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パーシバル・トゥーンの遍歴  作者: 黒崎江治
9/13

漠砂を越えて -2-

 生き残ったのは幸運だったが、パーシバルはすっかり衝撃を受け、意気消沈していた。涸れ川の流れとルルカの記憶でなんとか次の隊商宿には辿り着いたが、たった二人の旅はひどく心細かった。それはルルカも同様で、饒舌だった彼は事故のあと明らかに口数を減らしていた。


 砂漠の出口まであと四日。進んでも進んでも何一つ変わるところのない砂の海。パーシバルがそれを見つめ続けていると、色も空間も、思考さえぼんやりとにじんでくるような感覚を覚えた。


 自分の記憶が見つかるのだろうか。失われた記憶とはどのようなものなのか。記憶を取り戻したらいったい何が起こるのか。不安はパーシバルの頭をぐるぐると回り、何度取り払ってもまた砂塵のように舞い戻ってきた。


 そのようにして半ば朦朧していたパーシバルだったが、あるときふと異変に気付いた。前を進んでいるルルカが、ドゥパタの背に突っ伏すようにぐったりとしている。


「大丈夫か、ルルカ」


 呼びかけても反応はなかった。パーシバルがのぞき込んでみると、ルルカは苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。パーシバルは二頭のドゥパタを止め、ルルカを下ろして彼の状態を調べた。


 パーシバルは医術に詳しくない。しかしルルカの異常は明らかだった。彼が日差しで倒れるとは考えづらい。どこかで熱病にかかったのかもしれない、とパーシバルは考えた。


 その日、パーシバルは早くに進むのを止め、野営してルルカの様子を見ることにした。


 水を多めにした粥を煮て、ルルカに食べさせる。夜の寒さで体力が奪われないよう、何枚もの毛布でその身体を巻く。


「大丈夫だルルカ。もうすぐ砂漠を抜ける」


 パーシバルはそう言ってルルカを励ました。ルルカはかすれた声でそれに答えた。


 すっかり日が沈むと、幾千の星が空を埋め尽くした。パーシバルは女王のメダルを取り出して、そこに示された星座を探した。六つの宝石で表されたそれは、南天高くに浮かんでいた。


 その中心にある星が淡く青白い光を放ち、パーシバルを幾分か穏やかな気持ちにさせた。そして焚き火のはぜる音を聞きながら、パーシバルは眠りに落ちた。


 翌日の早朝になっても、ルルカは回復しなかった。進むか、戻るか。パーシバルは判断しなくてはならなかった。しかし通過してきた隊商宿には、まともな薬もなく、医師もいなかった。なんとか砂漠の出口まで辿り着くしかない、とパーシバルは腹を括った。


 パーシバルはサリアから降り、ドゥパタ二頭の手綱を引いて歩いた。ルルカは自分の身体を支えられず、自分のドゥパタを操ることもできなかったからだ。


 地面には砂よりも土や礫が多くなり歩きやすくはなっていたものの、移動はこれまでよりも遅くならざるをえなかった。そして予備の物資が隊商ごと流れてしまったため、水の蓄えが少なかった。


 またパーシバルは道に自信がなかった。大まかな方向は分かっていても、町を見つけられず荒野を彷徨うことになれば、水や食料が何日分あっても足りない。


 しかしそれでも進むしかない。このまま放置すれば、ルルカは死んでしまうだろう。立ち止まったところで、誰かが助けに来てくれる見込みも薄かった。


 疲労と渇きに苦しみながら、パーシバルは歩いた。身体から水分が抜けていくのが分かり、脚の筋肉は疲労で引きつった。空腹のドゥパタが不機嫌になり、二度三度とルルカを落としかけた。


 そのたびにパーシバルはドゥパタをなだめなければならなかった。しかしサリアは一度もパーシバルに逆らうことなく、常に彼と鼻先を並べて歩いた。


 事故の起きた涸れ川から二日半。道が正しければ、砂漠の出口まで一日半の距離まで迫っているはずだった。この時点でパーシバルはかなり消耗していたが、さらなる不運が襲い掛かった。


 不穏な風がパーシバルの背を叩いた。北から砂嵐が迫ってきたのだ。


 それはときおり見るつむじ風や、竜巻といった規模のものではなかった。空高くまで達する砂塵の壁が、恐るべき速度で迫ってきているのだった。世界が丸ごと砂に呑まれるのではないか、とパーシバルが思うほどだった。逃げることなどまったくもって不可能だった。


 ルルカを乗せたドゥパタがいよいよ暴れて手が付けられなくなった。パーシバルは思わず手綱を離し、ずり落ちるルルカが地面にぶつからないよう抱えた。ドゥパタはそのまま、砂嵐から逃げるように走り去ってしまった。


