二話 希望を与えた挫折者
「――――っ!!」
悪夢から覚めたかのような勢いで目を開けた。
身体は固い石畳の地面に横たわっていた。
すぐさま起き上がり、頭痛と共に頭を押さえ、周囲を見回した。
石レンガで作られた狭い空間と一方にのみ伸びている先の見えない暗い道。
「ここは……どこだ……」
頭痛のせいで記憶がはっきりしないが鮮明に覚えていることがあった。
――あれは夢だったのか。
あの女に心臓をもぎ取られたあの出来事。この身で味わった激痛は本物だったはず。
慌てて胸に手を当てて確認するがそれらしき穴はない。ましてや抗争で負った傷もなくなっている。
「まさか、本当に夢だったのか……?」
「――そんな訳ないじゃない」
聞き覚えのある女の声。
すぐさま声がした方向を見ると黒と紫の高貴な服装をした女がいた。
黒いローブで素顔はわからなかったが、あの深紅の瞳には強烈な覚えがある。
シアンの心臓を抉り取った女だった。
「お前! 一体――ッ!」
腰に掛けてあった剣を引き抜いて女に斬りかかった。
「――――!!?」
短剣の刃は確実に女に当たったはずなのに、風を切ったかのように刃は女の身体を通り過ぎていった。
「す、透けたぁ――――っ!!?」
驚きのあまり数十歩後方に素早く後ずさりした。
「そこまで驚くのは私でも予想外だったわね……」
「だってお前! 普通身体が透けるなんておかしいだろ!」
「――お前じゃない。リスティアナ・ウル・ディアボロス」
「ディアボロスって、やっぱりお前魔族じゃないか……」
ディアボロスと言う性は魔族でよく聞く名だった。
改めて魔族だと確信したシアンは警戒心を緩めず剣を構え続ける。
「あー、そう敵対視しなくて大丈夫よ。魔族だからってあなたを殺したりなんて残酷な振る舞いはしないわ」
「あんなマネしてどの口が言ってんだ! あんたは間違いなく俺を殺そうと……!」
シアンは記憶から頭から消えることのない出来事を思い出す。
「混乱するのも無理ないわ。世界創生直後にいきなり現れた魔族に無理矢理〈契約〉させられたのだもの。どんな鬼人でも悪魔との契約なんてそうそう受け入れるものじゃないわ。ここまでの反応は予想通りだったけど」
なんだか聞きなれない単語が耳に入ったシアン。
「け、契約ってなんだよ……?」
「ごめんなさいね。あなたとは魔族にのみ伝わる他種族との同化である契約をさせてもらったわ。心臓を取り除いたのは魔族と契約するための欠かせない下準備よ。お気の毒だけど、これ以外の方法で契約することは不可能なの」
「お気の毒って……。というか、その契約とかして、一体何が起こる?」
魔族の用いる儀式などろくなものじゃないに決まっている。
「契約とは、その対象者に私の力の一部を引き継がせる儀式よ。かといって、魔族である私の力を最大限扱うことは不可能に近いけれど」
「じゃあ、今の俺には魔族の一部の力がある……と?」
「まあそんなところ。かといって、主従関係なんてものは存在しないからお互い親密にね。つまり、今の私はあなたの相棒であり付き人って訳よ」
「何でわざわざそんなこと……」
「それはこれからわかるわ」
シアンは何を話していいかわからなかった。
逆にわからないことが多すぎたのだ。
「……さて、長話をしている時間もないし、そろそろ本題に入るわよ」
「本題……?」
「単調に言うわ。契約前、あなたには私の希望を背負ってもらうといったわよね?」
思い返せば、そんなことを言われた記憶がないこともない。
「あなたには私の代わりに世界創生を阻止してもらうわ」
リスティアナの口からは世界創生の名が放たれた。
「阻止って、ことはやっぱり……」
代わって阻止をしろというのは、リスティアナも世界創生への反対派なのか。ならば本当は話の通じる奴なのか。
すると、シアンはここで一番の最大で最重要の確認事項を忘れていたことに気づく。
「……はっ!! そういえば、世界創生は!?」
リスティアナと会った時は世界創生が完了するすぐ前だった。気を失っていたんならもう完了していてもおかしくはない。
だが、リスティアナはシアンに世界創生の阻止を要求している。これは世界創生がまだ完了していないに等しい。
その直後の一言だった。
「――あぁ……、もう終わっちゃったわよ」
「ん……え…………は……はぁぁあぁぁああ!!?」
最初こそ意味が伝わってこなかったが、時間が経つにつれてその意味を知る。
リスティアナの言葉に度肝を抜かれ、大声で怒鳴った後に慌ててリスティアナに攻めよった。
「ど、どどぉどういう事だ、おいっ!! 終わったってなんだよ!! 終わったって世界が終わったってか!!? その話が本当なら反乱軍がやって来たことは全て水の泡じゃないか!!?」
「少しは落ち着いたらどうなの。冷静に考えてみるといいわ。世界創生が完全に終わってしまったのなら、あなたが今なお息をしているなんてことはないはずでしょ。……それより顔が近い」
