西の行商人
気が付けば俺がこの世界に来てから2ヶ月近く経っていた。
本当にあっという間の2ヶ月だったが、この世界にもだいぶ馴染んできたと思う。
いや、馴染んだと思っていた。目の前のでっかい狼を見るまでは。
狼の体長は鼻の先から尻尾の付け根まで多分2メートル以上。牛よりも大きいんじゃないだろうか。
最初は犬かと思っていたが、バスディア山岳地帯原産のバスディアウルフだとルーティが教えてくれたので狼なのだろう。
そのでっかい狼が6頭。それぞれ1頭につき1台の荷車を引いている。この場合は馬車ではなく狼車と呼ぶべきなのか。
ちゃんと躾けられているので平気だと村の皆は言っているが、自分の体よりも大きな狼の迫力は凄まじい。
普段は大人しいミルクがその迫力に驚いて暴れたため、ピュティがそのまま自宅に連れ帰ったほどである。
今日は月初め恒例の行商人が村に来る日だ。
狼車に乗ってやって来た行商人達の中から、代表らしき中年男性が村長の元に向かった。
荷台から降りて荷車を引いていた狼を労ったり、積荷のチェックをしている人達が沢山いるが、目に見える範囲の全員が獣人族のようだ。
種類は犬、猫、狐など様々で、中には体毛がやたらと濃い人もいる。
今月は西からの行商人で食料の販売が中心となっており、村長とグレンダさんが纏め買いをしている。
なので俺が個別に買うような物はほとんどなく、せいぜいお菓子ぐらいらしい。
「ルーティちゃん、久しぶりー! 元気にしてた?」
「きゃっ! もう、セレノちゃん、急に抱きつかないでってば」
「えへへー、だって2ヶ月ぶりに会えたのが嬉しいんだもーん」
狼にビビリつつどんな食材があるのか見せてもらおうかと歩いていたら、何やら楽しそうな声が聞こえてきた。
そちらへ目を向けると、犬耳と尻尾を生やした少女がルーティに抱き付いて頬擦りをしている。
抱き付かれているルーティも口では文句を言っているが、とても嬉しそうだ。
しかし、ミューやフィオーネすら『さん』付けで呼んでいるルーティに、『ちゃん』付けで呼ぶ相手がいたとは驚きだ。
口調も砕けているし、よほど親しい子なのだろうか。
「ルーティ、その子は?」
「あ、レンさん。この子はセレノちゃんと言って、私のお友達です」
思わず声を掛けてしまった俺に、ルーティがセレノを紹介してくれる。
その瞬間、セレノの目が新しい玩具を見つけた妖精達と同じように輝いた。
「うわーっ、凄い! 人間だ! しかも若い男! 何々、もしかしてルーティちゃんの彼氏!?」
「ち、違うから! レンさんとはまだそういう関係じゃないから!」
「まだ!? まだって言った! ってことは、いずれそういう関係になるってことだよね!」
「言ってないから! ヘンなこと言わないで!」
「言いましたー! 絶対に言いましたー! きゃーっ!」
大盛り上がりである。ルーティが女子高生みたいなノリではしゃいでいるとか、ちょっと信じられない。
しかし今はセレノに確認しておかなければならないことが1つある。
「獣人族も長生きで人間より成長が遅かったりするの?」
「えっ、獣人族の寿命と成長速度は人間と変わらないはずだけど?」
「ああ、そうなんだ。ルーティと凄く仲が良いみたいだからてっきりセレノも長寿で、ルーティとはもう長い付き合いなのかとあだぁ! あいだだだだだだっ!」
「だ、れ、が、見た目は若いくせに中身は40過ぎのババアですか!」
「言ってません! ババアとか言ってませんし思ってもいません! ギブ! ギブアップ! 折れるから!」
ルーティに流れるような動作で脇固めをキメられた。
腕に柔らかいモノが当たっているが、それよりも肩の間接が悲鳴を上げているのでちっとも嬉しくない。
騒ぎに気付いた村長が止めてくれるまで、セレノは目の前の光景に腹を抱えながら大笑いをしていた。
「いやー、笑った笑った。それにしてもあのルーティちゃんがそこまで感情的になるなんて、レン君ってばよっぽど気に入られているんだね」
「もう、セレノちゃん。その話は止めてってば」
「また間接をキメられたら今度こそ折られそうだし、俺からもお願い」
「あはは、しょーがないなー。あ、そだ。レン君にはお近づきの印に良い物あげる」
セレノが近くの荷台から白い液体の入った瓶を取り出し、それを俺に渡してきた。
「これって、もしかして牛乳?」
「あれ? レン君って本物の牛乳を飲んだことがあるの?」
