プロローグ
廃墟の一室には、外から慌ただしい雑音が入り込んでいた。まるでもうすぐ世界が終わってしまうかのように。
部屋には埃が舞い、壊れた家具が乱雑に倒れている。到底生活できる場所ではなかったが、今はここが待機せざるを得ない場所となっている。
「……随分、膨らんでいたんだな……」
少年は古びたソファーに座り込んで、自身の手のひらを見つめていた。
17歳になるまで詳しく見たことがなかったかが、剣ダコが増えているのがわかった・それほど剣を振るってきたことなのだろう。
そんなどうでもいいことの発見でさえ、今では貴重な発見のように感じる。
もう殺しなど日常茶飯事になるほど荒れ果てている世界で、ほんの些細な事柄を愛おしくなるのは。
何を思ったか、少年の腹の底から深いため息が出た。
すると、たった一つの部屋の扉が鈍い音と共に開いた後、その声が聞こえた。
「うわぁ……。シアンったら、こんな空気の悪い所にいたんだ」
「シーナ……」
正面から呼びかけたのは、シアンと同じ軍服を身にまとったシーナという名の少女だ。白銀の長い髪を揺らしながら歩み寄ってきたシーナはゆっくりと扉を閉めてシアンの元へと歩み寄る。
「こんな所で待機させるなんて、上官も人が悪いよね」
「外に居ても煙や火の粉を吸い込むだけだろ。今更文句は言えないさ」
この廃墟に来る前に確認できたが、既に全焼していた住居を何件か見てきた。目的となる場所に近づくにつれ、戦の被害は段々深刻なものになっていく。今じゃどこにいても衛生環境は変わらない。
「それで、シーナ。ここに来た要件は何だ? お前の待機場所は別の廃墟だったはずだけど……」
「……何か理由がないと会いに来ちゃ、ダメ?」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
そう返すとシーナは静かに笑った。
「よかった。私だって出撃するときぐらい自分のやりたいことをするわよ。今回ばかりはこれで最後になるかもしれないし……」
今のシーナの顔はいつも見ているものより少し暗く見えた。シアンの知っているシーナは、血で血を洗う戦場においても笑顔を絶やさず、その天真爛漫な性格で隊を元気つけるような少女だ。
「……緊張しているのか?」
投げかけると彼女は濁った表情で微笑む。
「緊張というか、少し不安……かな」
「陽気なお前でも今日ばかりは不安か……」
シアンとシーナはこれまで長期にわたって同じ隊に所属していた。しかし、シーナが出動前に後ろ向きな態度をとるなど、記憶を掘り返せば兵士になって初陣に出た時ぶりな気がする。
「あっはは……、私らしくないよね。戦だったら、これまでいくつも乗り越えてきたのに、後戻りできない所まで来たのにね。それに比べて、シアンはいつも通りって感じで、どこか羨ましい……」
「俺は別に……特別な感情はないかな。この隊に貢献できればそれでいいから」
「シアンはブレないな~。それが強み何だろうけど」
「俺の居場所は戦場だけだからさ。誰かの為に命を張れるのは戦場の中だ。皮肉だよな。争いは全てが地獄だ。そんな腐った今を俺たちが止めるしかないんだ」
強く握った両手を見つめながら、シアンは長々と語る。
「あーあ、今日もシアンに背中を押されちゃったね。……思い返せば、私はこれまでシアンにフォローされてばかりだったね。もっと強くならなくちゃいけなかったのに……」
「そうか? 俺はシーナに助けられてばかりだったと思うけどな。第一、俺はシーナに出会わなかったら、こんなに口を開くような奴じゃなかっただろうし、『殺し』しか知らない狂者になっていただろうな」
肩を落とすシーナを励ますシアン。
シアンの言うように、もし、シーナと出会わなければ今の自分は存在しないというほど、昔からシーナには精神的な面で助けられえてきた。シーナが居なかったらどうなっていたかなど想像もできない。
「兵士になって二年くらいたった時に突然声をかけてきたよな。今でも鮮明に覚えてるよ。さすがに俺もきょとんとしたよ」
「だって何か寂しそうだったからね。私が元気つけてあげようかと」
「別に寂しがってはいなかったと思うが」
「傍から見ればそんな感じだったのよ。実際に喋りかけたら怖い眼光で睨まれたし」
「あれはただ単に警戒していただけだって……」
こんな何気ない会話も貴重な思い出になるなど思ってもみなかっただろう。
世界がこんな状況にならなければ、このような感情も生まれなかっただろうに。
するとシーナは笑顔から寂しげな表情へと一変した。
「……もっと笑顔でシアンと喋りたかったんだけどね。本当は上官にシアンを呼んでくるように頼まれてここに来たの。頼まれなくても来たと思うけど、有意義な時間が過ごせたよ」
やはりいつものシーナとは違った。まるで、全てを覚悟し受け入れたような現状だ。
「……最後に約束して」
そう付け足すシーナ。
「私たちのどちらかがこの世を去っても、決して自分の信念を捨てないでね。絶望するシアンなんて考えたくないから……」
語尾に近づくにつれて低下していく声量。
シアンは古びたソファーから立ち上がり、胸に握りこぶしを当てる。
「命に誓って、その約束を守る……。シーナとの約束は絶対に破りはしないから」
そう返すと彼女に笑顔が戻る。
「そう言ってくれると、嬉しいかな。まあ、私も死ぬつもりはないけれどね……!」
シーナは再び微笑むと体を反転させる。
「それじゃあ、もう行こっか? 私も、覚悟を決めなくちゃね」
「……ああ」
今から始まる戦いはシアン達だけでなく、世界中の命運が掛かった最後の戦だ。
しかし誰もが希望を持って前を向いていれる訳じゃない。
今回は口先だけじゃどうけしようもない程の規模。
――そして、もうすぐ全てが終わるかもしれない。
そんな未来がシアン達の進む道だった。
シアンとシーナは前だけを見つめながら、部屋から出て行った。