リスティアナに言われて、一歩下がって冷静に考えてみると確かにそうだ。
世界創生は全ての命が消滅されるはず。そう考えると世界創生は完全に終わっていないのか。はたまた彼女が冗談を言っているのか。
「……それじゃあ、辻褄が合わないだろ。俺が生きているのなら世界はまだ存在している。だけど、あんたは『世界創生は完了された』と言った。どう考えたって矛盾しているんだが……」
「あなたは知らなくて当然だけれども、世界創生を真に成功させるには二段階のノルマが存在するわ。今は第一局面が終わって第二局面に突入しつつある。それを阻止する為に元凶である総皇を討つのがあなたへの頼みよ」
「…………」
シアンはリスティアナを信用することができなかった。
魔族であるなら、契約などといった技巧を行えるのはおかしくない。
そして話をまとめると、魔族であるリスティアナは第二局面に入りかけている世界創生を契約によってシアンを使い、元凶である総皇を止める……という流れだ。
「御理解いただけたかしら?」
「最後に、確認だけさせてくれないか……?」
どうぞ言わんばかりにリスティアナは手を差し出す。
「……この空間はなんだ? 俺たちは一体どこにいるんだ?」
今いるのは、シアンがいた聖堂とは全く違う場所。
「世界創生が起こって私達が生きていた世界が完全に消滅するのは新しい世界が生まれる余興に過ぎないわ。確信はなかったけど、世界創生を第二局面から完成させる時にあった一つの空間が設けられると聞くわ。それが、こんな薄暗い場所だとは……」
周りを見つめながら呆れたため息をするリスティアナ。
「……要するに、俺はリスティアナと契約をしたせいでこんな場所に来てしまったってことか?」
「んー、まぁ大体は正解ね。どこか強制されたかのような言い方が引っかかるけれど」
「本当に強制されてるじゃないか……」
しかし、リスティアナの話にいくつか妙な点が残った。
この場所で世界創生を阻止するのであれば、何故魔族より力の劣る人族であるシアンと契約などしたのか。何よりこの場所に二人が入れたのに、何故他の者はこの空間に立ち入ることができないのか。そもそも、何故リスティアナはこんなにも世界創生に関して詳しいのだろうか。
謎が多い中でシアンは重要な疑問を一つだけ上げた。
――リスティアナは一体何者なのか?
「……リスティアナの話、信じていいのか?」
「それはあなた次第ね。普通なら急すぎる話で信用なんてしてくれないだろうけれど、この場所に来た以上、もう後戻りはできないわ」
シアンの心にある気持ちが凝固された。
「……なら、あえて信用してみるよ。それが世界創生の止める為ならな……!」
たった一本続く廊下をシアンは走り出した。
その背中をついてくる様にリスティアナも宙に浮きながら追う。
リスティアナが浮遊したことに目を持っていかれたが、考えてみれば強い魔力を持つ魔族が宙に浮く程度の力を持っているのは当たり前である。
「そういえばシアン。いきなり前向きになって、どういう風の吹き回しなの?」
「あんたがこうしろって言ったんだろ。……本音を言えば、奇跡的にあんたと目的が一致しただけだよ。他の目的があったのなら表向きの信用すらしていなかっただろうな」
総皇の野望を阻止し、世界創生を食い止めることは反乱軍の目的だった。
世界創生を止められるのなら、例え謎が多い魔族を味方にしてでも反乱軍の仲間の為に引き下がる訳にはいかない。
「リスティアナの話が嘘か誠かはどうであれ、少しでも見えた希望を絶やしたくない」
やっと、総皇に反逆して初めて大きな希望が見えた気がする。
総皇に力が及ばなくても、最後まで抗い続けると覚悟はできている。
「……柱にもたれて休憩していたのは誰だったのかしら……」
「休憩とはなんだ!? 結構痛かったんだからな!」
こちらの反応に笑いが込み上げたリスティアナ。
「ふふっ。でも、そのくらいの覚悟がなくちゃ、この先いろんな意味で苦労するからね」
決して死んだ反乱軍の事を悲しんでいない訳ではない。心の中では常に悲しみで叫びたがっている。しかし、そんな余裕がないのはわかっている。
前を見つめ、教会の本堂を目指し再び走り出した。
でも、なぜだろう。
なぜこんなにも正義感が溢れてくるのだろうか。
※※ ※
走り始めて数分後。
なにやら教会のような場所に辿りついたシアンは足を止めた。
初めに目に入ったのは、身廊を進んだ奥の祭壇に禍々しく空色に輝く大きな結晶のような物だった。それは光彩陸離という言葉が相応しい代物だ。
「何だ、あれ……?」
「あれが総皇の玉座のようね」
「総皇の玉座?」
玉座とは皇が居座る椅子を指す。だがリスティアナが総皇の玉座と呼んでいる物はそのような見た目に反している。
