた。
でも、いまじゃ逆に厄介もの扱い。吹けばみんなが上着の端をひっつかみ、身体の前の合わせを閉じて、まるきり亀かアルマジロ。強まれば強まるほど、ますます防備は固くなる。
同じものを提供していても、環境や事情が変われば、こうも簡単に手のひらを返されてしまう。栽培とか商売とかの難しさに通じるかもね、これ。
僕たちの味わう風。快不快の違い以上に、思わぬパワーを持っているかもしれない。
それに関する不思議な体験の話、聞いてみないかい?
僕が子供だった頃、実家の近くに親戚のおじさんの住まいがあった。
40半ばで一人暮らし。家から自転車15分の距離にあるおじさんのマンションは、1DKの10畳ほどの大きさだった。
おじさんは昔ながらのゲーマーで、パソコンから据え置き機に至るまで、たくさんのゲームを持っている。何かと親の目が光る実家に対し、おじさんの家は気兼ねなく利用できる遊び場。休みの日などは、一日中入り浸ることも珍しくなかった。
その日は、僕の目当てとする最新ゲームの発売日。あちらこちらを回っても、事前の予約すら取れなかった大人気商品だが、おじさんはしっかり確保している。
いち早い攻略情報が、そのままクラス内のヒエラルキーに直結するような時分。みんなにマウントを取りたいがために、今回の土日はおじさんの家で進められるところまで進めようと思ったんだ。
朝ごはんの直後からお邪魔して、ざっと10時間ほどが経つ。
親には泊まると話していたし、まだまだ夜もこれからといった時間帯。僕が据え置き機を占領している間、おじさんはパソコンとにらめっこしていたと思う。
午後7時過ぎのこと。不意に、ベランダに面する窓がガタガタと揺れる。
僕とおじさんは、ほぼ同時に外を見やったけれど、特に何者かの気配があったわけじゃない。代わりに草木の影がさわさわと揺れている。
ただの風か、と僕はほどなく画面へ向き直るも、おじさんは腕時計に目を落とし、かすかだが頭もかくん、かくんと揺らしていた。
リコーダーの演奏をするとき、僕を含めたクラスの何人かも、同じような動きをすることがある。拍子をはかるためだ。
おじさんも同じようにカウントしていると見えて、窓の振動が止むと同時に顔をあげた。だいたい20秒近く続いた、長めの風だった。
ディスプレイ脇に置いてあるメモ帳に、何やらシャープペンシルで書き込みだす。
それから10分ほど。またしても窓を揺らす風。
僕は一瞥して、すぐ顔を戻すも、おじさんはまた律義に腕時計を見ながらカウント。どうやら風の吹いている時間を、記録しているようだった。
3回目、4回目も同じだ。僕が無視するかたわらで、おじさんは律義に計測を続けている。断続的に吹く風は、やがて5回目の時を迎えた。
1回目が吹いてから、およそ1時間。「やけに頻繁に吹くなあ」と思っていると、おじさんは僕がセーブポイントに差し掛かったところで、ポンポンと肩を叩いてきた。
「ちょっと外へ出ないかい? 散歩しつつ、パトロールと行こう」。
僕はゲームも好きだが、疲れすぎない運動も嫌いじゃない。ちょうどハック&スラッシュ気味なレベル上げにマンネリを感じ出していた頃合いというのも、絶妙だ。
外へ出ると、先ほどまで窓を揺らしていたのがウソのように、ぴたりと風が止んでいる。
秋ごろだが、どこか熱気のこもる気持ち悪い空気だ。着かけたダウンは、結局部屋へ置いていくことにした。
おじさんはというと、ペットの糞尿を始末するために持ち歩くような、小さいビニール袋を手に提げている。けれども中身は小さいシャベルなどじゃなく、数枚の乾いたぞうきんだったよ。
「おじさんの予想が正しければ、あと15秒もすれば風が吹く。そいつをカウントして、アクションに出よう」
突拍子もないことに、ちょっと疑い気味な僕の前で、本当に風が吹き始めた。
おじさんは吹き始めからの時間を計測。風が止むと、すぐ僕に部屋の壁を拭くよう、指示を出してきた。
一階の角部屋であるおじさんの部屋。その壁を「コ」の字をなぞるようにしながら、二人でからぶきをしていく。
普段から掃除しているのか。四六時中、野ざらしになっているはずの外壁は、さほど汚れてはいなかった。
窓に至るまで丹念に拭った後、おじさんは僕に先ほどまで書いていたメモを見せてくれる。
想像した通り、風の拭いた時間が書かれていたけれど、記述を見て気づいたのが一点。
この一時間で吹いた風。吹いてからおさまるまでの時間が、じょじょに短くなっているんだ。おじさんはこれらの風を「秒読みウインド」と呼んでいた。
「その名の通り、カウントダウンしていく妙な風たちのことだ。こいつの吹く時間はさらに短くなり続け、やがて一秒にも満たなくなるだろう。
そこまでいくと、事故が起きる。それを未然にできるかぎり防いでいくんだ。このパトロールは」
おじさんいわく、秒読みウインドは標的の周りにしか吹かないのだとか。
実際、一緒になって回ってみると、塀を挟んですぐ隣にある家同士でも、その塀を境に風がぴたりと止んでしまうから、すぐに分かる。
おじさんは、風の吹くところはたとえ他人様の家でも店でも建物でも、遠慮なく拭いていった。ガラス張りだったりすると、中から人が見ていないタイミングを見計らって、ささっと用を済ませていく。
一度拭ったところには、もう秒読みウインドは吹かないらしい。カウントダウンを止めたというところだろう。
じきに、風の吹く時間は5秒を切ってしまった。
ここからは手分けして範囲を広げることになり、この地区の西半分を僕が請け負う。
おじさんは時計をひとつ貸してくれて、風が吹いたら、それが秒読みウインドかどうか測るということ。
もしタイムアップ直前になったら、すぐ来た道を引き返すことをの2点を指示し、T字路の一方へ姿を消していく。
これまでの延長で、僕は道を歩きながら秒読みウインドを測っていく。
5秒を下回る風が吹くたび、僕はその近辺をからぶきしまくった。数をこなせるに越したことはないけど、走っての移動は推奨されない。
自ら風を切っていくと、秒読みウインドとの区別がつかなくなってしまうからだ。
短くなる風がなくなれば、ターゲットは消えたということになるらしいけれど、4秒が3秒になり、3秒が2秒になっても、ある一地点だけは風が吹き続けていた。
とあるお寺の、裏手にある駐車場の近辺だ。
四角形で、一段高くなった駐車場は、曲がり角に電信柱が一本。それ以外は停めている車一台の姿も見えなかったよ。
駐車場の土台や、電信柱、お寺を囲う柵なども拭ったけれど、風は変わらず吹いてきた。
そうこうするうちに、とうとう秒読みウインドは2秒を切る。やむなく僕はその場を後にする。
早歩きでおじさんとの待ち合わせ場所へ向かうも、100メートルくらい歩いたところで、背後から「バチン」と音がした。
遅れて、街灯や家々の明かりが次々と消えていき、あちらこちらで車がブレーキをかけたらしい気配が漂ったんだ。
停電。おそらくは、あの秒読みウインドを受けたあたりの電線だと思う。風の標的は、僕の手が届く個所より、ずっと高くにあったらしい。
おじさんのアパートも範囲に入っていて、その日は明かりのない夜を過ごす羽目になったよ。
もしおじさんについていかず、ゲームをやり続けていたらどうなっていたことか。いいところで、いきなり消されていたかもね。