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エピソードオブじいさん:逆鱗

午前八時。

とある商社で行われたやり取り。


「あれ、佐倉さんまだ来てはらないんですか?」


源治のデスクの前で、彼の後輩は言った。


「うーん……。」


源治とその後輩の上司にあたる中年の男は、返答に困っている様子だった。


「なんですか、その煮え切らん感じは。」


後輩は茶化すように訊ねたが、上司から差し出された「それ」を目にすると、その顔から笑みは消えた。


「もうすでに、来てはいたようやな。あいつの机に、こんなもんが置いてあった。」


上司の手には、源治が書いたと思われる辞職届があった。




時は一時間半ほど遡り、場所ははじめの通う中学校。


源治は職員室に通されていた。


「あんたがサッカー部の顧問か。」


デスクに腰掛けているジャージ姿の中年男に、源治は乱暴に問いかけた。


「はい、そうです。」


ジャージ男はゆっくりと立ち上がり、言った。無精髭を生やしており、切れ長の目をしたその男は、それだけで無愛想に見える。


そして、いざ目の前に立たれると、その体格の良さから相応の威圧感があった。が、源治はそんなことに怯むことはなく、強気に言った。


「端的に言うわ。はじめのいじめについては把握しとったんか。」


彼の名誉のために補足しておくと、源治は何も普段からだれに対してもこのように礼儀を欠くような言葉遣いはしていない。自分の息子が置かれた状況、このジャージ男の横柄な態度、そして自分の怒りの感情が彼をそうさせた。また下手に出て、うやむやになるのも嫌ったという理由もある。


「いいえ。」


ジャージ男は、たったそれだけ言った。


源治はぎりぎり怒りを殺して言った。


「いつも生徒の何を見とんねん。上級生にいじめられとんねん。見てへんのかほんまに。」


ジャージ男は少し間を置いて、言った。


「それがいじめかどうかは、わかりかねます。」




次の瞬間、ジャージ男は勢いよくデスクに倒れ込んでいた。


源治が、ジャージ男の顔面を殴り飛ばしたのだ。


「それが教師のやることか、ボケェ!」


勢いに任せて、源治は叫んだ。


続けてジャージ男の胸ぐらを掴み、無理やり起こして、その腫れた顔に怒声を浴びせた。


「まずいじめを把握できてなかったことについて謝れやおまえは!俺に対しても、はじめに対しても!それができへん時点で人間として失格じゃボケ!」


「何してるんですか!」とほかの教員が止めに入ろうとするが、構わず源治は続けた。


「それにな、教師という立場なら、わからんで済ませるな!しっかり生徒を見て、聞いて対応したんかおまえは!しかもはじめ本人がいじめられてるって言うとんねん!それを見て見ぬ振りしてる時点でおまえは教師としても失格じゃボケ!」


すべて吐き出して、源治はもう一度ジャージ男を殴った。


そこで源治は、ようやくジャージ男から振りほどかれ、別の教員に羽交い締めにされた。


しかし源治は、意外にも抵抗することなく大人しかった。むしろ項垂れた彼の顔には、少し笑みのようなものが見えた。


するとそこに、話を聞きつけた校長が入ってきた。


その初老は、焦りを見せながらも、威厳を保つべく落ち着いてこう言った。


「申し訳ありません。息子さんの転校の手続きをこちらでさせてもらいます。またそこにいるサッカー部顧問の教員を停職にし、いじめ問題に該当するサッカー部の生徒を停学の処分にします。」


これに対して、源治は笑顔を浮かべてこう答えた。


「さすが校長先生。話が早いわーー。」

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