「うん。昔はよく飲んでたかな」
瓶の蓋を開けて匂いを嗅いでみると、懐かしい牛乳の匂いがした。
この村で牛乳といえば、粉末を水で溶いた物が普通である。牛乳は腐りやすいのでそれは仕方がない。
しかし普通の牛乳と粉ミルクだとどうしても味に違いが出てしまう。
時々ルーティが牛乳を必要とする料理、例えばクリームシチューなどを作ったときに俺が知っている物とは味が違うなと思っていたら、原因はそれだった。
セレノに貰った牛乳を一気に飲み干した。日本で飲んでいた牛乳と同じ味がする。
俺は粉ミルクはあまり好きではなかったので、これは非常にありがたい。
「うん。美味い」
「えへへー、ありがと。それってウチの牧場で育てている牛のなの」
「ああ、酪農家なんだ」
「セレノちゃんの住んでいる村は畜産が盛んなんですよ。新鮮なお肉もいっぱい買えるので、今日は久しぶりに焼肉だーって村長さんが朝から張り切ってました」
この村で普段食べられている肉料理といえば、干し肉を使ったスープだ。
俺がたまに村の外で一角タヌキを獲ることがあるけど、村人全員にお裾分けをするので焼肉ができるほどの量にはならない。
なので村長の気持ちもよくわかる。
「焼肉も良いけど、俺は久しぶりに揚げ物とか食べたいな」
「あげものって何ですか?」
「えっ」
「えっ」
俺とルーティは顔を見合わせたまま同時に首を傾げた。
ふと気付いたが、この村に住むようになってから2ヶ月近く経っているのに、揚げ物を食べている人を見たことがない気がする。
ルーティが焼く、炒める、煮る、茹でる、蒸かすといった調理をしているところなら見たことはあるが――。
「もしかして食材を揚げたりしないの?」
「ジャガイモや人参は沢山収穫できたら、村の皆にお裾分けしてますけど?」
「えっ」
「えっ」
再び俺とルーティは顔を見合わせたまま同時に首を傾げた。
ああ、ルーティはあげる=プレゼントと解釈したのか。
「揚げるっていうのは調理方法のことなんだけど。トンカツとかカラアゲとか天ぷらっていう料理は知らない?」
「いえ、知らないです」
セレノもルーティと同じく揚げ物を知らないようだ。
それなら――本人達には内緒だが――亀の甲より年の功ということで、村長とグレンダさんに聞いてみることにした。
「トンカツ……ですか? どこかで聞いたことはあるような?」
「あれじゃろ、ワシらがまだ子供の頃にシェルルーナの父上殿が作っておった料理のことじゃろ」
「あっ。ああ~……、あのお肉を油に浸して黒い塊にするやつですか」
村長とグレンダさんが心底嫌そうな顔をしている。
調理方法は間違っていないが、何かニュアンスがおかしい。おそらくだけど、それは村長のお父さんが料理を失敗していたんじゃないのだろうか。
「う~ん、でも久しぶりに揚げ物が食べたかったなぁ……」
「それってそんなに難しい料理なの?」
「いや、前に作ったことはあるけど調理自体はシンプルで簡単かな」
「じゃあ、何か特別な材料がいるとか?」
「生卵も売ってたよね? なら材料は揃うかな」
「だったら自分で作れば良いんじゃない?」
セレノに言われるまで気付かなかった。
トンカツが食べたなら自分で作れば良いのか。今までずっとご飯はルーティとフィオーネに作ってもらっていたから、その発想はなかった。
行商隊の代表はセレノのお父さんらしく、セレノが必要な物を個人的に売ってくれた。
とりあえず豚ロース肉を5人前。塩とコショウと小麦粉は家にあるので買う必要ない。パン粉はなかったので普通のパンで代用。それと卵。あとは量が必要になる油を買った。
村長には申し訳ないが、今日晩は俺がトンカツを作るから焼肉は明日にして欲しいとお願いしたら、複雑そうな顔で許可してくれた。
「レン様の手料理は食べたいけれど、トンカツってお父様が作ってたあの黒い油の塊よね。どうしましょう、食べ切れる自信がないわ……」
「ひょっひょっひょ、ワシらは今日晩は焼肉じゃ。シェルルーナもたまにはウチに来るかえ?」
「焼肉、食べたい。で、でもここでレン様の手料理を断ってはダメな気がするの! うううう……。焼肉を食べずにあの黒い塊を食べないといけないって拷問じゃないかしら!?」
村長はトンカツにトラウマがあるようだ。俺はちゃんとこんがりキツネ色に揚げれるのに。
口で言ってもわかってもらえないだろうし、実際に食べてもらった方が早いだろう。
多分、大丈夫……なはず。