「とにかく、身を守らないと」


 砂嵐が来るまで、もうほとんど猶予はなかった。


 パーシバルは慌てて周囲を見回して、運よく牛ほどの大きさがある岩を見つけた。岩の根本にルルカと自分の身体をねじ込み、毛布で身体の露出した部分を隠す。砂で窒息しないようにするためだ。サリアが岩の傍らにうずくまり、嵐を防ぐ蓋となってくれた。


 そして砂嵐がやってきた。


 それは雨を伴う嵐とは比べ物にならない苛烈さだった。砂の一粒一粒は軽くとも、無数に叩きつけられれば恐るべき力となった。毛布で塞げなかった小さな隙間からは大量の砂が吹き込み、パーシバルは水を飲むどころか、砂が口に入らないようにするのに必死だった。


 パーシバルは少しの時間耐えればなんとかなるだろうと期待していたが、それは甘い考えだった。昼ごろやってきた砂嵐は、日が暮れる時間になっても止まなかった。


 一体あとどれほど続くのか。パーシバルの肉体と精神は極限まで追い詰められつつあった。死が非常に現実的なものとしてパーシバルの目前に迫ってきていた。しかし傍らで荒く息をしているルルカと、ときおり砂を払うために首を振るサリアの気配が、ギリギリのところでパーシバルを支えた。


 夜になれば砂と風に寒さが加わり、パーシバルの体力を容赦なく奪った。ここ最近の旅で徐々に南の果てへと近づいているため、日ごとに気温が下がっていた。


 嵐は夜半になっても止まなかった、意識がいよいよ朦朧としてきたころ、パーシバルは夢とも幻覚ともつかない奇妙な情景を見た。


 その中で、パーシバルは氷の大地を歩いていた。寒さは痛みを覚えるほど厳しく、道らしきものは何もなかった。疲労と絶望が、肉体と精神を屈服させつつあった。パーシバルは何かを探していた。それが何かは分からなかったが、それが長らく歩んできた旅の目的であることを確信していた。


 いよいよパーシバルが限界に達し、凍り付いた大地に伏して死を受け入れようとしたとき、はるか遠くに影が見えた。パーシバルにはそれこそが自分の探していたもので、命を捨てても求めるべき大切なものだと分かった。どこかから誰かの名前を呼ぶ声がした。その声は徐々に近づいてきていた。


 気管に入りかけた砂にむせ、パーシバルは目を覚ました。気づけば砂嵐は弱まっていた。外は明るく、朝を迎えたことが分かった。


 パーシバルが岩陰から這い出すと、ほとんど生き埋め寸前になるくらいまで砂が積もっていた。サリアはまだその場にいた。砂の彫像のようになっていたが、パーシバルの気配を察知して立ち上がり、全身を震わせて砂を振るい落とした。


「ありがとう。お前がいなかったら死んでいた」


 パーシバルがよろよろと立ち上がり、サリアの首を優しく叩くと、彼女はブルブルと鼻を鳴らした。


 パーシバルは残り少なくなった水袋からルルカに水を飲ませ、自らも飲んだ。食欲は全くなかったし、水がないときは食べない方がいいと事前に教わっていたので、そのようにした。


「ルルカ、行こう。もうすぐだ」


 そしてはルルカをサリアに乗せ、パーシバルは再び南へと歩き始めた。


 砂嵐は去ったが、危難が去ったわけではなかった。物資はほぼ完全に尽きてしまったし、ルルカの命は風前の灯火だった。パーシバルもあとどれほど歩けるか分からなかった。


 先ほどの夢はどんな意味を持つのか。パーシバルは全身を侵す疲労にさいなまれながら考えた。自分が探し求めるものの一端を垣間見た気もしたが、何なのかは結局分からなかった。


 しかしそれは確かにある、とパーシバルは思うようにした。普段は夢が何か意味を持つとは考えていなかったが、あの極限状況で見た情景は、パーシバルが求めてきたものに強く関係しているような気がした。


 次の一歩だけを考えながら進んでいるパーシバルの目前に、高い丘が現れた。それは消耗しきったパーシバルにとってはあまりに無慈悲な障害だった。迂回するとすれば、気の遠くなるほど長い距離を移動しなければならない。この丘を越えなければ、砂漠の出口に辿り着くことはできないのだ。


 これまで淡々と歩いてきたサリアも、いよいよ弱り始めていた。それでもときおりパーシバルを励ますように、彼の背を鼻で押した。


 丘の中腹に至るころ、パーシバルは立って進むことができなくなっていた。それでも這うようにして丘を登った。旅の目的を果たすまで死ぬわけにはいかなかった。


 それでもやがて、本当の限界がやってきた。パーシバルは激しい頭痛を感じて、一歩も動けなくなった。全身が震え始め、目も見えなくなった。あと二、三歩で丘の頂上というところで、パーシバルは前のめりになって地面に倒れ、意識を失った。その直前、サリアの悲しげな鳴き声が聞こえた。


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