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きのうのこと

じいさんとばあさんと飲み明かした次の朝、俺は彼らを起こしてしまわないように静かに部屋を掃除していた。


じいさんとばあさんが空き部屋だったこの部屋を俺に与えてくれたときは、そこはがらんとした寂しい部屋だった。


俺が暮らすようになってからは、物が増えて生活感のあふれる部屋になった。


しかし今はまた俺が来たばかりのころのようだ。


整理された自室を眺めながら、日々を振り返るように俺はそんなことを考えていた。


そう、俺は今日ここを出ていく。



じいさんは俺に息子の影を見ている。きっとそれは今後のじいさんの心を縛り続けることになるだろう。


前妻の子どもを想起させる俺がそばにいれば、ばあさんはきっと居心地の悪さを感じるだろう。



俺は昨夜、心に誓った。彼らに誓った。


きっと、じいさんとばあさんにとっての一番になろうと。


そのためには、俺はここにいてはいけないのだ。彼らといてはいけないのだ。


俺という存在は、彼らにとっていないほうが良い。俺と出会う以前の、ふたりで過ごしていた彼らの姿こそ、きっと理想的なのだ。


「職なしの穀潰しやしな、俺。」


言い聞かせるように笑って言ってみせた。


けれどそのとき自然に関西弁が口をついて出たことに気づいて、じいさんとばあさんの姿が思い出された。


もう振り返ってはいけない。そう思って俺は勢いよくーー気づかれてはいけないため、実際には静かにーードアを開けて家を出た。


するとなぜか店の前に、見慣れた小さな背中が見えた。


「店はまだ準備中やぞ、唯。」


「あっ、はじめ!」と唯はこちらを振り向いて、表情を明るくした。


「はじめこそなんでこんな時間に?」


まさか唯と遭遇するとは思っていなかったので、言葉に詰まった。


「あー、その、あれだよ。買い出しだ。」


午前6時。24時間営業でもない限りスーパーマーケットも開いていない時間だ。


嘘にしても程度が低いが、唯は馬鹿なのか興味がないのか「ふーん、そっかあ」で済ませてしまった。


俺にとってはありがたいことだが、そもそも唯は何をしにこんな朝早く店に来たのだろう。このたこやき馬鹿のことだから「はよ食べたくて来た!」と言われても驚きはしないが、なにやらソワソワしている。


じいさんとばあさんに気づかれる前にここを去りたいが、唯を急かすのも気が引けるため、少し待つことにした。


もじもじしながら、唯は口を開いた。


「き、きのうのことーー」


そのとき俺は、昨夜の酒の席での会話が思い出された。


「唯ちゃんが迷惑に思ってたらーー」


じいさんの言葉が蘇る。


俺が鶏頭に手を上げたことについて、「余計なことしやがって、自分に火の粉が飛んできたらどうするんだ」と文句を言いに来たのかもしれない。


俺はそれに反論することはできないし、することもない。


俺は「唯のために」鶏頭につっかかっていったわけではないからだ。自分の怒りのなすままに、乱暴な手段を選んだ。


だから唯に怒られることは仕方ない。心の底から謝罪の言葉を述べようと思っていたが、唯が続けた言葉は、俺の予想と違っていた。


「きのうのこと、お礼言いに来てん!」


唯は思い切り良くそう言った。


「へ?」と呆ける俺をよそに、唯は続けた。


「あの不良、仲良くもないのにいつもついてきてめっちゃいややってん。せやけどあいつ怒らせたら何するかわからんらしくて、怖くてなんもできへんかってん。」


唯はぐっと拳を握りしめて、言った。


「きのう、たこやきのこともこの店のことも馬鹿にされてめっちゃ悔しかった。けど怖くて何もできへんかった。」


唯はそう言うと少し間を置いて、俺の目を見て次の言葉を続けた。


「せやから、はじめが代わりに怒ってくれてめっちゃうれしかった。あたしが怖くてぶつけられへんかった気持ちを、全部ぶつけられるはじめがめっちゃ強いなって思った。」


はっとした。胸の辺りが暖かくなるのがわかる。


「ありがとう、はじめ。」


唯は笑顔でそう言った。


「いや、こちらこそありがとうだ。唯。」


俺も笑顔で答えた。


唯は迷惑になんて思っていなかった。むしろ感謝をしてくれた。


黙って頭を下げるじいさんみたいに冷静な方法を取ることはできなかったけど、弱いものいじめをするみたいなかっこ悪いやり方だったけど、俺は唯のために、人のために戦えたみたいだ。そして「強い」と思ってもらえたみたいだ。


「わからへんもんやな、はじめ。」


振り返ると、玄関にその声の主はいた。


「じいさんーー」


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