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パーシバル・トゥーンの遍歴  作者: 黒崎江治
4/13

採金夫 -1-

 扉がノックされる音で、私は物語の世界から引き戻された。


「ご飯できたよ」


 母が顔を覗かせて呼んだので、私は手帳を持ったまま自室を出た。リビングに降りると、テーブルの上で温かいうどんが湯気を立てていた。ほぐした冷凍うどんに煮えた卵と油揚げ、茹でたホウレンソウが乗っている。私はそれがほどよく冷めるまでの間、母に手帳を見せ、それについて尋ねてみた。


「なにこれ」

「父さんの机に置いてあったんだけど。知らない?」

「見たことないね」


 私はページをめくって、中身を見せた。


「お父さんの字じゃないし」


 母は言った。


「じゃあ、誰の?」

「大学の研究室にでも置いてあったんじゃない? なんでいまさら出てきたのかしら」


 結局、母にも手帳のことは分からず、話題はそれまでになった。私は跳ねた汁がつかないよう手帳を脇にどけ、うどんを食べ始めた。比較的短時間の調理で済む冷凍うどんは、働きながら家事をしなければならない母がよく作っていた料理だった。


「しかし優一も南極に行くとはね」

「やっぱり心配?」


「そうじゃないけど、お父さんと似てないのに、無理してんじゃないかと思って」

「別に」


 私はそう答えたが、無理をしていない、というのは半分嘘だった。私は父に対して、常に引け目を感じながら生きてきた。周囲は私を評価してくれる。しかし果たして自分はそれに値する人間なのだろうか。私は常々そう考えていた。


 もし父に褒めてもらえていれば、少しは自信がついたかもしれない。その機会が今後訪れないというのは、私にとってとても残念なことだった。


 まあ、それはいまさら嘆いたところでどうにもならない。うどんを食べ終え、食器をキッチンの流しに置いた私は、リビングのソファに寝転がりながら、再び手帳のページを開いた。


◆ ◆ ◆


 記憶を失う前はいざ知らず、パーシバルにとって目の前で人が殺されたのは初めての経験だった。彼はその衝撃と、これからどうなるかという不安でひどく気分が悪くなった。それでも歩みが遅れると、盗賊が容赦なくパーシバルの尻を蹴り上げた。


 森の中で日が暮れると、盗賊たちは適当な場所を見つけ、慣れた様子で野営を始めた。彼らはパーシバルの馬車から奪った荷物を品定めし、その分け前について話し合った。パーシバルはまだ気分が悪かったので、出された粗末な食事にも口を付けられなかった。


「お前は健康そうだな。いい働き手になりそうだ」


 盗賊の一人が下品に笑いながら、パーシバルに話しかけた。


「働き手?」


 うなだれていたパーシバルは、顔を上げて聞き返した。


「そうだ。お前はこれから金を掘るんだよ」


 盗賊たちが自分を殺さなかった理由はこれか、とパーシバルは思い至った。彼らはどこかで金を掘っていて、捕まえてきた人間を鉱夫として働かせているのだ。もちろん、分け前も報酬もないだろう。要するに奴隷である。


 だとすると、これから行くところにはもっと多くの盗賊がいるに違いない。そんな場所が普段通る道の近くにあるなど、パーシバルには思いもよらないことだった。


 獣が歩くような道をさらに一日行くと、木々が途切れて開けた景色が見えた。そこには丸太で出来た厳重な柵があった。門が開かれると、その内側には小さな村のような拠点があった。盗賊たちの隠し砦だ。


 日暮れが迫る中、パーシバルは引きずられるようにして砦に入った。そこには無秩序に建て増しされた沢山の小屋や、別の場所から強奪してきたらしい品々があった。


 砦の中央には小さな広場があり、残虐な処刑具や、見せしめのために吊り下げられた死体があった。その身体はところどころ鳥についばまれて白骨を晒しており、パーシバルはまた吐き気をもよおした。


 嘔吐をこらえたパーシバルが顔を上げると、砦の反対側にある門が開かれ、男たち数十人が歩いてきた。彼らは盗賊ではなさそうだった。一様に疲労していたので、パーシバルは彼らが自分の仲間なのだということが分かった。


 奴隷の一団は数人ずつに別れ、砦の隅に建てられた一群の粗末な小屋の中に入っていった。盗賊はその近くまでパーシバルを連れていき、手首の縄を解いて奴隷の一人に引き渡した。


「新入りだ。仲良くやんな」


 その奴隷は少し白の混じった髪をしていたが、日焼けして屈強そうだった。また肉体のいたるところに傷があった。それがはるか昔についたものなのか、ここに来てからつけられたものなのかは分からなかった。


 奴隷はパーシバルの身体を無遠慮に眺めたあと、その腕を引いて小屋の中に連れ込んだ。その奴隷とパーシバルの他に、三人が同じ小屋を使うようだった。小屋は辛うじて雨が防げる程度の普請で、パーシバルが老夫婦と住んでいたときのものよりもずっと粗末だった。


「運が悪かったな。どこから来た」


 奴隷は言った。その容貌に比べて穏やかな声色だった。


「ここから北で商人をしていた」

「そうか。俺はユージーンだ」


 ユージーンが握手を求めてきたので、パーシバルはそれに応じた。


「パーシバル。パーシバル・トゥーンだ。よろしく頼む」

「変わった名だな」


 しばらくすると、配給のパンとスープが届けられた。固いパンと薄いスープ、それに羊だか馬だかの小さな干し肉がついていた。パーシバルにはまだ食欲がなかったが、食べておいた方がいい、とユージーンに勧められたので、なんとか胃に詰め込んだ。


