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パーシバル・トゥーンの遍歴  作者: 黒崎江治
11/13

最果ての地へ -1-

 このときにパーシバルとルルカが乗った船は、トゥーナを出発したときのものと少々違っていた。荒れた海でも安定するよう、幅が小さく喫水が深い。


 マストと帆の数も少なく、その代わりオールで進めるようにもなっていた。船底にはもちろん貨物が満載され、甲板にもいくつかの樽が固定された状態で置いてあった。中には砂漠の近くで湧いた鉱物油が入っているそうだ。


 パーシバルが乗り込んだあと、冷たい風を受けながら、船は村を離れていく。ルルカの両親や兄弟たちが手を振っているのを見て、パーシバルとルルカも手を振り返した。


 季節は秋を迎えていた。パーシバルは防寒着に身を包み、遠く水平線に浮かぶ流氷を長い時間眺めていた。


 ルルカの故郷を出港してからは、しばらく穏やかな気候が続いていた。しかし二日目の朝から、海は少しずつ荒れ始めた。


「帆を畳め!」


 甲板で航海士が叫んだ。パーシバルとルルカは海の素人で、役に立つどころか邪魔になってしまっていたので、あてがわれた貨物室の空間に腰を下ろし、嵐が過ぎるのをじっと待つことにした。


 風が強くなり、氷の粒が甲板に叩きつけられる音が響いていた。パーシバルは揺れに酔ったルルカの背をさすりながら過ごす。甲板では荒々しい声と嵐の音が聞こえている。しかしパーシバルは船底の方から、なにか別の音が聞こえてきていることに気がついた。


 それはみしりみしりと船体が締め付けられるような音だった。波による規則的な音ではない。パーシバルの本能が危険を告げた。


「悪魔だ!」


 甲板から恐怖の声とどよめきが聞こえてきた。何か不穏な事態が起こっているのだとパーシバルは確信した。船体の軋みと無関係ではないだろう。


 パーシバルはルルカを連れて甲板に出た。背後からは何かが砕ける音がした。氷の粒が吹き付ける屋外では、信じられないような景色が広がっていた。


 まずパーシバルが目にしたのは、海から出現した数十本の触手であった。ぬるついたそれら一本一本には吸盤があり、人間の胴体ほどの太さを持っていた。船体に取りついた触手は船員をも絡めとり、深い海の底へ引きずり込もうとしていた。


「悪魔だ、悪魔が出た」


 迷信深い船乗りたちはすっかり動揺している。パーシバルもこの恐ろしい怪物に度肝を抜かれた。とはいえつい先日死の淵から帰ってきたパーシバルは、他の者より幾分か立ち直りが早かった。


 パーシバルはこれが神や悪魔に近しい存在であるなどとは思わなかった。これは信じられないほど巨大な海棲生物だ。常識からはかけ離れているが、姿はイカやタコに似ていた。


 船がまた軋んだ。


「このままだと沈没する!」


 ルルカが悲鳴を上げた。この怪物が人を食べるのかどうかは知らないが、こんな低温の海に落とされたら、少しだって生きてはいられないだろう。


 事実、船は怪物の重さで傾き始めていた。破壊された船底から、浸水も始まっているに違いなかった。船が沈んでも上陸用の小舟で脱出することはできるが、怪物が見逃してくれるかどうかは分からない。


 怪物は触手を振り回し、無差別な破壊を振りまいていた。一体何がこの生き物を怒らせたのかは、まったくもって不明だった。


 混乱の中でパーシバルが辺りを見回すと、固定が緩んだ十数個の樽があった。中身は確か鉱物油だ。燃料である。


「ルルカ! 火を持ってきてくれ!」


 その言葉を聞くと、ルルカは意図も聞かず、弾けたように走り出して甲板から降りて行った。パーシバルは触手に腕や足を取られそうになりながら、なんとか樽のもとに辿り着く。


 船員の何人かは銛で反撃しているものの、ぶよぶよした皮膚にはまったく通じていなかった。船から海に叩き落された者が助けを求めているが、誰一人として手を差し伸べる余裕はない。甲板の状況は酸鼻を極めた。


 パーシバルは一か八かで樽の固定をほどき、それらを甲板上に転がした。油の詰まった樽は甲板の傾きに従い、一部が海に落ち、一部が触手に捕まった。


 触手はその樽を、薄い氷でも砕くように破壊してしまった。黒っぽい中身が漏れて怪物にかかる。しかし大きいだけに鈍感なのだろう。触手はそのまま破壊を続けた。


「パーシバル! 大丈夫か!」


 ルルカが再び甲板に上がってきた。油をたっぷり染み込ませた、赤々と燃えるたいまつを握っていた。


「よし、よし。それを貸してくれ」


 パーシバルはたいまつを受け取り、滑って海に落ちないよう、慎重に甲板上を進んだ。黒く光る油に近づき、たいまつの火を触れさせる。


 鉱物油は、植物油や魚油に比べて低い温度でも火が着きやすい。だからこそ寒い地域での燃料に使われるのだ。パーシバルが商人だったときに扱うことは少なかったが、記憶の片隅に知識として残っていた。


 砕かれた樽の数だけ火は広がり、甲板から怪物の触手にも炎が移った。鈍い怪物といえども熱は嫌いらしく、触手を縮めて海中に退却する。


「今のうちに逃げよう」


 パーシバルとルルカは生き残った船員と共に、上陸用の小舟に乗り込んだ。出港のときに二十人ほどいた船員たちは、絞め殺されたり海に落ちたりして、半分まで頭数を減らしていた。


 降りしきる氷雪と激しい風、荒々しい波の中、パーシバルたちは身を寄せ合って凍死を防ぎながら、必死で櫂を動かして沈んでいく船から離れた。



 怪物に襲われ、乗っていた船を捨ててから一日半、パーシバルたちはようやく陸地を発見した。そのころには全員手足の感覚がなくなるほどに身体が冷えていて、ひどい凍傷にかかっている人間もいた。


 パーシバルとルルカも交代で櫂を握り、最後の力を振り絞って港を目指した。


 凍えた人間を満載している舟を見かねて、港からも迎えの船が出された。そこでパーシバルたちはようやく、温かい毛布と食事を得たのだった。


 船員たちはこぞって怪物の恐ろしげな様子を喧伝したが、港町の住人たちは半信半疑だった。いくら世界の果てとはいえ、あの怪物はさすがに規格外の存在であるようだった。


「とにかくパーシバル。おめでとう」


 軽い凍傷を治療した手を差し出し、ルルカはパーシバルに言った。共に二度ほど死にかけた仲として、パーシバルもルルカに友情を抱いていた。二人は固く手を握り、互いの前途を祝った。


「ああ。ありがとう」


「そんなに長い間一緒だったわけじゃないけど、あんたの話は俺の子供にも言って聞かせるよ」


 それは随分と気の長い話だ、とパーシバルは笑った。


 あまり長くいても別れが辛くなるとのことで、ルルカは翌々日の船で帰ることになった。事故にも懲りずまた隊商に加わり、大商人を目指すのだという。


 パーシバルはパーシバルで、自身の目的を果たすことにした。休みもそこそこに町の家々を訪ね、この町に魔術師がいないかを聞いて回った。


 とはいえ町はそれほど大きなものではなかったので、目当ての人物が見つかるまであまり時間はかからなかった。風変わりなロマという名前の老人が町はずれに居を構えていて、以前にも遠くから来た旅人が彼を訪ねてきたことがある。ある町人はパーシバルにそう教えてくれた。


 それを聞いたパーシバルは凍りついた地面を踏み、さっそく町はずれへと向かった。


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