勇者は勇者でなければいけなかった。1
魔王城の最上階。
横たわる魔王の死体に、勇者は問いかけた。
「あなたは、
…あなたは。
何を思って生きてきたんですか?
何を思って生まれてきたんですか?
何を思って僕を迎え撃ったんですか?
何を思って死んだんですか?
何を思って殺したんですか?
何を思って壊したんですか?」
発するに連れ強くなっていく口調に、パーティーメンバーは話すことをやめて勇者を見た。
死体を、傷つくことの無いその死体を。
拳から血が流れるまで殴り続ける彼を。
いくつもの衝撃音が部屋に響いて、最後の反響が彼の嗚咽に消えた。
彼の傷だらけの拳に塩水が一つ落ちて、締め出された声に変わる。
「あなたが…僕だったら良かったのに。
ここで倒れるのが、僕だったら良かったのに。」
漏らされた勇者の独白に、声を発する者はいない。
彼の叫びだけが、いつまでも降り注がれていた。
勇者は勇者でなければいけなかった。
勇者を除いた勇者パーティーが街に到着して、大きな歓声が彼らを包んだ。
彼らの親しい者が駆け寄って、彼らを抱きしめた。
親だったり、恋人だったり、親友だったり。
一通りの歓声が止むと、一人の市民が疑問の声を上げた。
「勇者はどこにいるのか」と。
その疑問は瞬く間に周囲に広がった。
半ば怒号に近いそれに、パーティーメンバーの一人が伏せ目がちになりながら答える。
「分からない。」
ただ、その一言だけ。
しかし、その一言だけで民衆には十分だ。
民衆が期待を押し付ける為には十分過ぎる物だった。
彼らは話す。
「きっと彼は魔物を討伐しに向かったのだろう。
『先代の勇者』と同じ様に。」
誰かが、いや、誰もが話したこれを否定するものはいない。
満面の笑みを浮かべる彼らに、パーティーメンバーは何も言わずに俯いた。
勇者は勇者でなければいけなかった。
彼は魔王を討った後、その足で一つの街に向かった。
冒険者と老人が暮らす、衰退しか道が無い様な一つの街だ。
街に着けば、住民達が歓迎の姿勢を見せた。
すでに暗いそらの色を考えてか、案内されたのは一つの宿屋だった。
恐らくはこの町の一番の宿屋。
それでも、王都では良く見るようなものだ。
その宿屋の隅の一室。
一人の老人がベットの上で横たわっていた。
窓が開け放たれ、そこから街の様子を眺める老人が、こちらに気づいて体を向けた。
軽く会釈をすると、にこやかな顔で返される。
「君が、噂の勇者かい?」
迫力あるしわがれた声にゆっくりと頷くと、老人は笑みを深めた。
「何故君はここに来た?」
「少し…聞きたいことがあって。」
老人は興味深かそうに眉をあげて、弾んだ声色で言った。
「ほう…こんな老体に答えられるようなものなら、なんでも。」
「…あなたは、何故ここに居るんですか?
もっと、王都でもどこでもいい待遇が受けれるでしょう?
あなたの名前を知らない人はいない。
何処にいっても貴方の名前を目にする。」
老人は少しの時間を置いて、窓の外に視線をやった。
「君は人と接するという事は、どういう事だと思う?」
彼は顔を顰めて、絞り出すように答えた。
「鎖…全身を繋ぐ鎖だ。」
「鎖、か。
君は、昔の私に少し似ているのかも知れないね。
最も私のせいで君には鎖が巻きついたのだろうけど。」
彼は気まずそうに目を逸らした。
「君は、何故私が魔王討伐後に魔物を狩り続けたのだと思う?」
「…鎖から解放される為?」
彼の答えに、老人は静かに首を横に振った。
「君で言うところの『鎖が欲しかった』からだ。
ただ、老いてやっと気付いたよ。
『これ』は、鎖なんかじゃない。
『絆し』だ。」
老人は窓の外に手を伸ばす様な動きをして、その延長線上に何かがあるかの様に目線を這わせた。
何も言わない彼に、老人は向き直って目線を合わせた。
「…これが、私がここに居る理由だよ。」
彼は合わされた目線を逸らした。
少しだけ見える形容し難い表情に、彼は優しげに答えた。
「最後に、これだけは覚えておくと良い。
私が最後に倒した…そう、丁度あの教会の前の場所だ。
あそこで倒した魔物は、どんな魔物より、魔王よりもよっぽど恐ろしいものだったよ。」
「……ありがとうございました。」
彼は礼を言って、足早に部屋を去った。
その夜。
彼は窓に見える街に手を伸ばして、その延長線上に目を這わせた。
彼は勇者でなければいけなかった。