「玉座というのはあなたが思っているような座椅子とは異なるわ。総皇と九皇帝の地位に与えられる玉座はいわゆる皇である証。玉座はその証を結晶という形に具現化したものよ」
「玉座というものが結晶だったのは驚きだが、どうして総皇の玉座がここに……」
「知っての通り、世界創生を起こすには全九皇帝の玉座が必要不可欠。そして、世界創生を起こせるのは総皇のみ。そうなると世界創生に必要な玉座の主軸となる総皇の玉座も必要になってくるわ」
「世界創生を起こす、あるいは阻止するための鍵ってところか……」
「あの様子から察するに、総皇の玉座に触れれさえすればば世界創生は完了されるはず。それを止めるのがあなた最終目標ね」
その光は本堂内を照らし、少々眩しくも感じた。
本堂を見渡しても総皇らしき人物はいない。世界創生を止める為には当の本人である総皇を倒す必要がある。先を越したのであれ、総皇の玉座である結晶の安全を確保しておくことが先決だろう。
シアンが祭壇に向かうおうと身廊を進み始める。
「――待って、シアン!」
突然後ろから名前を呼ばれ振り返る。
すると、シアンと祭壇を阻むように黒い霧のようなものが渦を作り始めた。
「影……?」
それはみるみる大きさをまし、人間のような形に成長した。
まるで影が集まり人間の形をしているようだった。
「……こ、こいつが総皇か?」
そう呟きリスティアナの顔を見ると、なにやら様子が変だった。
眉間にしわを寄せて、目の前に現れた影を睨んでいる。
『……まさか、お前が侵入してくるとはな……』
低い男の声は間違いなく影から聞こえた。喋っているのか。
後ろに居たリスティアナは歩き出しシアンの前に立った。
「――それはこっちのセリフよ……。どうしてここにいるのっ!?」
リスティアナからは魔族を放物させるようなただならぬ殺気のようなものを感じた。シアンは怒りのようなものも混ざった圧力に身をのけぞらす。
『……お前の知的な脳で考えればいいだろう、リスティアナ。お前なら私がここにいる理由も容易にわかるはずだが……』
推測するに、あの影はリスティアナのことを知っているようではあるが。
「……な、なあ。あのドス黒い化け物はあんたのお友達か?」
遠慮した態度で問うと、表情を変えずにリスティアナは応答する。
「――〈戦皇〉アース。あなた達、人族を代表する九皇帝の一人よ」
「――なっ!!?」
その名を聞き驚きのあまり言葉を詰まらした。
戦皇とは九皇帝の一人であり、人間を統括する皇である。未決戦争時、たった一人の騎士により戦況を大きく有利に変えた。英雄という言葉がふさわしいその功績から戦皇になったと言われている。
シアンと同じ種族の皇であるため、戦皇の話は深く知っていた。
「あの……敬語でお話しした方がいいのでしょうか……ね」
「妙にかしこまらなくて結構っ!」
かしこまるシアンにリスティアナは後ろから頭を叩く。
『……その様子を見ると、契約を編んだのか。あの日から消息を絶ったお前とまさかこのような形で出会うとは。九皇帝の一柱である魔皇も苦肉の策に出たか……』
「え……」
聞き間違いでなければ、その言葉は間違いなくリスティアナに向けられたものだった。
「……魔皇って……」
恐る恐る厳しい顔をするリスティアナを見た。
「……リスティアナ、お前が魔皇……?」
「そうよ……」
「……ホントに、か?」
「本当」
「嘘ぉぉお!!?」
仰天の連続で正直顎が外れそうだ。
魔皇と言えば、幼くして驚異的な魔力の持ち主であったと噂されていたが、まさかリスティアナが魔皇だったとは。
「あんたに対してはどのように接すれば……?」
「出来れば敬意か名前の語尾に『様』を付けて欲しかったけど、今まで通りでいいわよ」
今まで普通の魔族ではないと思っていたが、その魔族の中の頂点に立つ存在だったとは感服である。ここまで世界創生の仕組みに詳しいのもこれで頷ける。
「俺、ずっとそんな奴と会話していたのかよ……」
シアンの周りには戦皇と魔皇というメンツ。
どうしてこんな大物達が目の前にいるのか説明してほしい。
『……しかし、リスティアナが人間に契約を要求するとはな。総皇が作った限界制限がある限り無理もないが。この影の体も限界制限の影響であるのも致し方なしか……』
「限界制限……?」
「――御託はもうたくさん。総皇の使いであるあなたに語ることなどないわ」
睨みつけるリスティアナに対し、戦皇は不気味と笑ったように見えた。
『……総皇の使いか。魔皇達が去って3年間の時間にこちらで何があったか、お前はわかっていないようだな……』
顔を傾けるリスティアナに戦皇アースは言った。
『……私は総皇の使いではない。そして、世界創生を起こしたのは総皇ではない……』
戦皇アースの言葉に目を見開いた。
「じ、じゃあ誰が……っ!?」
『……それは、私自身だ……』