 部屋の奴隷たちは、いずれもどこからか拉致されてきた人々だった。ユージーンは大森林の南で兵士をしていて、北の国に書簡を届ける任務を負っていた。しかしその途中で盗賊たちの待ち伏せに遭い、ここに連れてこられたのだという。


「ここでは金を掘っているのか?」


 暗闇でランプが灯る小屋の中、パーシバルは尋ねた。


「そうだ。作業は五人で一組。誰かが逃げたり、問題を起こしたりすれば、全員が連帯責任だ。前の奴が死んだから、お前が補充された」


「ユージーンはどれくらいここにいるんだ」

「もうすぐ一年になる」


 奴隷たちの中には、三年以上ここに捕らわれている者もいた。パーシバルはもしかすると死ぬまでここで金を掘ることになるのだろうか、と暗い気持ちになった。


「今日はもう寝た方がいい、パーシバル。まずはここの生活に慣れることを考えろ」


 ユージーンはそう言って、ランプの灯を消した。


 翌日から金の採掘が始まった。それは坑道を作らない、露天掘りと呼ばれる方法だった。


 パーシバル達は夜明け前に鐘の音で起こされた。前日の夜と同じような食事が配給され、小屋ごとに人数が確認される。このときに一人でも足りなければ、同じ小屋を使っている全員に罰が下されるのだ。


 それから奴隷たちは盗賊に監視されながら列をなし、少し離れた場所まで移動した。森をしばらく進むと、岩がむき出しになった地面が広がっていた。奴隷たちがここ数か月間、金を掘っている場所だった。

 

 採掘の仕事は単純だが過酷なものだった。赤っぽい土を人の背丈分掘り下げると、金を含んだ鉱石が露出する。それを掘り出し、細かく砕く。これには非常な力と根気が必要で、作業に慣れないパーシバルの腕はすぐに痺れ、全身から汗が吹き出した。


 粉砕された鉱石は、近くの川まで運ばれて洗浄される。そこから石と金に分ける精錬の工程が始まるのだが、これがまた危険だった。


 精錬には水銀を使った。金は水銀に溶けるが、石は溶けない。鉱石に水銀を加え、溶けずに残った石を除けば、金と水銀の混合物ができあがる。それを火で炙ると、水銀だけが蒸発して、金が残る。


 パーシバルも貴金属を取り扱ったことがあったので、この方法は知っていた。水銀の蒸気は毒であり、本来ならば注意深く扱わなければならない。しかし十分な道具もない環境で、水銀の毒を防ぐのは難しい。おそらくこれまでに何人も中毒で倒れているのだろう。


 それに、採れる金の量も少なかった。荷車一杯の鉱石から、指先ほどの金が取れればいい方だった。奴隷を使わなければ、儲けが出るかどうかも微妙なところだ。


 作業する奴隷は四十人か五十人いて、見張りの盗賊は十人かそこらだった。しかし彼らはしっかりした武器と防具を持っていて、奴隷たちは裸も同然だった。それに誰もが疲れと諦めに支配されていて、つるはしを振りかざして盗賊たちを打ち倒そう、と考えている者がいるようには見えなかった。


 だからパーシバルも、しばらくは反抗するそぶりを見せず、真面目に作業するほかなかった。少しでも手を抜けば鞭が飛び、食事が抜かれた。


 小屋の仲間が罰されそうになると、ユージーンはいつもそれを庇った。食事を抜かれた者には、自分のものを分け与えた。彼には人並外れた自制と忍耐があり、奴隷たちの中でも一目置かれていた。


 初めは一日の終わりに動く気力も無くなっていたパーシバルだったが、日が経つにつれ徐々に仕事をこなせるようになっていった。彼は決して若いというわけではなかったが、耐久力は人より優れていた。作業で失敗し、鞭で打たれる回数も次第に減っていった。



 パーシバルが捕らわれてからふた月が経った。この間、食べ物を盗んで一人が殺され、同じ小屋の四人が鞭で打たれた。新しく二人がどこかから連れてこられた。


 怪我や病で働けなくなった者は炊事係にされ、それでも役に立たなくなれば、盗賊たちに連れ去られて二度と戻ってはこなかった。パーシバルが来てからも、一度だけそういうことがあった。


 あるとき雨が強く、作業のできない日があった。


「私は南にいかなければならない」


 雨漏りのする小屋の中で身体を休めながら、パーシバルはユージーンに言った。


「帰る場所があるのか?」

「いや。よく分からないけど、行かなければならない気がするんだ」


 パーシバルは自分が記憶を失った状態で老夫婦に保護されたこと、理由は分からないが、南に記憶を取り戻す手がかりがあるのではないかと予感していることを話した。


「ここで人生を終えるわけにはいかない」


 パーシバルが逃亡を匂わせたので、罰を恐れた小屋の仲間たちは思いとどまるよう言った。しかしユージーンはそうしなかった。


「そうだな。このまま人生を終えたくはない」


 俺は兵士だから、奴隷のまま死ぬのは嫌だ。脱出が叶わなくても、戦って死ぬ方がいくらかましだ、とユージーンは言った。


「私が思うに、皆が絶望せずに協力すれば、見込みはあるはずだ」


 パーシバルはそう思っていた。たしかに監視や厄介な規則はある。しかし所詮は自分勝手な盗賊たちで、仕事に熱心なわけでもない。入念に準備すれば、つけいる隙はあるはずだ。


「なら、方法を考えよう。ただ毎日同じ仕事をするよりも面白そうだ」


 ユージーンはにやりと笑った。そのときパーシバルは、彼が恐れ知らずの兵士であったことを思い出し始めているような気がした。


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